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2009年05月28日

沖縄アソシエーショニズムへ その15

沖縄自治研究会主催の「自治講座:私たちが創る、沖縄の自治」に参加している。第1回を受けてMLでは活発な議論が交わされている。遅まきながら投稿したものを一部修正してここに掲載する。他の投稿を読まないと分からないかもしれないが、それを差し引いて読んでください。

興味深い議論に遅いレスです。とりわけNさんの問題提起に触発され、自分の心に落とし込むまで至っているとはいえないものの、整理段階の考えを第2回講座の前に投稿させていただきます。

私の解釈では、Nさんの問いかけは、福祉にしても相互扶助にしても平等ではあるが自由ではないということと関わっているのではと捉えました。他の集団をなんで助けなければならないのか?そこには自由がないではないかと。

ソ連崩壊後のグローバリズムが覆う世界においては、国家資本主義と自由主義の2つの政体が残されました。両者の対立としては、自由主義からすれば、国家資本主義の規制と高税、官僚制を廃棄せよということになるし、国家資本主義の側からすれば、グローバル化は格差と伝統的な文化を破壊するからけしからんということになる。これが自由か平等かの対立であり、「自由主義」と「民主主義」の対立(相克)ともいいかえられます。

福祉国家論者、社会民主主義者は、「一応」自由かつ平等を構想しているので国家資本主義に含めます。どうして「一応」かといえば、ご指摘のような不自由さがどうしても出てくるからです。

ここでJさんが紹介されたジョン・ロールズと配分という考えについて触れます(先に自白しますが、ある著作からジョン・ロールズ『正義論』の重要性を知り、読みたいのですが、買おうとするとこれが滅茶苦茶高額で、なおかつ県内図書館では浦添市立図書館に1冊蔵書があるのみで借りることもできず未読に至っています)。ロールズは、経済的な「格差」に反対して富の再分配をいったというよりも、「正義」という道徳性から再分配を唱えたいう。これはどういうことでしょうか?

例えば、アダム・スミスは「格差」があるのはしょうがないが、「同情」(sympathy)によって資本主義がもたらす豊かさをなるべくみんなで共有しようという考えでした。それに対して、ロールズは、どんなに効率的でも合理的でも正義に反するならそれはダメな制度だと。《各人には皆正義に根ざす不可侵性があり、社会全体の福祉でさえこれを侵すことはできない。このために、ある人々の自由の喪失が、他の人々に今まで以上の善(good)を分け与えることを理由に、正しいとされることを、正義は認めない》(『正義論』)。

ここでいう「善」とは、功利主義あるいは幸福主義から得られる利益や幸福といったものです。ここから結果するのが、Mさんのピッツバーグの事例のような話しになっていくのではないでしょうか。MさんJさんともアメリカのようになってはならないということで一致していましたね。ロールズの正義論の観念性を具体的に実践するところに、一つの可能性を感じました。

それを具体的に論じる前に、もう少し観念論にとどまります。ズバリ自治とは何か?私としては、それは自発的であり自律的であろうとする営為であると思います。言葉を変えれば、冒頭で使った自由という言葉で言い換えることができます。この自由も観念的ではありますが、功利主義(利益とか幸福)と馴染まない概念であるとだけはいえます。

さて、Jさんのお話では、ロールズの「公正な」配分は欧州社民系政党に影響を与え、分権改革・道州制導入の根拠になったということでした。これをモデルとして、沖縄の自治を実現していくのだという流れでしたね。

私はここで配分(的正義)を吟味する必要があるのではと思います。柄谷行人(私の論拠の元になっている)は、ロールズは富の再分配による福祉国家を擁護する者だとみなされているが、実際彼は福祉国家に対して批判的だったと指摘しています。この部分は柄谷が引用する川本隆史著『ロールズ』の孫引きをします。《なるほど「福祉国家型資本主義」という名称が示唆するように、福祉の配備・供給はかなり気前よくなされ、基本的ニーズをカバーする適正なソーシャル・ミニマムも保証されているかもしれない。しかしながら、経済的・社会的不平等を規制すべき〈互恵性の原理〉は承認されていない》。ロールズは、現にある経済格差を「再分配」によって解消するのではなく、そもそもそのような格差が生じないような分配のシステムを主張したのだと柄谷はいいます。

