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2010年08月29日

「唐獅子」第5回 もうひとつのメディア

沖縄タイムス文化欄連載コラム「唐獅子」の26日掲載分です。

第5回 もうひとつのメディア

「オルタナ・・・メディア様ですね?」。共に造ろうと仲間に呼びかけプレオープンした「沖縄オルタナティブメディア」の口座開設に出向いたときの、金融機関窓口での反応だ。

似たような反応は行く先々で待ち構えていた。「オルタナティブ」と目の前に書かれているのに、すらっと読めない人がほとんどだ。残念ながらそれほど「オルタナティブ」という言葉はまだまだ一般的ではない。

「オルタナティブ」とは、もうひとつの、代替の、新しい、第三のなどの意味をもつとされる。従来の手法では解決されない課題が発生したとき、「もうひとつの方法はこれだ」というように提示される。例えば、石油に代わるオルタナティブ(代替)として、太陽光、風力、バイオマスなどの再生可能エネルギーが挙げられるように。

では「沖縄オルタナティブメディア」は何に対するオルタナティブかといえば、「沖縄問題を伝えようとしないメジャーメディアに対して」とひとまず答えることにしている。

しかしながら、次の瞬間別の問いが生じる。本紙を始め沖縄問題を伝えるメディアは既にあるではないか?あえてそこへ必要なのかと。

必要だ、と私は答える。メジャーメディアに対抗するために、既存の沖縄メディアのみではじゅうぶんではないと思うからだ。さらにいえば、既存の沖縄メディアとて、なんら批判すべき点のひとつもない完璧なメディアであるわけではないだろう。

ここで注意したいのは、沖縄メディアに対する批判といえば、防衛大臣時代「沖縄メディアはアラブのようだ」とのたまった某政治家のように、「左翼偏向メディア」とレッテルを貼る傾向があることだ。圧倒的な差別的構造が遍在する沖縄という現場において、その当事者としてそれを報道することの、なにが偏向というのだろうか?時の為政者に煙たがられるのはジャーナリズムにとって本望。沖縄メディアはこれを最大級の褒め言葉として誇りに思うべきだ。

このような批判にならぬ批判しかなされないことは、沖縄メディアにとっても不幸なことだ。そうではない真の批判=吟味が必要だ。大組織は形骸化を免れない。沖縄メディアがこれからもジャーナリズム精神を保持し続けるためにも、それに対するオルタナティブが必要なのだ。






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