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2019年12月28日

『私は本屋が好きでした あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』永江朗

『私は本屋が好きでした あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』永江朗

 嫌韓反中などのいわゆるヘイト本が本屋で平積みされているのを目にし、著者は不快を感じる。在日コリアンの人びとをはじめ、それらを目にした誰かが深く傷つくことへの想像力があまりにも欠けていはしないかと。

 前半では、書店、出版取次、出版社、編集者、そしてライターへのインタビューを通しその疑問を明らかにすようとする。その結果、著者は「出版界はアイヒマンだらけ」という率直な感想をもらす。彼らの多くは、売れるから売っているだけであり、ヘイト本は他人事に過ぎないのだと。アイヒマンとは、ナチスドイツのユダヤ人虐殺実行犯トップの男である。彼のあまりにもどこにでもいそうな、与えられた仕事を淡々とこなす態度に、裁判を傍聴した哲学者ハンナ・アーレントが驚きをもって「悪の凡庸さ」と名づけた。

 このインタビューに肉付けされるのが、長年出版業界に携わってきた著者ならではの後半の論考である。著者によれば「アイヒマンだらけ」を可能にするのは、日本の出版流通システムの特殊性が一因しているという。取次は初版部数やジャンルなどに応じて機械的に本を「選ぶ」。書店はほとんどの場合送られてきた本をそのまま並べる。取次から送られてきた段階で代金を払っているため、書店にはどんな本であれ早く売ってしまいたいという動機が生じるというのが著者の推測である。そもそも書店は本を「選ばない(選べない)」。

 さらに深刻な構造的問題として、再販制と委託制が一体化されることで「本がおカネのようになってしまった」(241ページ)ことが挙げられる。経営が苦しくなった出版社は、とりあえず目先の金が得られるので本をたくさん出そうとする。本屋はお金が戻ってくるからどんどん返品する。返品を受けた出版社は払い戻しを埋め合わせるように新刊を作り取次に納入する。この負のスパイラルの結果、販売部数は変わらないのに発行部数が増える。点数の増大は、本屋の納品や返品処理作業を増やし、現場は疲弊し、本を吟味することなしに店頭に並べられる。

 このようにヘイト本が本屋に並ぶ「舞台裏」を明らかにした上で、最後に著者は出版業界各々がやるべきこと、そして消費者である私たちができることを具体的に例示する。その重要箇所はこの本を読んでもらうことにして、著者が本屋を愛するがゆえに求める次の厳しい倫理観は、自らの足で本屋を訪れるあなたやわたしの美意識として認識し直すところから始めたい。「ヘイト本についてすらなにも考えないということは、ほかの本についてもなにも考えないということです。魅力のない本屋です。売れている本は並んでいるけれども、つまらない本屋です。つまらない本屋は滅びます」(250ページ)。

『私は本屋が好きでした あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』
著者:永江朗
発行:太郎次郎社エディタス
発行年月:2019年12月1日


2019/12/21
『あしたから出版社』島田潤一郎
 鬱屈とした20代を過ごし、みんなと同じ働き方はあきらめ30歳を迎えた著者は、仲の良かった従兄の突然の死に直面する。遺族を慰めるために100年前イギリスの神学者が書いた一編の詩を本にすることを決意する。2009年9月、ひとり出版社夏葉社の誕生である。 それから5年後の2014年に本書は発行されている。出版不…

2019/09/24
『本屋がアジアをつなぐ 自由を支える者たち』石橋毅史
 本が売れなくなった時代に、本屋はなぜ無くならないのか?それどころか、本屋を始める人が後を絶たないのはなぜなのか?本屋についての著作を多く出してきた著者は、今回その関心を東アジアへ広げる。それは図らずも「民主化」をキーワードにした旅となる。 東京にいる台湾人の知人に「党外人士」という言葉を…

2019/09/17
『街灯りとしての本屋』田中佳祐
 出版不況とともに激減していく街の本屋さんが多いなか、ユニークな個人経営の書店が増えている。本に対する愛情、リアル店舗の存在意義などが交差するなか、個性的な店主たち11名の声が、店舗外観・内観のカラー写真とともに紹介される。 それにしても十人十色、皆、考えていることはバラバラだ。これから書店…

2019/08/20
『未来をつくる図書館 ─ニューヨークからの報告─』菅谷明子
 ドキュメンタリー映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』より以前に、その魅力を報告していたのが本書。コンパクトに編集されながらも、こちらもかなりの情報量が含まれている。それらをここで後追いし記述することは控え、ここでは一点に絞って論じることにする。 〈第5章 インターネット時代に問…