このことが、引用したNさんの問いかけに関わってくるような気がしています。自由かつ平等な互恵性の原理。これまで存在しないこの原理を理論化していくこと。議論がやや先走りましたが、この「空論」を沖縄自治の議論にどうつなげていけるのか、その入り口で立ち止まっています。
(Nさん、厳しいツッコミ入れないでね)
  


Posted by 24wacky at 21:51Comments(0)アソシエーション

2009年05月25日

キヨシローを送ろう 或日作成ッション

昨夜のキヨシローを送ろうセッション飲み会@MUSICAより。

楽しい夕べに キヨシローに届いたかな。







  


2009年05月24日

『ラブホテル』

桜坂劇場で『ラブホテル』を観る。「桜坂ロマン座セレクション」と名づけられたレイトショーの1本で、女性専用シートを設け、日活ロマンポルノの名作を、幅広く観てもらいたいというねらいは良い。実際の客席は女性専用シートがほぼ空席だった。定着するにはまだまだ時間がかかりそうだ。

相米慎二監督の同作品は見逃していたので良い機会となった。『台風クラブ』と同じ1985年の制作である。方や当時のディレクターズ・カンパニーからすれば巨額の制作費を超過させながら力技で押し通した青春映画、方や低予算を義務づけられた成人映画という枠内で描かれた男女の性愛。どちらでも突発的な情意が極めて映画的である。

後半の相米は巨匠と目されるほど重心が低い素振りを見せたが、『ラブホテル』では、彼がぶきっちょな映画青年であったことを露出している。そのアドレッセンスと照明の熊谷秀夫ら老練な映画屋たちが現場で幸福に符合してしまったのだ。

石井隆「天使のはらわた」シリーズの村木と名美を、それぞれ寺田農、速水典子が「体当たり」で演じている。「体当たり」は突発的な情意に欠かせないのだ。退色ぎみのラブホテル、カーラジオから流れる山口百恵の『海へ』に誘われ2人が向かう夜の横浜埠頭、孤独な男の安アパートと雨降る階段、もんたよしのりが唄う感傷過多のバラード。過酷な制作環境でも観るものを熱くさせるシャシンを撮ることは可能なのだ。
  


2009年05月21日

サウンドストリート ゲスト忌野清志郎

まだ涙が出ない 500 MilesでSTさんは「初期のRCサクセションから80年代からのロック・スターとして自己規定した忌野清志郎へのつながり」が「うまく説明がつか」ないとコメントした。それに対し、私は80年代に放送されたNHK-FM「サウンド・ストリート」での渋谷陽一によるキヨシローへのインタビュー内容を紹介した。

これが青春ラジカセで聴くことができる(実はこのサイトのスタッフから音源提供のオファーを受けたことがある。その時はバタバタしていて応答できず失礼してしまった)。私が紹介したのは1981.07.10.OAの方で、もう一つの1981.03.19.OAは今回初めて聴くことができた。著作権の関係で選曲が冒頭部分のみなのが残念だが、いずれも貴重なコンテンツである。  続きを読む


Posted by 24wacky at 14:48Comments(2)YouTube

2009年05月18日

あっぱれ清之助!

大切なそして尊敬する友人の清之助さんが立候補した座間味村長選が昨日開票され、残念な結果となった。

宮里哲氏が初当選 座間味村長選/376票獲得 2新人破る

 【座間味】任期満了に伴う座間味村長選挙は17日投開票され、新人で無所属の宮里哲氏(41)=元村職員=が376票を獲得、いずれも新人で無所属の宮里清之助氏(52)=前村議=と、大城晃氏(55)=元村職員=を破り初当選した。宮里哲氏は「地域の持つ力を住民と共に生かし、村発展へ頑張りたい」と抱負を述べた。

 投票率は87・03%で、12年前の前回に比べ1・79ポイント下回った。
沖縄タイムス5月17日付より一部転載

昨夜は気が気でなく沖縄タイムスHPで速報をチェックしていたところ、10時過ぎだったか、結果が掲載された。しばらくして本人から短い結果報告の電話をいただいた。「200票近い差があった」と。

今日の午前中に再度電話をいただいた。忙しいだろうに、疲れているだろうに、恐縮した。潔く敗戦の弁を述べた後、「3月末の出馬表明から昨日まで充実した毎日だった」とさわやかに語った。

