てぃーだブログ › 「癒しの島」から「冷やしの島」へ › 今日は一日本を読んで暮らした

2008年01月11日

琉球の「自治」その4

琉球の「自治」 

松島泰勝著 藤原書店 2007年

軍事基地だけでなく、開発・観光のあり方から問い直さなければ琉球の平和と繁栄は訪れない。琉球人である著者が、豊富なデータをもとに、それぞれの島が「自立」しうる道を模索し、世界の島嶼間ネットワークや独立運動を検証。





第四部 琉球の真の自治とは何か

沖縄にとって自治の目的とは?それを考察するために第八章では琉球独立運動の歴史を振り返る。第九章では世界の独立、反基地、脱殖民地化運動のいくつかに触れ、どのように、なぜそれらはなされたのかを検討する。特に著者が赴任していたグァム、パラオの事例が詳細に報告されていて一読の価値がある。

第十章はまとめとして琉球の将来像を探る。まず歴史を振り返り、中国型華夷秩序に入ることによって活動範囲が拡大し、諸外国との外交関係を確立した大交易時代に学び、多様なネットワークでアジアと繋がり、島の自律性が増すことが確認される。

これまでの独立論、あるいは自治論は経済開発を前提にしたものが多かった。「琉球独立党」党首野底土南の主張、「琉球自治州」の構想など。同じ観点から沖縄自治研究会の沖縄自治州基本法制定についても触れている。財源移譲の一括、原油、天然ガス、熱鉱床に対する自治州税、米軍基地への課税等の財政調整を挙げていることに対して、著者は「財政的基盤に固執すると、他者からの誘惑に乗り、他者の侵略を招く恐れも生じてこよう」と述べ、財政的裏づけなしに自治は実現しないのかと疑問を投げかけている。

では真の自治を達成するためにまず何をすべきか?著者は以下の提案をする。沖縄の開発を東京で執行している内閣府沖縄担当部局を廃止する。税収を一旦中央政府に集め補助金という形で分配されるシステムから脱し、補助金をなくし、税収で財源を賄う。「税収分だけの行政を行い、地域づくりの根幹は住民の自治に委ねる。」資本集約的産業から労働集約的な生産体制、つまり自給自足体制を確立する。生産労働だけでなく生活労働も重視する。次の引用で具体的イメージが沸くだろう。

そのためには、琉球弧各地に自治、自立的な生活や生産を学びあう場を設置してはどうだろうか。そこで開かれるワークショップに住民が参加して、真の自治について学ぶ。そして、琉球にはどのような政治経済的、社会的問題があり、それを解決するために必要とされることは何かを話し合う。自分たちの関心、技、知識や知恵を持ちより、力を提供し、自分たちでできる範囲内で協力しながら様々な生活や生産の場を作り上げていく。自給自足や地産地消の産業を構築する場が琉球弧の各地で育てば、住民参加による内発的発展は自ずと実現するだろう。琉球弧の島々のそれぞれが有する諸条件に合わせて、市場、再分配、互酬がバランスよく存在する状態が望ましい。(P.282)

(つづく)




  

2008年01月10日

琉球の「自治」その3

琉球の「自治」 

松島泰勝著 藤原書店 2007年

軍事基地だけでなく、開発・観光のあり方から問い直さなければ琉球の平和と繁栄は訪れない。琉球人である著者が、豊富なデータをもとに、それぞれの島が「自立」しうる道を模索し、世界の島嶼間ネットワークや独立運動を検証。





第三部 島々の「経世済民」

「経済自立」とは何を意味するのか?例えば沖縄県庁は、財政依存、基地経済依存の状態から脱して、経済成長の原動力を地域内部に据えることにあるとコメントしている。著者はこれに対し、「市場経済を島全体に拡大することに他ならない」と批判する。これでは「拠点開発主義となんら変わらない」ではないかと。