2019/08/19
ニューヨーク公共図書館と米国の本をめぐる多様な取り組み
 ドキュメンタリー映画『ニューヨーク公共図書館』の国内ヒットを受け、映画以前にいち早く同図書館の魅力を伝えた『未来をつくる図書館 ─ニューヨークからの報告─』の著者で米在住ジャーナリストの菅谷明子さんによるトークイベント「ニューヨーク公共図書館と米国の本をめぐる多様な取り組み」が18日、国立本店にて開催…

2019/08/18
アジアの本屋さんの話をしよう ココシバ著者トーク
 京浜東北線蕨駅から徒歩6分の Antenna Books &; Cafe ココシバで開催された「 アジアの本屋さんの話をしよう ココシバ著者トーク」に参加した。出版ジャーナリストの石橋毅史さんが新著『本屋がアジアをつなぐ』にまつわる話を写真も交えながら展開。ソウル、香港、台北のユニークな書店の生まれた背景など、興味深い内…

2019/08/08
『ユリイカ 総特集書店の未来 本を愛するすべての人に』
 表題に関わる広範囲のアクターたちのインタビューと論考を網羅しているが、総じて期待していたほど集中して読むことができなかった。その中で、最後の内沼晋太郎「不便な本屋はあなたをハックしない」を興味深く読むことができた。  インターネットの情報が私企業に操られることに警鐘を鳴らすインターネット…

2014/12/01
書評『つながる図書館 ──コミュニティの核をめざす試み』
 レンタルビデオチェーン「TSUTAYA」が図書館を運営、しかも店内には「スターバックス」が出店という佐賀県「武雄市図書館」のニュースには、ふだんから図書館を利用するしないにかかわらず、関心を持たれた方も多いのではないか。以降、無料貸し出しの公立図書館に営利サービスが導入されることの是非について少なくない…

2017/03/08
『アレント入門』中山元
 本書は思想家の「入門もの」であるが、ハンナ・アーレントがドイツを離れて亡命するきっかけに切り口をしぼっている。アーレントが亡命したのはナチスの迫害を逃れるためであったことはいうまでもないが、「出来事」としてより注目すべき点がある。それは、それまで信頼していた友人たちがナチスのイデオロギーに幻…

  


2019年12月23日

2019年 本ベスト10

医学書院の〈シリーズケアを開く〉(毎日出版文化賞を受賞)の3冊を含め、はっきりと傾向が現れた今年。あとは沖縄と女性作家。

『共同の力』書評掲載
『共同の力 一九七〇〜八〇年代の金武湾闘争とその生存思想』
著者:上原こずえ
発行:世織書房
発行年月:2019年5月24日
掲載:沖縄タイムス2019年7月6日

本書は沖縄が施政権返還時に推進された石油備蓄基地(CTS)建設と東海岸埋立に対して組織された金武湾闘争についての研究書である。著者が着目するこの運動の意義とは、基地経済の代替=「平和産業」として石油産業の誘致を推進した屋良朝苗革新県政とそれを擁立した革新政党、労組に抗し、「豊かさとは何か」を問い、価値観の転換を迫る新たな方向性を示した「住民運動」という点にある。開発=経済発展=平和というイデオロギーに対して、当時の県民の多くが盲目的だったことを、今を生きる我々は批判できるだろうか。

2019/12/14
『百年の散歩』多和田葉子
 「カント通り」「カール・マルクス通り」「マルティン・ルター通り」・・・というようにベルリンの通りの名前が各篇についた短篇集。「わたし」は「百年」の歴史を現在形で「散歩」する。目にする外部からの刺激のひとつひとつに対し、あるいは異物としてのコトバについて、初発の物語を想像しては戯れる「わたし」…

2019/09/30
『「助けて」が言えない SOSを出さない人に支援者は何ができるか』
 子どもの自殺予防においてなされる「SOSを出してほしい」、「援助希求能力を高める」というスローガン。確かにそれは間違っていないが、ちょっと待ってほしいと、編者であり、自殺予防や薬物依存症の問題に取り組む精神科医の松本俊彦氏は危機感を露わにする。援助希求能力が乏しいとすれば、そこにはそれなりに理由…

2019/09/15
『掃除婦のための手引書 ルシア・ベルリン作品集』
 注目される「発見」された作家の作品集。その中から「どうにもならない」を例に、初見の雑感。 アルコール依存症の女に深夜、発作が始まる。彼女は部屋中の現金をかき集め、歩くと45分はかかる酒屋へと向かう。失神寸前になりながらもたどり着いた開店前の酒屋の前には黒人の男たちがたむろしている。男たちは…

