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2019年09月22日

『露出せよ、と現代文明は言う 「心の闇」の喪失と精神分析』立木康介

『露出せよ、と現代文明は言う 「心の闇」の喪失と精神分析』立木康介

 物質的に豊かになった社会の陰で、うつ病やPTSDといった「心の病」が蔓延している。私たちは今こそ「心」について、考え、語るべきときだとされる「心の時代」。インターネットでは誰もが「心のようなもの」について語り、「心」を露出する。今日、人々が「心」をむき出しにするあまり、これまで個人の「内面」とされてきたものが外部に晒され、ときにメディアによって増幅され、私たちはその刺激でいっぱいいっぱいになっている。「心」が外部に露出し、もはや「内面」を構成しなくなった時代。

 1997年の神戸連続殺傷事件で、親たちは子どもの「心の闇」をもっと知ろうと呼びかけた。犯罪を犯さぬ人には、そうした「心の闇」など存在しないかのように。著者はいう。サカキバラと名乗った少年の問題は、「心の闇」が存在していることではなく、むしろ存在していないことにあるのではないか、と。

 どういうことか?少年は、残念ながら、「心の闇」をつくり損なった。彼は心のなかにもっと深い闇をつくり、その苛烈な欲望をそこにしっかりと繋ぎ止めておかねばならなかったのだ。

 フロイトによれば、「心の闇」をつくるとは、倒錯を「神経症化」することである。「無意識」とは、ある力によって「意識の外へ押し出されたもの」のことをいう。この力の作用を、フロイトは「抑圧」と名づけた。つまり、「心の闇」は抑圧の産物として捉えることができる。

 抑圧はたしかに神経症の原因の一部となるが、ある種の欲望は抑圧されないと、個人と家族や社会のあいだに大きな葛藤を招き入れてしまう。神戸の事件のように。

 「心」が外部に露出し、もはや「内面」を構成しなくなった私たちの時代は、少年と同じように「心の闇」の不在、すなわち抑圧の不在による社会になっているといえないだろうか。都市の暗闇を消し去り、私生活や心のなかまで露出することは、抑圧を無効にすることだといえないだろうか。

 著者がここで警告を発している心の露出オーバーの時代が想定しているのは、特にブログやSNS、スマホなどによる「コミュニケーション」のあり方についてである。好むと好まざるとに関わらず、私たちの多くがそれにハマっている。ではどうすればよいかということになるが、少なくとも精神分析からみた抑圧を無効にすることの危険性については、自覚的でありたい。

『露出せよ、と現代文明は言う 「心の闇」の喪失と精神分析』
著者:立木康介
発行:河出書房新社
発行年月:2013年11月30日


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