では、そうではない「本当の豊かさ」とは何か?経済成長を無限に求めるのではない自立の在り方とは?著者はそのヒントを再分配、互酬のシステムが残る八重山地域に求める。

西表島の石垣金星・昭子夫妻の「島おこし運動」、文化が経済を救うともいえる、島民自ら自治のルールを定めた竹富島憲章。共同売店を中心にユイマール精神が強い波照間島、公民館が自治の柱といえる小浜島や黒島、「国境交流特区」を政府に求める与那国島。そしてイノーという豊かな自然が自給自足の生活を可能にさせる石垣島白保。

琉球弧の島々の発展はどうあるべきか?日本政府の差し出す経済振興策に対して非協力の姿勢をとれ、と著者はいう。なぜなら「基地移転のための話し合いとは言葉を変えると、新たな経済開発の交渉に他ならない」から。その上で再分配、互酬のシステムに基づいた独自の文明を形成するべきだと。「生産者・消費者協同組合、NPO・NGO、共同売店、公民館等、地域の社会的まとまりを土台とする発展を軽視してはならない。競争原理や効率化を推し進めることで失業者を増やすのではなく、人間が地域の中で活躍できる場を生み出す。所得が少なくても『豊かな生活』を享受できる社会を構築する」

(つづく)  

2008年01月09日

琉球の「自治」その2

琉球の「自治」 

松島泰勝著 藤原書店 2007年

軍事基地だけでなく、開発・観光のあり方から問い直さなければ琉球の平和と繁栄は訪れない。琉球人である著者が、豊富なデータをもとに、それぞれの島が「自立」しうる道を模索し、世界の島嶼間ネットワークや独立運動を検証。




第五章 米軍基地の経済学

基地依存経済の形成
日本唯一の地上戦である沖縄戦を勝ち取った米軍は「銃剣とブルドーザー」で次々と土地を強制収用していく。米軍は地代の一括払い、新規土地接収を認めるという「プライス勧告」(1956年)を出したが、その強引な条件に抵抗する住民の運動の輪が広がり「島ぐるみ闘争」に発展した。運動が収まらないことに業を煮やした米軍は一括払いを取り下げた。この反基地運動は主に政治史の文脈で語られるが、著者は経済闘争としての側面に注目する。つまり米軍が経済的に譲歩したことによって、以降の基地経済への依存を深めたという視点だ。

沖縄の経済人は開発のカードとして基地を捉えている。その代表ともいえる国場幸一郎は、終戦後の基地化に伴う膨大な投資が沖縄に景気と繁栄をもたらし、多くの若者が職を得、基地内の高度な技術を学び、地場産業が育ったと述べ、「反対ばかりで日本政府に投げかけることだけでは解決にならない」と結論づけている。基地によって経済自立がなされるというこの考え対して、著者は「基地をカードにして補助金をさらに獲得しようとすることは中央政府への依存であり、『経済の自律発展』や地方分権としての道州制とは矛盾している。~琉球では『経済自立』という言葉が、本来の自立とは逆の意味内容で使われている」と論破している。

この指摘こそ「(反)基地か経済か」の二者択一を争点とする沖縄の政治状況という仕掛けられた欺瞞を暴いている。基地を受け入れ補償金を得、開発を続けてきた結果が、変わらず高い失業率、沖縄の宝である自然環境の破壊、そしてなによりも中央政府への依存=自治の崩壊をもたらしたことは火を見るよりも明らかだ。
  

2008年01月07日

琉球の「自治」

琉球の「自治」 

松島泰勝著 藤原書店 2007年


軍事基地だけでなく、開発・観光のあり方から問い直さなければ琉球の平和と繁栄は訪れない。琉球人である著者が、豊富なデータをもとに、それぞれの島が「自立」しうる道を模索し、世界の島嶼間ネットワークや独立運動を検証。






第二部 琉球の開発と密接に結びつく米軍基地

第四章 琉球の開発と米軍基地

本章では開発と米軍基地の関係が論じられる。沖縄の「本土復帰」時に採られた開発手法は拠点開発方式、つまり、工業地帯、石油化学コンビナートなどの大規模な開発拠点を設置し、周辺地域に経済効果を波及させる手法のこと。ここで著者は重要な指摘をしている。これらの開発はいわゆる本土との「格差是正」のためのものと一般的には認知されているが、それのみではなく、次に準備される東南アジアへの援助計画のための実験・調査、つまり日本の国土開発として位置づけられていたという。すなわち、沖縄を国際化、その中核地域を都市化し、情報や交通をネットワーク化し諸外国と結ぶ。そのための大型港湾の建設、国際空港の整備拡張、交通網の整備であった(私見ではこの思想は昨年安倍政権が打ち出した「アジアゲートウェイ構想」まで続く)。