2019/09/14
『在宅無限大 訪問看護師がみた生と死』村上靖彦
 精神病理学・精神分析が専門の著者が訪問看護師へのインタビューをもとに、倫理的な問いとして何を発見し、何を学んだかが書かれている。特徴的なその手法は、多数のデータを材料に客観的な視点から比較するのではなく、看護師の実践を尊重し、あくまでその視点から記述するというもの。その聞き取りから、「快適さ…

2019/08/15
『マンゴーと手榴弾─生活史の理論─』岸政彦
 本書は生活史についての理論書である。ポップでキャッチーなタイトルに騙されてはいけない(私は騙された)。ガチガチの理論書である。著者はこれまでの著作において、生活史の聞き取りとは何かを、学術書、語りの「ダダ漏れ」、エッセイ、小説といった多岐にわたるスタイルで伝える試みをしてきたが、まだ伝わって…

2019/07/18
『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』松本卓也
 西洋思想史に「創造と狂気」という論点を設定し、体系的に読みやすく、しかも読み応えある内容に仕上げている。臨床的なワードと思想が交差され、「こんな本が読みたかった」と思える一冊。 統合失調症中心主義。それは、統合失調症者は普通の人間では到達できないような真理を手に入れているという考え。悲劇…

2019/05/11
『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』東畑開人
 沖縄の精神科デイケア施設で心理士として勤務した4年間をエッセイ形式で綴った学術書。現在の自分の関心領域にあまりにもハマり過ぎる内容であり、時間を忘れて一気に読んでしまった。その関心とは、1に設定が沖縄であること、2に精神疾患のケア(とセラピー)についてのリアルな現場報告であることの切実さ、3…

2019/03/09
「第三者の審級」『〈自由〉の条件』大澤真幸より
 文庫にして570頁の大著、著者のまわりくどさここに極まれりという感がある。初見では100頁あたりで挫折、しばらくデスク上に“積ん読”状態にしたが、ふと、あるとき、「とって読め」との命令が下され(聖アウグスティヌスか俺は!?)、再読後、一気に読み終え、それで終わらず、直後にメモを取った何ヶ所もの重要部…

2019/01/06
『中動態の世界 意志と責任の考古学』國分功一郎
 中学に入学し、初めて英語を学び、能動態と受動態という2つの態がある(それだけしかない)と教えられた。だが、日常的に用いている言動として、この2つでは括れない場合があるのではという漠たる疑問があった。本書によれば、中動態という態が、古代からインド=ヨーロッパ語に存在したという。中動態というと、…
  


2019年12月22日

Favorite 10 Albums 2019

blue (2007)
曽我部恵一

『名盤ドキュメント「RCサクセション シングル・マン」』という番組で「甲州街道は秋なのさ」をシャウトする姿が印象に残り、初めて聴いたアルバムが正解だった。10局目の「blue」でもシャウトしている。



I Long to See You (2016)
Charles Lloyd & the Marvels

ピーター・バラカンの「ウィークエンド・サンシャイン」で気に入った。悲哀をリリースさせてくれる。



Epistrophy(Live at the Village Vangard New York) (2019)
Bill Frizell & Thomas Morgan

ライブ音源で聴くアンビエントなギターがたまらない。



Rhymes & Reasons (1972)
Caroll King

代表作「Tapestry」以外はあまり印象に残らなかったが、このアルバムは良かった。聴く側のタイミングというのがあるのだろうなあと改めて気づかされる。



Summer in the City : Live in New York (2000)
Joe Jackson Graham Maby & Gary Burke

80年代のヒット曲以外知らなかったが、なんとなく好きなタイプだと思って試してみたらドンピシャリのライブアルバム。



Texas (2019)
Rodney Crowell

これも「ウィークエンド・サンシャイン」で知る。言葉はいらないカントリーロックの神髄のようなアルバム。



From Out Of Nowhere (2019)
Jeff Lynne's ELO

時間が止まっても良いのだ、とジェフ・リンは教えてくれる。



Western Stars - Songs Ffom the Film (2019)
Bruce Springsteen

オーケストラをバックにシャウトしないアメリカ文学。



Spectrum (2019)
上原ひろみ

むしろアンビエントを感じる。



Three Chords and the Truth (2019)
Van Morrison

寒い冬の必需品。今年もまたヴァンおじさんが届けてくれた。
  


2019年12月21日

『あしたから出版社』島田潤一郎

『あしたから出版社』島田潤一郎

 鬱屈とした20代を過ごし、みんなと同じ働き方はあきらめ30歳を迎えた著者は、仲の良かった従兄の突然の死に直面する。遺族を慰めるために100年前イギリスの神学者が書いた一編の詩を本にすることを決意する。2009年9月、ひとり出版社夏葉社の誕生である。

