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Posted by TI-DA at

2015年07月11日

『妻は告白する』


何度見てもすごい増村✖️若尾コンビの傑作。法廷劇の見事なドラマ構成からクライマックスの「壊れゆく女」若尾が、恋い慕う川口の勤務する会社を訪れるシーンはモノクロ映画の名シーン。川口の婚約者が川口に言い放つ最後通牒はこれぞ増村というアイロニカルな警句。

監督:増村保造
出演:若尾文子/川口浩/小沢栄太郎
劇場:角川シネマ新宿 
若尾文子映画祭 青春
1961年作品  

2015年07月06日

「シマコトバでカチャーシー」について その2

崎山多美さんの講演タイトルが「シマコトバでカチャーシー」と題されているのを知って、わたしはとても訝しんだ。「なんだこのベタなタイトルは?」と。はじめにこう推測した。東京側の主催者が沖縄消費イメージからつけたのだろうか?それにしてはあまりにも軽率すぎる。崎山さんがそのままにするわけがないと。ということは、やはりご本人がつけたと思うしかない。だとすると、崎山多美のこと、明らかにある策略が込められているに違いないと、とりあえず結論づけた。前夜に用意された交流会の場でご本人に確認してみようとも思ったが、せっかくの翌日の講演内容について問いただすのも野暮なのでそれは控えることにした。結果、その疑問は講演を聴くやいなや解消された。

崎山多美講演会「シマコトバでカチャーシー」

「シマクトゥバ」は新しく流布された言葉であり、それは沖縄で権威をもって使われている。そこに加担したくなかったと崎山多美はいう。この批判は明らかに、沖縄に対する日本の植民地的差別へのプロテストとして琉球独立を唱える人たちに向けてのものだ。そこではしばしばそのアイデンティティの基盤として沖縄のネイティブの言葉=シマクトゥバが捉えられる。それに対し反対はしないが加担したくないという両義的なスタンスが、崎山に「シマクトゥバ」ではなく「シマコトバ」と表記させるというねじれを生じさせたようだ。

崎山の文学世界に触れたことがある者ならば、「シマクトゥバ」の多様で豊穣な世界の価値を崎山ほど認めている者はいないだろうということはいうまでもない。いや、「価値を認める」などという表現は軽薄である。崎山は小説家としてそれと格闘し続けてきたのだから。小説世界でのその「変態」ぶりに対し、沖縄内では「こんな使い方は正しくない」という批判がされることもあった。その権威が発動する排他性に対しても崎山は闘ってきた。

さらにいえば、崎山が感じる「息苦しさ」は琉球独立を唱える人たちのみに対してではなく、もっと大きな政治として沖縄を瀰漫しているが故のものに対してに違いない。崎山はそのことを『越境広場 創刊0号』創刊の辞でこう述べている。

 例えば、沖縄の過去の抵抗運動のなかで連帯のためのスローガンであった「島ぐるみ」や、今回の知事選における「オール沖縄」は、頭ごなしの抑圧的権力の前に沖縄の人々がそれぞれの立場や事情を越え結集するためには、ある面、必要かつ説得力のある言葉でした。しかし、抵抗運動として力を発揮したイデオロギーの言葉がそのまま対集団や個人に向けられるとき、かけがえのない個人であるはずの他者を集団としてひと括りにし、「批判」し、排除する、という側面があることに私たちは敏感であらねばならないと思うのです。最近、声高に謳われるようになった「沖縄的アイデンティティ」という表現も、抵抗の言葉としての意義とは裏腹に似たような危険性を孕んでいるように思われます。さらに、触れることが困難な複雑な事態として、構造的に与えられた利権には無自覚なまま被害者を代弁する、という欺瞞的な「正義」の言葉がそれらしくふるまわれる場面に出会うことが多々あることです。これはとても微妙な問題ですが、沖縄内部における言説空間の複雑に屈折した実態を私たちは看過することなく注意深く見つめる必要があります。それら雑駁な表現が通りよく「正当化」され思想の言葉として語られるとき想像的表現は先細りになるほかはないと思われるからです。
(3ページ)


差別的な日本(人)に抵抗する主体として沖縄(人)が一つにまとまることは不可欠である。そのためのスローガンとして「オール沖縄」「イデオロギーよりアイデンティティ」は有効に働き、新しい県知事を誕生させた。しなしながら、彼が唱えたこれらのスローガンを、果たして沖縄のひとびとの抵抗運動の歴史と無批判に合致させてよいのだろうか。両者にはずれがありはしないかとするわたしの考えとそれは重なる。

「オール沖縄」の矛盾を指摘する少数者の声に対し、「オール沖縄」化した側から「かけがえのない個人であるはずの他者を集団としてひと括りにし、「批判」し、排除する」場面をわたしは何度もみてきた。