私は今回の選挙結果について、座間味村の今後について、今のところ何もいうべきことはない。座間味村について、他の立候補者について、多くを知らないから。村民が選んだ結果であり、それはいずれ村民に還ることであるから。

このままいけば、無投票により四期目の村長が誕生してしまう。それだけは避けなければならない。「一部の人たちだけで村の代表を決めることがないように村民皆で村長を決めることが大事です」。清之助さんが3月末に出馬表明をした第一の理由である。清之助さんが声を挙げると、オレもオレもと他の立候補者が名乗りを上げた。この時点で、清之助さんは大きな岩を壊したのだ。

そんな清之助さんの姿を、たとえ短い時間であれこの眼で見届けたい。そう思って14日、フェリーに乗った。船が阿嘉島に着くと、背広姿の清之助さんが幟を持ち支援者と共に、降りる客にビラを配っていた。

それから慌しく移動。チャーター船に乗り、座間味島へ。フェリーより先回りしなければならない。座間味港では限りなく少ない聴衆の前で演説をする。「村民の意見は、必ず村長に届くようにします!」

演説が終わると再度阿嘉島へ。午後から大城晃氏と合同で立会い演説会を予定しているのだ。お昼の弁当はチャーター船の中で。

会場に集まった聴衆は直接の支援者を含め20名弱。それでも清之助さんは、分かりやすい言葉で力強く政策を訴えた。せっかくの話をこれだけしか聴く人がいないなんて、あまりにもったいない。支持はしているが、周りの目を気にして会場には来られない人が多いという。

演説会を終えると、再度座間味島へ戻る。日帰りしなければならない私は、ここで別れることにする。清之助さんらを乗せたチャーター船が青い海に描くさざ波がやたらとまぶしかった。

清之助さん、お疲れ様。少し休んだらいいさ。



  


Posted by 24wacky at 23:03Comments(4)NEWSを知りたい

2009年05月15日

『天使の眼、野獣の街』

桜坂劇場で『天使の眼、野獣の街』を観る。「ジョニー・トーの頭脳とも言われる脚本家出身のヤウ・ナイホイ初監督作品」でジョニー・トーのプロデュース作品。ということで期待せざるを得ない。ほとんどジョニー・トー作品に見紛うばかりの作りとなっていて、そういわれると二番煎じ的な駄作を予想されるかもしれないが、ところがどっこいこれがまた傑作なのだ。最初から最後まで息のつけない映画ノスタルジーは『エグザイル/絆』と同格といいたい。

都会の雑踏がseek&findのドラマにとって格好のセットとなることを改めて思い起こさせてくれる。これは言うは安し行うは難しで、撮影、編集ともに容易ではないはずであり、それを易々とやってしまうところに、ジョニー・トー・チームの他に類を見ない能力がある。

それにしてもサイモン・ヤムという役者は、濃ゆいのだが味がある。ヒールをやっても人情味のある役をやっても、いつもちょっと変なのだ。

  


2009年05月13日

「お国は?」「沖縄ですが、何か?」に期待する

来る15日(金)に「アトミックサンシャインin沖縄」展クロージング・イベント「『お国は?』『沖縄ですが、何か?』 ーネイションとアイデンティティの対話」が県立博物館・美術館3F講堂にて開催される。これに向けて、パネリストの一人である萱野稔人氏が「『お国は?』『沖縄ですが、何か?』に寄せて」という文章を沖縄タイムス11日付文化欄に載せているが、これが興味深い。

ここで萱野氏が注意を呼びかけているのは、反復帰論として川満信一氏によって書かれた「琉球共和社会憲法C私(試)案」への近年の評価、とりわけ上野千鶴子氏の「おどろくべきポスト国民国家の思想」という礼賛についてである。

萱野氏はこの憲法草案を「沖縄の歴史的経験から生まれた稀有な反国民国家の思想」であると一定の評価をした上で、それに対して「国民国家の可能性を過剰に、そして安易に読み込むことには慎重でなくてはならない」と述べ、その理由として2つを挙げる。
 
ひとつは、川満さんの憲法草案に自らのポスト国民国家への思いを重ね合わせる論者たちが、その反面、国民国家を超えるとはどういうことかという問題についてあまり深くは考えていないからだ。