 それから5年後の2014年に本書は発行されている。出版不況の折ひとり出版社を維持してきた経営の裏側、いったいどんな人がどんな考えで続けてきたのだろうという興味がわく。

 これさえ本にできればそれで辞めてもいいとさえ思ったグリーフケアの詩の本は、イラスト担当者の制作時間にじっくり寄り添うことになり、想定以上に時間が経過する。早晩資金が枯渇し会社が成り立たなくなることを恐れ、素人編集者はもう一つの企画を立てる。アメリカの小説家・バーナード・マラマッドの短編集『レンブラントの帽子』の復刊である。「海外文学は売れない」という業界の常識に加えて内容自体が地味な作品だというのに。

 著者は自分の考えを整理する。「最初は売れないだろうけれど、ずっと我慢し続ける。それを理解する勇気が必要なのだ」(87ページ)と。その後の夏葉社から発行された本を手にとってみれば、それら一冊一冊に、本というモノの隅々にまでにこの姿勢が愚直なまでに貫かれていることがわかる。皆、着実に版を重ねている事実には、内容よりも数で勝負する業界の傾向とは見事なまでに逆を行く方法である。

 その経営上の秘密を本書から探ろうとしても、上に引用した言葉と、全国の書店を歩き回り関係性を作り注文数に応じて出荷する、ひたすら地味な仕事ぶり以外に何もない。ひとつわかることは、後半の『本屋図鑑』の中で控えめに、しかし自信を持って記される本好きにとっての原点を著者は大切にしていることであり、読者である私はそれを共有したいと激しく思う。「本屋さんへ行く、ということは、だれかに会うことと同じだと思う。自分と似た人や、尊敬する人、愛する人や、なつかしい人。会いたかった人や、もう会えなくなった人。彼らと、本屋さんを通して、もう一度出会う」(264ページ)。

夏葉社の本が並んでいる地元の本屋、大森のあんず文庫に今日も行くんだ。

『あしたから出版社』
著者:島田潤一郎
発行:晶文社
発行年月:2014年6月30日


2019/09/24
『本屋がアジアをつなぐ 自由を支える者たち』石橋毅史
 本が売れなくなった時代に、本屋はなぜ無くならないのか?それどころか、本屋を始める人が後を絶たないのはなぜなのか?本屋についての著作を多く出してきた著者は、今回その関心を東アジアへ広げる。それは図らずも「民主化」をキーワードにした旅となる。 東京にいる台湾人の知人に「党外人士」という言葉を…

2019/09/17
『街灯りとしての本屋』田中佳祐
 出版不況とともに激減していく街の本屋さんが多いなか、ユニークな個人経営の書店が増えている。本に対する愛情、リアル店舗の存在意義などが交差するなか、個性的な店主たち11名の声が、店舗外観・内観のカラー写真とともに紹介される。 それにしても十人十色、皆、考えていることはバラバラだ。これから書店…

2019/08/20
『未来をつくる図書館 ─ニューヨークからの報告─』菅谷明子
 ドキュメンタリー映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』より以前に、その魅力を報告していたのが本書。コンパクトに編集されながらも、こちらもかなりの情報量が含まれている。それらをここで後追いし記述することは控え、ここでは一点に絞って論じることにする。 〈第5章 インターネット時代に問…

2019/08/19
ニューヨーク公共図書館と米国の本をめぐる多様な取り組み
 ドキュメンタリー映画『ニューヨーク公共図書館』の国内ヒットを受け、映画以前にいち早く同図書館の魅力を伝えた『未来をつくる図書館 ─ニューヨークからの報告─』の著者で米在住ジャーナリストの菅谷明子さんによるトークイベント「ニューヨーク公共図書館と米国の本をめぐる多様な取り組み」が18日、国立本店にて開催…

2019/08/18
アジアの本屋さんの話をしよう ココシバ著者トーク
 京浜東北線蕨駅から徒歩6分の Antenna Books &; Cafe ココシバで開催された「 アジアの本屋さんの話をしよう ココシバ著者トーク」に参加した。出版ジャーナリストの石橋毅史さんが新著『本屋がアジアをつなぐ』にまつわる話を写真も交えながら展開。ソウル、香港、台北のユニークな書店の生まれた背景など、興味深い内…