崎山の憂慮から気づかされるのは、それら「友/敵理論」(カール・シュミット)にからめとられた政治的言説が、想像的表現を先細りさせるという視点である。崎山は27年ぶりの東京という稀有な進出の、いや越境の(可能性の)広場において、「シマコトバ」の音とカチャーシーという身体表現で、厳粛かつしなやかにパフォーマンスを試行した。それはあらかじめ「シマコトバ」が伝わることの困難さを前提にしながらもあえてヤマトゥに向かって仕掛けることと、同時に沖縄内部の政治的空間を《ずれて》(孫歌)批判するというアクロバティックな営為として。



  

Posted by 24wacky at 21:34Comments(0)シンポレポートなど

2015年07月05日

「シマコトバでカチャーシー」について その1

崎山多美講演会「シマコトバでカチャーシー」をわたしはどう受けとめたか。

前記事のコメント欄にも書き加えたが、崎山さんは「シマコトバ」による朗読を試みているが、わたしはその部分を省略した。その意味について改めて書いてみる。

わたしの言い訳としては、その部分を「伝える」としたら一部分のみではじゅうぶんではなく、省略せずにすべて「再現」したほうがよい。でもそうすると記事全体のバランスが損なわれるというものだ。

だがこれはたかだか体裁の問題で言い訳に過ぎない。この部分を「再現」することなどできないということの。そしてそのことに孕むものこそが問題なのである。

「再現」できない理由の一つは、それを通して崎山さんが(この場では)音声として伝えようとしているから、文字ではできないということ。むろんテキストは文字である。その一つは崎山さんの作品である。はじめにテキストとしてあるのだから文字表現をしていることはいうまでもない。ここに崎山文学の「闘争」があることも言わずもがなであるし、エクリチュールとパロールという思想的問題もそこにはある。だが、わたしが「この場では」というのは、東京での講演会において崎山さんがそのパフォーマンスにおいて音声を優先した(せざるをえなかった・することに賭けた)という姿勢を受けとめる意味でそうする。

「再現」できないもう一つの理由は、民族としての言語の問題にかかわる。崎山さんにとって日本語が「身体にこなれていかない」ように、ヤマトゥとしてのわたしにも「シマコトバ」はこなれていかない。こなれていない、受けとめることができていないものを「再現」することなどできるわけがない。にもかかわらずそうすることは、「交流するためにわかったふりをしないこと」という警句に背くことになるはずだ。

そしてここからが重要だが、「再現」できないことが「現す」のはなにかということである。それこそウチナー対ヤマトゥの非対称性に他ならない。端的にいえば、「あなたとわたしは違う」ということになる。「シマコトバ」を使ってそこで語られている情報を理解することはヒアリングの技量で解決できる。だが一つの言葉が「身体にこなれていかない」とは、そのような意味ではない。歴史や文化や風土によって培われた体験がそうさせるのであれば。

耳慣れない音読を聞かされた会場の若い日本文学研究者たちは、おそらく居心地の悪い思いをしたことだろう。彼ら/彼女らにとって自明の日本近代文学という制度を揺るがされたのだから。そう感じないとしたら、その者はよほどの鈍感な感性の持ち主である。

講演全般を通し、崎山さんは「日本語」で現在の沖縄の「息苦しさ」を批判し、ウチナーとヤマトゥが交流することを志向する態度を示した。これは沖縄に対して後ろめたい「日本人」にとって耳障りのいい話でもある。しかしながら、そこで同時になされる「シマコトバ」によるパフォーマンスによって、崎山さんは交流することの困難さを問うている。露呈させている。

崎山さんがふと身体を揺らがせ舞ったカチャーシーの甘美さと切なさに、わたしは思わず近づきハグされたい衝動にかられた。いつの日かそうなるために、わたしは「日本人」としての我が身体を知ることから始めよう。  

Posted by 24wacky at 17:48Comments(6)シンポレポートなど

2015年07月04日

崎山多美講演会「シマコトバでカチャーシー」

7月⒋日立教大学池袋キャンパスにて立教大学日本文学会大会が開催され、崎山多美さんが「シマコトバでカチャーシー」という題で講演した。以下、その論旨を紹介する(文責は私個人にある)。

「シマコトバ」
「シマコトバ」は実際には「シマクトゥバ」と発音する、最近になって新しく流布されるようになった言葉です。ヤマトゥグチ(日本語)に対するウチナーグチの言い換えといえます。この言葉が現在沖縄では権威を伴って使われています。(米軍基地が押しつけられているなどの政治的状況があるなかで)抵抗の意思で感情を高揚させようとするため、かつて標準語を押しつけられたが、これが元々あったシマの言葉であるという意味で。「独立」というイデオロギーも含まれています。これは一見正しく、私は反対する立場にありません。問題は、そこに権威を持たせること、特権化することにあります。わたしはそこに加担したくなかったので、意識的に「シマコトバ」としました。「シマクトゥバ」は素直に使えませんでした。

