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Posted by TI-DA at

2019年11月26日

『原子力時代における哲学』國分功一郎

『原子力時代における哲学』國分功一郎

 原子力の平和利用が夢のように支持された1950年代に、核戦争の脅威という観点から警鐘を鳴らした知識人は存在した。だが、著者が注目する哲学者マルティン・ハイデガーが唯一異なるのは、原子力が人間にとって制御不可能なエネルギー開発であること、さらにそのことの意味を人間は「考えないこと」が深刻な問題であることを喝破した点にある。

 著者がハイデガーのテキストに見出す批評眼のポイントは、「核技術の問題と人間が思惟から逃げているという問題はつながっている」(178ページ)である。この「非常にわかりにくいと同時に、非常におもしろい議論」(同ページ)を、著者は丁寧に慎重に、そして挑戦的に試みている。

 本書は2013年に開催された連続講演の記録である。3・11の衝撃を受け、その問題について哲学が為しうることを考え続けるドキュメントとして、その緊張感が読んでいてもヒリヒリと伝わる。

 その点で興味深い箇所がある。〈第三講「放下」を読む〉冒頭では、前回講義の後で、現在の原発の問題を考えるために、古代ギリシアの哲学までさかのぼる必然性がわからないという指摘を聴講者から受けたことに対し、本論に入る前に時間を割きつつ、著者は述べる。ハイデガーの思想に危険な側面があるのは承知している。とりわけ「これは本来こうなんだ」という彼の「本来性」に対し、著者はそもそも批判的である。しかしながら、だからこそ、仮にその「本来性」が脱原発の論理の先駆性と関係があるとしたら、という自らの基盤を疑う問いかけこそが重要ではないかと。「何か問題を考えないようにしたまま脱原発の運動を押し進めていくとまずいことにはならないか」(165ページ)という問いは、かつてない大規模な脱原発運動が起こされていたこの時期を顧みるとハッとさせられる。

 この後に続くハイデガー作『放下』の読みは、「考えるというプロセスそのものを遂行するパフォーマンスのようなテキスト」(280ページ)というテキストに対する評価が、聴衆と共に読むこの講演そのものがそうであり、講演記録というジャンルの可能性を拡げている。

 ここで使われる「放下」「来るべき土着性」と言った概念は、今後ハイデガーの原典にあたり、読み込んでみることで、理解を深めたい。本書を読む意味はそこから始まる。できるだろうか。

『原子力時代における哲学』
著者:國分功一郎
発行:晶文社
発行年月:2019年9月25日


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Posted by 24wacky at 08:27Comments(0)