2019/08/08
『ユリイカ 総特集書店の未来 本を愛するすべての人に』
 表題に関わる広範囲のアクターたちのインタビューと論考を網羅しているが、総じて期待していたほど集中して読むことができなかった。その中で、最後の内沼晋太郎「不便な本屋はあなたをハックしない」を興味深く読むことができた。  インターネットの情報が私企業に操られることに警鐘を鳴らすインターネット…

2014/12/01
書評『つながる図書館 ──コミュニティの核をめざす試み』
 レンタルビデオチェーン「TSUTAYA」が図書館を運営、しかも店内には「スターバックス」が出店という佐賀県「武雄市図書館」のニュースには、ふだんから図書館を利用するしないにかかわらず、関心を持たれた方も多いのではないか。以降、無料貸し出しの公立図書館に営利サービスが導入されることの是非について少なくない…

  


2019年12月16日

『抵抗の轍 アフリカ最後の植民地、西サハラ』新郷啓子

『抵抗の轍 アフリカ最後の植民地、西サハラ』新郷啓子

 内容が一目でわかるタイトルと、そのタイトルを写実的に現すように、刻印される轍の陰影が美しい砂漠の黄褐色と地平線で区切られる空の蒼色のコントラストに惹かれる。次の瞬間、アフリカに「最後の」植民地があることを知ろうとしない私は不意を突かれ、頁をめくる(装丁はパフォーマンス・アーティストのイトー・ターリによる)。

 西サハラはそれまでのスペインからの支配が終わるやいなや、1975年北の隣国モロッコに侵攻され、以来今日まで植民地支配を余儀なくされている。長大な砂の壁で隔離された占領地と、支配を逃れた人々が隣国アルジェリア領土内に築いた難民キャンプの二つに分断されて。

 本書では、西サハラには水産資源(たとえばタコはモロッコ産として日本に輸入されている)とリン鉱石という地下資源があること、モロッコによる実績作りの支配が国連をはじめ国際的に認めらていないにもかかわらず続く「国際正義と占領支配」の対立がある経緯、そしてモロッコのゴリ押しを成り立たせるフランスとの関係などが分かりやすく解説される。

 読み応えがあるのは、それにもかかわらず抵抗の意思がブレないサハラーウィ(サハラの人々)の力強さと、その生活ぶりを記す著者の真摯なまなざしである。そもそもが遊牧民族であったサハラーウィによる難民キャンプ生活の生命力(トゥイサと呼ばれる共同作業など)には勇気づけられる、オリエンタリズムが潜む自らの読みに警戒しながらも。

 本書の発行は、西サハラ問題についての情報が少ない現状において大きな価値がある。パレスチナ(イスラエル)問題をかろうじて知ることができたように、植民地構造という世界を共に生かされている私たちを、それは知ることでもあるのだから。

『抵抗の轍 アフリカ最後の植民地、西サハラ』
著者:新郷啓子
装丁:イトー・ターリ
発行:インパクト出版会
発行年月:2019年11月30日
  


2019年12月15日

『ある協会』ヴァージニア・ウルフ

『ある協会』ヴァージニア・ウルフ

 「フェミニスト・ウルフの原型がぎゅっと詰まった、とびきりのフェミニズム・フィクション」(訳者解説)という言葉がふさわしい1921年発表の短篇である。フェミニズム関連書籍を手がけるエトセトラブックスによる本邦初出版であり、なおかつ短篇読み切りの小冊子というユニークな試みのシリーズ第一弾でもある。ピンク色の薄い装丁はワクワクしながら手に取ってみたくなる。

 当時実際にあった女性蔑視に満ちた評論に対してウルフが挑んだ論争にインスパイアされて書かれたという意味では、言論人としてのモチベーションが立ち上がり、アクチュアルな同時代性もそこにはあっただろう。他方で、あくまでフィクションとして世に出すという作家の創造性の噴出も感じられる。

 ロンドンのある部屋に集まった女性たちが「質問協会」を結成する。男性主導の「社会」に変装するなどして潜入し、疑問に思ったことを質問し、その結果を協会に持ち帰り、仲間と共有する顛末がコメディ風に描かれる。父からの遺産相続の条件としてロンドン図書館の蔵書を全て読み切ろうとするポルという女性が、男たちの書いた本はどうしようもなく酷いと言って泣き出す冒頭場面は、男=知の権威に冷笑を食らわすと同時に、その欺瞞にそれまで気づかなかった女たちをヒューモアをもって笑っている。