わたしは日本語を使うときひっかかりがあります。ふと止まってしまいます。身体のなかでこなれていかないのです。かつて琉球大学文学部時代、漱石や川端といった日本近代文学を読めませんでした。読めないという意味は、文章のリズムに入り込めない、日本語の文体を受けつけられないということです。そんなことから鬱に近い状態になりましたが、その挫折感が今のわたしをつくっているともいえます。その後八重山芸能(古代歌謡)に出会い、それをやるために大学に戻ることができました。

この後、ウチナー対ヤマトゥの構図を揶揄する自身の短編を朗読し、聞き取ることができ内容が理解できたかを会場に問いかける崎山さん。少なからずあった「まったくわからない」という反応に対して以下のように述べる。

ウチナー対ヤマトゥが喧嘩する関係にあったとして、「わからない」という溝を無視してはいけません。違和感は持ち続けるべきです。わたしは喧嘩をしながらでもそこで笑いをとりたい。そして、せめて音として伝わるのではないかという希望をもつようにしています、違う者同士がつながるためにも。

最近の沖縄は、対立構造があまりに激しく息苦しさを感じます。「文学などやらずに辺野古へ行け、デモをしたほうがよいのでは」というような空気があります。そのような状況について、何人かの仲間と話し合いをした結果、「越境広場」という雑誌をつくりました。


「越境広場」に掲載された、一人芝居の北島角子さんによる「ウチナーグチ版・憲法九条」を朗読。

「ウチナーグチで平和憲法を語られても…」と思われるかもしれません。(ここで言いたかったことは)あなたとわたしは違う。違うけれど仲良くできない?お互いに分かり合えない?ということです。そのとき大事なことは、交流するためにわかったふりをしないことです。

「カチャーシー」
(カチャーシーを踊る身振りをしながら)カチャーシーとは「かき回す」という意味があります。では、かき回した後どうするのか?「責任を取れよ」といわれるかもしれません。わたしはカチャーシーを踊っていると、周りの人を誘いたくなります。相手に近づくとハグしたくなります。



  

Posted by 24wacky at 22:42Comments(1)シンポレポートなど

2015年07月02日

『沖縄 うりずんの雨』



過酷を極めた地上戦としての沖縄戦の経験と現在まで続く米軍基地占拠を結びつける歴史と民族の情念と思想。これこそ「日本人」が理解していないことであり、だからそれを伝えたい。その主題は沖縄戦と米軍基地という「過去」と「現在」をモンタージュさせる冒頭のイントロダクションですでに明確である。その先にユンカーマン監督の以下のメッセージが続くだろう。

米軍基地を撤廃するための戦いは今後も長く続くでしょう。沖縄の人々はけっしてあきらめないでしょう。しかし、沖縄を「戦利品」としての運命から解放する責任を負っているのは、沖縄の人々ではありません。アメリカの市民、そして日本の市民です。その責任をどう負っていくのか、問われているのは私たちなのです。


私はこの完成度の高いドキュメンタリーを受けとめ、「普遍と特殊のアポリア」を見出す。2時間30分という長尺のなかで、沖縄戦経験者、沖縄戦経験者を親に持つ人、沖縄戦を経験した元米兵、元日本兵、「戦後」沖縄に生まれたジャーナリスト、写真家、普天間基地フェンスに抗議の意思表示をする人、それに対するカウンターの意思表示をする人、そして1995年少女暴行事件の犯罪者といった人々の語りがまとめられている。ひとつひとつは「特殊」なこれら多様な声をひろいまとめることでひとつの「普遍」を表現できる。映画の作法は一見そのように見ることが無難かもしれない。憲法という普遍をとりあげた監督という経歴がいっそうそのような誘導を可能にする。そしてこの捉え方は、「反戦平和」を唱え憲法9条をたよりに沖縄と連帯を求める「本土」のリベラル層にはことのほか都合が良い。

しかしながらこの映画は「普遍」を欲望するその一歩手前で立ち尽くしている。それは様々な声と声をつなぐいくつかのインサートカットの無言が表象する。たとえばあの青い(はずの)空と白い(はずの)雲の情念が煮えたぎったようなカット。たとえば普天間基地のフェンスに括られた「基地は本土へ」というメッセージボード。たとえば読谷村の「集団自決」(強制集団死」について証言を終えた後の知花さんと娘のあいだに沈黙するほんの数十センチの距離。

終演後、ロビーには立ち去り難くしかしながら発する言葉を奪われた「本土」の人たちがいた。


監督:ジャン・ユンカーマン
配給:シグロ
劇場:岩波ホール
2015年作品