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2019年09月14日

『在宅無限大 訪問看護師がみた生と死』村上靖彦

『在宅無限大 訪問看護師がみた生と死』村上靖彦

 精神病理学・精神分析が専門の著者が訪問看護師へのインタビューをもとに、倫理的な問いとして何を発見し、何を学んだかが書かれている。特徴的なその手法は、多数のデータを材料に客観的な視点から比較するのではなく、看護師の実践を尊重し、あくまでその視点から記述するというもの。その聞き取りから、「快適さと安楽を生み出すこと」「小さな願いを聞き出し実現すること」「困難な状況を引き受けて応答すること」という三つの側面を抽出し、その三部構成というシンプルな形式をとっている。

 「最期は畳の上で死にたい」とはよく聞く言葉だが、看取りを経験した看護師Cさんの語りとして、それは「死ぬときにならないと分からない」。しかし、死を間近にして明らかになることは、身体の快が第一の「本来」のものであり、快の源泉は自宅にあるということ。看護師にとって、患者の快適さと安楽をいかに提供できるかがポイントとなる。

 「どうしたいですか?」とは、とりわけ在宅において、看護師が患者に尋ねる言葉である。「願い」とは、それを実現するために患者の持つ「力」を看護師が見極めることが前提となる。実は、「願い」も「力」の見極めも容易ではない。患者自身が自分の「力」をよく分かっていないことが少なくないからだ。その場合、看護師は患者本人と話し合い、できないと思われていたことを試し、患者の「じつはできること」を取り出そうとする。

 看取りにおける予後告知で重要なことは、家族がみんなで死を引き受けることである。「もうお別れですね」と、別れが近づいていることを共有したうえで語り合うこと、それがお別れという行為となる。さよならをいうことが必ずしもお別れではない。

 母親が重い障害を持つ子どもと暮らす覚悟をしたときに「心が動く」と看護師Fさんはいう。その意味を尋ねる著者に、Fさんは「パッと表情が変わったりとか、その次の行動が変容したり」と答える。著者はFさんが母親の心を動かすのかと問いかけたのだが、主役は母親であり、変化は自ずと生じ、Fさんはその触媒となることが、この応答からわかる。まさに「中動態の世界」(國分功一郎)である。

 慢性期の疾患のケアであれ、看取りであれ、自分あるいは親しい人が在宅医療を受ける場合、訪問看護という仕事の奥深さとそれを担う方々のプロフェッショナルな流儀を知ることができたことは、大きな収穫である。著者によれば、本書に記述される看護師の迷いや応答は、「医療的な判断をともないつつも、その手前あるいは外側で働いているように見え」たという(221ページ)。その力がおおいに発揮されるのが在宅という場なのであろう。

『在宅無限大 訪問看護師がみた生と死』
シリーズ ケアをひらく
著者:村上靖彦
発行:医学書院
発行年月:2018年12月15日 


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