 協会内で繰り広げられる意見の交換は、自明視された男性優位の事例を激しく糾弾する声あり、質問責めに乗り込んだつもりが戻ってくると質問されることの喜びを漏らす声ありと一様でなく、次第に混沌さを増す。とはいえ相手を論破するための議論は、そこには存在しない。その間、窓の外からは、男たちの勇ましい戦争(第一次世界大戦)の声が聞こえる。

 結末は、女は正しく男は愚かだというように単純ではない。語り手の〈自分を信じる〉というメッセージについて、訳者の片山亜紀は、批判能力(リテラシー)を信じることを読み取る。そこに本書を現代のフェミニズム運動に資する意義を見出しているともいえる。

 説話構造としては、女性たちが家の中の「協会」の集いという内部から、男性優位の「社会」の外部へ「行って戻ってくる」形式をとる。時間の経過と省略の手法を用いつつ、ドタバタ感を出す、それは演劇的空間とも言える。ウルフは、批判能力(リテラシー)を信じられるためという主張を間接的に想像させるために、「協会」内部で議論するだけでなく、「社会」に出て、そして戻ってくるという往復運動を採用し、フィクションとして成立させた。「行って戻ってくる」構造は、『船出』『灯台へ』などで得意とする手法である。

入手先の情報はこちらから。

『ある協会』
著者:ヴァージニア・ウルフ
訳者:片山亜紀
発行:エトセトラブックス
発行年月:2019年11月20日


2018/07/14
『自分ひとりの部屋』ヴァージニア・ウルフ
本書はイギリスで男女平等の参政権が認められた1928年に、著者がケンブリッジ大学の女子学生たちに向け開催された「女性と小説(フィクション)」というタイトルの講演を下敷きにしている。語り手として匿名の女性を設定、いわば入れ子構造のメタフィクションという仕掛けがなされているところがいかにも著者らしい。…

2018/06/30
『灯台へ』ヴァージニア・ウルフ
 明日灯台に行くことを心待ちにする幼い息子と息子を愛おしむ美しい母親、他愛ないそのやり取りに横やりを入れる不機嫌な哲学者=父親。イギリス人家庭を題材にした小説はそのような情景から始まる。場所はスコットランド孤島の別荘。時代は第一次大戦の頃。母親ラムジー夫人を中心に、別荘に集まる数人の関係を素描…

2018/06/13
『船出(上)(下)』ヴァージニア・ウルフ
 モダニズム作家ウルフのデビュー作本邦初訳。ロンドン生まれで世間知らずの若い娘レイチェルを主人公としたビルドゥングスロマン。南米に向けた船上での人々との出会い。到着後のホテルとヴィラ二カ所を拠点に、原住民の棲む奥地へと進む船の小旅行。アメリカへと覇権が移ろうとする大英帝国没落の予兆とオリエンタ…

  


2019年12月14日

『百年の散歩』多和田葉子

『百年の散歩』多和田葉子

 「カント通り」「カール・マルクス通り」「マルティン・ルター通り」・・・というようにベルリンの通りの名前が各篇についた短篇集。「わたし」は「百年」の歴史を現在形で「散歩」する。目にする外部からの刺激のひとつひとつに対し、あるいは異物としてのコトバについて、初発の物語を想像しては戯れる「わたし」の移動が、読む者をも自由にさせる。その徒然でふと記される、待ち合わせしているはずの「あの人」という言葉が、ロマン主義と現実主義の双方として不意を打つ。でも、それはやさしい。

『百年の散歩』
著者:多和田葉子
発行:新潮社
発行年月:
2017年3月30日

  
タグ :多和田葉子


2019年12月12日

『ハウジングファースト 住まいから始める支援の可能性』

『ハウジングファースト 住まいから始める支援の可能性』

 ホームレス状態にある人への我が国の支援は、集団生活をし、まずは治療を受け、就労支援を受けて、社会のなかで自立する準備が整ってから初めて住む場所が決まる「ステップアップ方式」がとられる。しかし、この支援を受けた人の中にはドロップアウトして路上生活に戻ってしまう人が少なくない。これに対し、ハウジングファーストは、住まいと支援サービスを独立させ、無条件で先にアパートを提供する支援を行う。

 その背景にはハームリダクション(健康上好ましくない行動習慣を持つ人が、そうした行動を直ちにやめられない場合に、危険をできる限り少なくすることを目的とした考え方)がある。治療を受け、断酒し、就労ができるというような「あるべき状態」を押しつけるのではなく、安定した住まいを得ることで、危害を低減させる方が有効であるというように。