同草案11条には、人種、民族、性別、国籍のいかんを問わず資格を認められると書かれているが、たとえそうだとしても、「言語の共通性の問題は必ず残る」と萱野氏はいう。
 
もうひとつの理由は、日本本土の知識人が国民国家を超えるという理想を(それが具体的にどのような内実をもつのかを示すことなく)沖縄に投影することの危うさにある。沖縄はなぜ、内実もよくわからないポスト国民国家として独立することを期待されなくてはならないのだろうか。

それは沖縄の現実の問題をあいまいにするわけで、それよりも米軍基地を本土でも平等負担することを考えるべきだと、萱野氏は本土の知識人の姿勢を糾す。

私は1年前のシンポジウム「マーカラワジーガ?! 来るべき自己決定権のためにー沖縄・憲法・アジア」について触れ、新川明氏の反国家=反ヤマトゥという認識に国家の独自の位相がみえていないことを批判した(沖縄アソシエーショニズム3参照)。また、国家の独自の位相については『世界共和国へ』(柄谷行人著)を引用し、若干の見解を述べた(沖縄アソシエーショニズム2)。

ここでの私の問題意識は、まさしく萱野氏の「論者たちが、その反面、国民国家を超えるとはどういうことかという問題についてあまり深くは考えていない」に相当する。また、そのことが「具体的にどのような内実をもつのか」については、「それは日本という国家を解体するよりむしろ強固にしただろうし、沖縄も反国家ならぬ不安定な独立国家として、同様に自らを敵対的に編成せざるをえなかっただろう」と、私は具体的に述べた。

萱野氏は「沖縄はなぜ、内実もよくわからないポスト国民国家として独立することを期待されなくてはならないのだろうか」というが、その期待は本土の知識人による投影のみならず、現に沖縄の人々の中にもある。その両者が批判されねばならない。

私と萱野氏の違いは、萱野氏はこれらの批判の主体を主に「本土の知識人」に向けているのに対して、私は双方向から批判している。これは自身本土に住む知識人であり、外部からコミットするだけの存在である萱野氏の倫理的な姿勢といえる。私は沖縄に足を踏み込んでいるので、萱野氏のいう姿勢を前提としながら、かつ、知識人であろうとなかろうと本土の人間と沖縄(人)の間に立ち批判(吟味)することを自らの倫理性としている。むろんこの中間に立つという意味は、中立を保つというような軽薄な意味ではない。

萱野氏の登壇によって、これまでにない交換がなされることを期待している。

「アトミックサンシャインの中へ in 沖縄 日本国平和憲法第9条下における戦後美術」関連イベント クロージング・シンポジウム
「『お国は?』『沖縄ですが、何か?』 ネイションとアイデンティティの対話」


コーディネーター:前嵩西一馬 パネリスト:萱野稔人、知念ウシ、渡辺真也
日時:5月15日(金) 開場18:30 開演19:00
会場:県立博物館・美術館 3F講堂
定員:当日先着200名
*「アトミックサンシャインの中へin沖縄」展覧会チケット(または半券)が必要です。

問い合わせ:文化の杜共同企業体 tel:098-941-8200 (担当:謝花・國吉)
  


Posted by 24wacky at 01:10Comments(0)イベント情報

2009年05月12日

キヨシローを送ろう セッション飲み会

和歌之介さんからキヨシローを送るセッション飲み会のお誘いをいただきました。和歌之介さんらは、RCサクセションならびにキヨシロー好きな仲間たちが集まってカバーを演奏するイベント「或日作成SHOW!!」を毎年開催しています。オイラも毎回楽しみにしているお祭です。過去に2006年の模様を記事に書かせていただきました。→清志郎さんに届け!RCサクセションリスペクトライぶっ!!今回の飲み会は別途の企画となりますが、キヨシローについて語りあいたい人、「或日作成SHOW!!」に参加表明したい人、イェーイェー!!叫びたい人、「キヨシローがいない今、愛し合う相手は24wackyしかいない!」と既にメロメロな人などなど、是非この機会にお集まり下さい!

以下、或日作成SHOW!!ブログからの転載

急遽、やることにしました。
飲んで、語って、セッションして、キヨシローを送ろうという趣旨の飲み会です。

5月24日(日)18:00~
ムジカ(那覇市西町)
会費2,500円

参加していただける方は、
aruhi7《アットマーク》ring-do.com
までメールをお送り下さいm(__)m



    2007年の或日作成SHOW!!  