著者は基地と開発の類似点を強調する。上記の通り開発も国家戦略の一部であり、安全保障体制の根幹である米軍基地とその点は同じだ。また両者は自然環境や地域共同体を破壊し、対外的依存度が高い点でも似ている、と。拠点開発主義を踏襲している観光も同じ構造を持つことから、観光・開発・基地の三位一体構造といえる。「基地にはNOだが観光は良いもの」とする立場は矛盾していると著者はいう。

ではこれら問題含みの開発に対して、沖縄側はどう認識してきたか?沖縄側の回答とそれに対する著者の指摘部分を長くなるが引用する。

2003年以降の南琉球における開発の方向性を決める沖縄振興計画の内容を巡って、沖縄県議会で以下のような議論が展開された。「新たな沖縄振興に当たっては、今後とも国の責務による支援が必要であります。そのため、沖縄振興計画については引き続き国の責任で策定されるとともに、これまで大きな役割を果たしてきた社会基盤等に係る効率補助等特別の措置を講ずることについても、現行のまま沖縄振興新法に引き継ぐ必要があるものと考えております」。沖縄県庁側から効率補助の継続を求めており、国への依存度を深め、それから抜け出そうとしておらず、国に新計画の策定を求める他人任せの姿勢が明確である。(P.103~104)

その後も経済自立目標が達成されなかった責任を外部に転換し、尚いっそうの開発が必要であると求める県の姿勢が批判されている。そしてこのように「格差是正」、「高率補助」、「開発」を求める姿勢は野党革新側も同じだ。そこにあるのは、沖縄戦から続く歴史的政治的格差は日本政府の責任であるから、その代償を求めるのは当然であるという共通の認識である。これに対し著者は「日本政府の責任を追及する手段として『格差是正策』は考えられており、琉球人は島の開発を国の当然の義務とみなし、開発に対し傍観者的立場にたった。開発が失敗しても日本政府の責任を問えば済むという、琉球の開発を他人任せにする風潮が生まれたのではないか」と嘆く。

(つづく)
  

2007年09月18日

2007年09月16日

2007年09月10日

2006年12月31日

2006年12月 読書リスト

『季刊前夜 第1期9号(2006年秋) 特集移動と記憶』




新川明インタビュー、屋嘉比収、新城郁夫論文が読み応え有り。



『公共性の構造転換』
ユルゲン・ハーバーマス著 未来社 1994

公共性の構造転換
ユルゲン・ハーバーマス著 / 細谷 貞雄訳 / 山田 正行訳
未来社 (1994.5)
通常2-3日以内に発送します。



17世紀イギリスのカフェ、18世紀フランスのサロンと「公共施設」の変遷が興味深い。

ロンドンのカフェ・ハウスがジャーナリズム発祥の地であった!



『世界経済の政治学』
イマニエル・ウォーラーステイン著 同文館 1991




翻訳としては比較的読みやすいはずだが、あえなく挫折・・・



『あら皮ーー欲望の哲学』
バルザック人間喜劇コレクション第10巻 藤原書店 2000




ブラボー!
ついにこの選集を読むときが来た。
忍耐の後に至福の訪れがあることを知る
ーーそれがバルザックを読むという快楽に他ならない!

情報小説
時間小説
性と死

贅沢なまでに盛り込まれてごちそうさま!



『細切れビジョンで、なんでもできる!』
枝廣淳子著 サンマーク出版 2006

細切れビジョンで、なんでもできる!
枝広 淳子著
サンマーク出版 (2006.10)
通常24時間以内に発送します。



バックキャスティングで自分マネージメントを。
この通りできたら怖いものなし!
  