 このように、良かれと思った支援が当事者からソッポを向かれる問題について、「生きづらさ」という言葉をキーワードに掘り下げた議論が展開される(《第6章 ハウジングファーストの人間観とアプローチ》 小川芳範)。

 障がいとは、症状を引き起こす原因を内包する特定個人の問題であり、それを共有しない健常者である自分たちは無関係であるという意識をもたらす。他方で、生きづらさとは、誰もが経験するものであり、健常者と障がい者の区別はない。さらに、生きづらさは当事者の主観、内的経験と切り離すことができない。

 これに対し、支援者は、生きづらさイコール除去される問題(ないし欠陥)という見方をしてしまいがちであり、その結果、その人が持つ「強み」を見失い、旧来の悪しき問題解決中心型アプローチへと逆行してしまうことに、著者は注意を促す。生きづらさとは、それを生きる当人と、その人を取り巻く環境との相互作業において生じるものであることを忘れてはいけない、と。

 なるほど、当人の行動パターンを変えることで生きづらさを軽減することは必要ではあるが、そうした行動パターンは、それがかつて果たしていたであろう「強み」ないし「機能」という視点からも理解されるべきである。「それがかつてのようにうまく機能せず、それどころかかえって生きづらさをもたらしているのだとしても、それは本人にとって自らの生きてきた過去に裏打ちされた、かけがえのない大切な履歴書であり身分証明書であり、そして、自らに与えられた唯一の選択肢である(あるいは、本人にはそう見える)ことを、支援者はその個別性において理解すべきであり、相応の評価と敬意をもって、その人の今ある姿として見つめるべきである」(123ページ)。

『ハウジングファースト 住まいから始める支援の可能性』
編者:稲葉剛・小川芳範・森川すいめい
発行:山吹書店
発行年月:2018年4月20日


2019/09/30
『「助けて」が言えない SOSを出さない人に支援者は何ができるか』
 子どもの自殺予防においてなされる「SOSを出してほしい」、「援助希求能力を高める」というスローガン。確かにそれは間違っていないが、ちょっと待ってほしいと、編者であり、自殺予防や薬物依存症の問題に取り組む精神科医の松本俊彦氏は危機感を露わにする。援助希求能力が乏しいとすれば、そこにはそれなりに理由…

  


2019年12月09日

『アメリカ文学と映画』

『アメリカ文学と映画』

 本書はアメリカ文学と映画についての17個のアダプテーション研究論文が集録されている。アダプテーションとは「別のメディアの先行する作品を基に芸術作品を作るプロセス。また、そのように作られた二次的作品」(オックスフォード辞典)のことをいう。原作の方が映画化作品よりすぐれている、あるいは映画化の評価基準を原作通りであるか否かで決めるといったよくある見方から我々を解放してくれる。

《7 小説的社会と映画的世界 『アメリカの悲劇』、エイゼンシュタイン、「陽のあたる場所』小林久美子》

 シオドア・ドライザー著『アメリカの悲劇』(1925年)は、貧しい出自の青年が、地元の名士の娘との婚約と成功を目前としながらも、つきあっていた女工を殺し死刑となる悲劇を描いた長編小説である。ジョセフ・フォン・スタンバーグによる映画作品(1931年)が「原作の早回しのような映像版あらすじと化し」(110ページ)たのに対し、ドライザーは上映中止の訴訟を起こした。これに対し、著者は商業映画化にとって時間的制約は不可避であり、プロット展開の遅い同作品を映画化すること自体、そもそもそぐわないのではないかとの疑問が生じることに触れる。その上で、1930年に映画化を依頼されたセルゲイ・エイゼンシュタインは、主人公の「個」と「社会」のぶつかり合いをモンタージュ技法によって表現することで、原作が映画化にふさわしいことを理論的に証明したことに注目する(結局映画会社の意向で映画化は実現しないのだが)。

 本論考が秀逸なのはこの後である。『陽のあたる場所』(1949年)で見せるジョージ・スティーブンス監督の撮影技法について、当該カットのビジュアルと併せてなされる批評がそれだ。それは「通常あますところなく被写体を捉えるはずの接写が、本作においては、むしろ観客にすら踏み込むことのできない不可侵の領域を指し示す」(115ページ)。それがドライザーやエイゼンシュタインの想定する〈社会〉と異なるのは、「その顔だけでスクリーン上の〈世界〉が成立してしまうような、隔絶された個人を表現」(116ページ)している点にあるとする。

