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2010年08月12日

「唐獅子」第4回 “トランス”の意味

沖縄タイムス文化欄連載コラム「唐獅子」の本日掲載分です。

前回の「共通感覚をトランスする」掲載後、編集部から連絡をいただいた。「“トランス”とはどういう意味ですか?」との問い合わせを読者からいただいたという。今回はその問いに答えるところから始めたい。

まずはネット検索してみる。ヒットした「はてなキーワード」の答えは以下の通り。

【Trance】 恍惚。うっとりするさま。転じてそれらを誘うような雰囲気の音楽を指す。正しくはトランスミュージック。
【trans-】 「横断、貫通、超越、向こう側、変化(transform)」などを意味する接頭語である。
(引用ここまで)

同じ一つの言葉であるから意味が違っていてもその概念は一つ、というか重なっている。「横断」「超越」することがある種の「恍惚」を伴うわけだ。

“トランス”の元ネタとして前回紹介した細野晴臣さんは、いわずと知れたYMOで80年代にテクノブームを巻き起こした音楽家。さらに90年代に近づくと、静的な環境音楽ともいえるアンビエント・ミュージックに「横断」した。

ということで、彼のいうトランスは前者に重きを置いているといえる。他方で私のいう“トランス”は、どちらかというと後者の意味で使った。 「横断」する。「超越」する。あるいは「移動」する。何をといえば、ヤマトの共通感覚を、のみならず沖縄の共通感覚をというのが前回伝えたかったことだ。

本土との「温度差」とよくいわれる(私自身この生温い表現は使わないが)。その原因の一つに(それが全てとはいなわい)、それぞれが異なる共通感覚を持っているにもかかわらず、「日本人」としてくくられた時に一つの共通感覚を前提にコミュニケートすることがあるのではないか。とりわけ、沖縄には沖縄の共通感覚があることを本土の側が知らない、認めようとしないときにそうなる。

 ここまできていうのもなんだが、共通感覚をトランスすることはそれほど容易ではない。容易であれば共通感覚とはいわないだろう。それには、まず「トランスしよう、横断しよう」という意志を持つこと。さらにその意志には抽象力が要る。

 分かり易くフォローしたつもりが、最後は元に戻ってしまったような(汗)







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