2006年11月24日

『シマが揺れる 沖縄・海辺のムラの物語』




『シマが揺れる 沖縄・海辺のムラの物語』


ブックレビュー読んでね~

とにかくこれは企画力の勝利。

この十数年の基地に揺れる北部の状況がよく分かる。
中南部で生活していては分からない。

そしてやはり真生さんでなければ撮れない。

超お薦め!

皆さん、買いましょう!
このままbk1で買うと私にポイントがつきます(笑)。  

2006年11月01日

2006年10月 読書リスト

『クォータリー「あっと」』5号

クォータリー〈あっと〉 5号
オルター・トレード・ジャパン 『at』編集室編集
太田出版 (2006.10)
通常24時間以内に発送します。



ますます商売っけがなくなる「あっと」。
大丈夫か?



『現代思想9月号 特集・・・日米軍事同盟』


豪華な顔触れの執筆陣を裏切らない濃い内容。

中でも「討議・・・日米同盟再編の抗して」の新城郁夫さんの語りには読んでいて勇気づけられる。基地問題にしろ県知事選にしろ、感情的応酬が目立つ中、その「理論的怒り」には救われる思いだ。



『奄美の債務奴隷ヤンチュ』

奄美の債務奴隷ヤンチュ
名越 護著
南方新社 (2006.9)
通常1-3週間以内に発送します。



書評あり。



『憲法は、政府に対する命令である』

憲法は、政府に対する命令である。
ダグラス・ラミス著
平凡社 (2006.8)
通常24時間以内に発送します。




レビューしなければと思いつつサボったままの一冊。



『新聞記者の誕生』

山本武利著 新曜社 1990

既に触れているので詳細は省くがかなりの良書だ。  

2006年10月29日

「不偏不党」の起源

本音を隠す言葉の暴力―「抑止力の維持と負担軽減」のウソ16段目でこう書いた。


少なくとも読者は「集落の上空を避けられる」ことが既成事実であるかのように受け取る。ここには新聞記者がそう意識しているか否かに関わらず、「不偏不党」という中立性=透明性に忠実であることで権力側の言説を代表する=代弁する力に吸い寄せられるカラクリが見て取れる。

ここには「市民記者」なる立場で記事を書き編集部とのやり取りを重ねる中で、「不偏不党」という言葉を疑うようになった経験が背景にある。

そこで「不偏不党」の起源を探ることにした。図書館に行き、関連図書数冊を借りた。

最初に手にした書の序に書かれている内容は、早くも正に求めているものだった。以下にメモ書きを記し、思考を鍛える端緒にしたい。


:::::::::::::::::::::::::


『新聞記者の誕生』山本武利著 新曜社 1990


序 コミュニケーション史における記者


一 封建社会と「世間師」


中世ヨーロッパにおいて、閉鎖的な共同体郡をつなぐものとして、行商人、職人、旅芸人、教会人などの漂泊者がいた。彼らは外の世界の情報を共同体に伝える役割を果たしていた。

日本でも富山の薬売り、高野聖などの行脚僧、旅芸人などが、共同体と共同体の間を徘徊し、人間的なメディアとして情報を伝えた。柳田國男が「世間師」「遊行者」とよぶ人びとがそうだ。他郷の情報に強い好奇心をいだく田舎の人びとは、その話に熱心に耳をそばだてた。



二 都市の成立と「世間師」


出版、新聞など新しいメディアの都市での誕生は、「世間師」の都市への定着なくしてはありえなかった。また「世間師」こそは記者のルーツそのものである。そしてかれらはもっとも都市的な職業であった。その職業に従事する人たちは、情報に敏感な都市の人びとを満足させるために、村落共同体の人びとに対する以上の情報への感性とサービスが必要とされた。そして、都市での情報メディアの形成は、「世間師」から情報提供サービスの機能を奪い、かれらの共同体での存在意義を減少させるものであった。(p.20)


三 「往来交通」と記者の対立意識


西南戦争後の民権論が本格的な高まりをみせはじめた明治12年(1879)11月21日の『朝野新聞』に、「往来交通」というタイトルの社説が無署名で掲載された。コミュニケーションに「往来交通」の訳語をあてている。