 ベーシックな形式として、文学では〈個〉(「内面」)はセリフに、〈社会〉は(地の文)に分けられ表現されるとすれば、エイゼンシュタインはそのプロット展開の遅さをモンタージュ技法で解消し、スティーブンスは撮影技法によって〈社会〉よりも〈世界〉を表現したとする評価は、文学と映画の表現形式の違いとそれぞれの利点を思想的に表現し、読ませる。

 これ以外にも個人的に唸らされた論考を挙げる。《9 ひとりで歩く女 ウィリアム・ワイラー監督『噂の二人』 相原直美》は、人間がただ黙々と歩くラストシーンこそ原作者のヘルマンが現したかった成熟した女性共同体へと向かう姿であるとし、アダプテーションの価値と快楽を見出す。《12 裏切りの物語 『長いお別れ』と『ロング・グッドバイ』 諏訪部浩一》は、フィルム・ノワールと相性の良いレイモンド・チャンドラーの前期ハードボイルド小説を乗り越える試みとしてあると『長いお別れ』を評価した上で、その問題意識を共有していたであろうロバート・アルトマン監督作品について「観客の期待」を裏切ることを目的として撮られた映画であると刺激的に問いを投げかける。《17 コーマック・マッカーシーの小説とコーエン兄弟の映画の対話的関係の構築をめぐって 『ノーカントリー』における「暴力」と「死」の映像詩学 山口和彦》は、小説で記述される戦争体験や人間の内面世界を省略し、ハンティングのシークエンスから「撃つ/写す」(シューティング)という主題を提示するコーエン兄弟の企みに、対話的関係という映像表現の本質を見出す。

『アメリカ文学と映画』
編集責任:杉野健太郎
発行:三修社
発行年月:2019年10月30日
  


2019年12月08日

『まく子』鶴岡慧子

『まく子』鶴岡慧子

 瑞々しい撮影であり演出がみられる。

 枯葉を撒くという身体から発する上下運動の寓話性。おそらく原作のポイントであるそれが、原作の段階で「映画的」であると予想され、それを「映像化」したらどうなるか。どのような演出が可能か。その課題に挑戦している。そこに限界があるところが惜しい。

 少年の成長物語に対するミューズを演出するというのは、意外と難しいものなのか。

監督・脚本:鶴岡慧子
出演:山崎光/新音/草彅剛/須藤理彩/つみきみほ/根岸季衣/小倉久寛
原作:西加奈子
劇場:キネカ大森
2019年作品

  


2019年12月08日

『半世界』阪本順治

『半世界』阪本順治

 自分が思っていること、感じていることと、自分にとって大切な他者が思っていること、感じていることの差異。言葉を換えれば、贈与とお返しの互酬性が交換様式の共同体と商品交換の差異。

 自衛隊員として海外派遣され、一人故郷を離れた瑛介(長谷川博巳)が、なんの前触れもなく地元に戻って来た。炭焼き業を営む紘(稲垣吾郎)は瑛介に何かがあって心の傷を抱えていることを察知し、声をかける。瑛介はいう。お前が知っているのは社会にすぎない。俺は世界を知っている、と。難しいこと言うなよ、と紘が返す言葉がやさしく、遣る瀬無い。

 紘、瑛介と小学、中学と仲の良い同級生だった光彦(渋川清彦)は三人の関係性が平等な正三角形だというのが口ぐせ。映画の光の当て方は、だが、紘、瑛介に比べ控えめである。正三角形が脆いことを一番知っているのが光彦であり、だからこそ紘、瑛介の対立構造を微妙に按配できる。

 渋川清彦目当てで見たのだけれども、これまで役者としての姿を見たことがなかった稲垣吾郎の表情がよく(阪本順治がいいところを拾っている)、アメリカンニューシネマのアンチヒーローのような長谷川博巳もこれまた素晴らしい。ということは、渋川清彦が良いということなのだろう。あのヘラヘラがたまらない。

『半世界』
監督:阪本順治
出演:稲垣吾郎/長谷川博巳/渋川清彦/池脇千鶴/小野武彦/石橋蓮司/杉田雷麟
劇場:キネカ大森
2019年作品


2018/01/26
『魂萌え!』阪本順治
 あっけなく夫(寺尾聡)に先立たれた平凡な主婦(風吹ジュン)は、夫に不倫相手(三田佳子)がいたことを知る。それからの再生のドラマ。その道行きの自由な展開に先が読めずドキドキする。なにしろ最後は唐突に映写技師になって『ひまわり』を映写しているところがエンディングなのだから。これは風吹ジュンのため…