Posted by 24wacky at 18:33Comments(2)イベント情報

2009年05月11日

『悲夢』

桜坂劇場で『悲夢』を観る。

ううむ。監督の感性と合わないのか。ううむ。

というか、社会復帰するために観にいったが、まだダメみたいです。  

2009年05月11日

涙ぽろぽろ落ちるだろう

忌野清志郎が死んだという報せに、多くの彼のファン同様、しこたま打ちのめされた。そのことにどう対処すれば良いのか、なにをいうべきか、自分にはさっぱり分からなくなってしまった。かれこれ30年あまり聴き続けて来たのだから、自分の人生に影響を与えられてきたのだから、ショックを受けることは当然過ぎる。
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Posted by 24wacky at 02:36Comments(0)YouTube

2009年05月10日

2009年05月10日

まだ涙が出ない 激しい雨

アルバム『夢助』(2006)より。さらに肯定的なキヨシローは、「RCサクセション」を「希望」の別の名で呼ぶに至る。むろんこれはノスタルジーであるはずがない。そうでなければ、遠路はるばるナッシュビルまで出かけ、地元オーディエンスに向かって、まるで素人みたいに日本語で歌いきったりするわけがない。
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Posted by 24wacky at 22:06Comments(8)YouTube

2009年05月10日

まだ涙が出ない JUMP

アルバム『GOD』(2005)より。この曲を繰り返し聴くうちに、肯定的なキヨシローをきっちりと受け留められるようになった気がする。  続きを読む


Posted by 24wacky at 21:50Comments(0)YouTube

2009年05月10日

まだ涙が出ない WANTED

アルバム『KING』(2003)から。2003年はオイラが沖縄へ移った年。キヨシローをリアルタイムで追わなくなってしまった。その間もずっと、彼は「お尋ね者」だった。  続きを読む


Posted by 24wacky at 21:32Comments(0)YouTube

2009年05月10日

まだ涙が出ない Hand Clapping Rhumba

2000年にデビュー30周年を迎えた細野晴臣は、気の遠くなるような自身の音楽航路をシャッフルしていた。その実践的試みとして、Tin Pan(再)結成を果たす。そのアルバム制作には、彼のファミリーが集った。
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Posted by 24wacky at 20:08Comments(0)YouTube

2009年05月10日

まだ涙が出ない 空がまた暗くなる 斉藤和義と

「ちょっとワケありで家を飛び出した後輩がそっちに行った。相手をしてやってくれ」とNちゃんから頼まれ、その娘と会うことにした。「会う前はどんな人だか不安でいっぱいだったけど、すごくほっとした」しばらくどうでもよい会話をした後、そういってくれた。その後堰を切ったように語った彼女の経緯は、「ちょっとワケあり」どころではなかった。

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Posted by 24wacky at 19:46Comments(0)YouTube

2009年05月10日

まだ涙が出ない いい事ばかりはありゃしない

中央線文化というものがある。東京の南の端に生まれ育ったオイラにとって、それは長い間、軽い嫉妬と半ば意図的な疎遠の概念であり空間であった。  続きを読む


Posted by 24wacky at 19:12Comments(0)YouTube

2009年05月10日

まだ涙が出ない Remember You

オレたちが高校生で、ティーンエイジャーで、要するにロックを聴くことに対して最もセンシティブで幸運だったあの頃、彼はオレたちの目の前に現れて、「よぉーこそ」やら「雨上がりの夜空に」やら「スロー・バラード」やら「トランジスタ・ラジオ」やらなんかを聴かせてくれたんだよな。みんなやられちまったっけ。その後ブルー・ハーツとかボ・ガンボスとかウルフルズとか名乗ることになるおまえたちと同じ世代なんだぜ、オレだってよう。  続きを読む


Posted by 24wacky at 18:45Comments(0)YouTube

2009年05月10日

まだ涙が出ない Soul Man

キヨシロー舞い上がってます。ステージ上でこんな姿を見たことがない。憧れのソウル・マン、サム・ムーアと文字通り共演できたのだから無理もない。
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Posted by 24wacky at 18:28Comments(3)YouTube

2009年05月10日

まだ涙が出ない 夢の中へ

こんな興味深いユニットをやっていたことを知らなかった(Acoustic Revolution 1991年08月25日) 。この曲はラストだが、全10曲の映像を観ることができ、ただただ興奮するのみだ。
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Posted by 24wacky at 17:06Comments(0)YouTube