・・・民権派の新聞の理念型には、コミュニケーションは送り手から受け手への一方的な流れではなく、送り手と受け手相互の情報の交換、役割の互換を前提としている。新聞は読者とともにつくるものであり、そこには読者の参加が前提とされていた。その参加というのも、新聞への投書や通信に大きなスペースを割いたり、投書家を記者に登用するだけではない。記者が組織した政党、政治団体、演説会への積極的な参加を当然視していた。読者と記者は相互の活発なコミュニケーションを通じて、新聞という運命共同体を築き、その新聞を通じて社会や政治の改革や革命を目指す仲間いや同士なのであった。(p.22)


権力者は水平的、横断的な「往来交通」が活発になり、反政府的な世論が形成されることを恐れた。なによりそれが民権派によって駆使されるのを恐れた。そして記者、投書家、演説家を容赦なく弾圧していった。特に投書家への弾圧が厳しかったのは、彼らが記者の予備軍だったからだけではなく、地方農村の政治的オピニオン・リーダーだったからだ。
これら民権派新聞だけでなく官権派新聞も明確な対立意識を持ち、読者もそれを支持し声援を送った。このように記者、読者、投書家が三位一体的に同一化したニューメディアが民権期の特色といってよい。



四 「不偏不党」と政論記者


ところが自由民権運動のピーク時に、その運動の機関紙としての政論新聞の内部に有力紙の政党離れ、機関紙離れが顕在化してしまった。明治16年(1883)6月の『朝野新聞』の「不偏不倚」宣言がそれである。これは明治20年代から民権派系各紙に波及する「不偏不党」宣言の先がけであった。~
民権派の政党幹部=有力記者が内ゲバにうつつを抜かして、自らの行為が権力者に漁夫の利を与えていることに気づかないときに、権力側が政論記者の代表格の成島柳北と末広重恭の政見上での仲間割れから生ずる『朝野新聞』の脱機関紙の到来必至をすでに6ヶ月前に察知し、待望していることがわかる。この『朝野新聞』の転換とそれへの権力側の歓迎振りは、「不偏不党」の本質を解明する手がかりを提供してくれるものなのだ。(p.27)



政府系新聞の『東京日日新聞』は早くも明治9年(1876)「不党不偏」という言葉を使って政府御用、民権派否定の立場を鮮明にしていた。そして御用、民権派の対立がピークの明治15年に創刊された大阪の政府御用紙『大東日報』は、「本社ハ常ニ官民ノ間ニ介立シテ不偏不党正理ヲ守リ是非曲直ヲ痛論批評ヲ為スト雖ドモ、宣ク臣民ノ本分ヲ守リ法律ヲ遵奉スベシ」と社是を述べている。この動きは後の憲法発布時に超然主義を唱え、政党責任内閣を否定する藩閥政府の論理を準備するものに他ならず、実際に憲法が発布されると、政府と連動した御用紙の相つぐ「不偏不党」宣言がおこなわれた。 

                             
「不偏不党」は一見、ニュートラルに見えるが、しかしきわめて強い権力傾斜の対立意識を表明していた。それはスチュアート・ホールがいう支配的なイデオロギー的言説を再生産させるメディアの論理にほかならない。つまり権力側の非権力側への対立意識をすぐれて表現するのが「不偏不党」ではなかったろうか。(p.31)   


結果的に「往来交通」論者の民権派的なコミュニケーション革命は実現せず、「不偏不党」という権力側のコミュニケーション革命が実現してしまった。



五 「小新聞」の発展と新聞経営者


政府からの弾圧によって減少した政論新聞に変わって読者を吸収したのが「小(こ)新聞」であった。「小新聞」は政論中心の「大(おお)新聞」に対して紙面が小さく、ふり仮名、挿絵つきの艶種、警察種などの社会記事を載せ、政論は欠落していた。「大新聞」は知識人、士族などが読者層で、「小新聞」は商人、職人などに愛読された。

明治21年(1888)創刊の『東京朝日新聞』は「小新聞」になかった論説的活動を取り入れた。つまり営利主義と「不偏不党」、「小新聞」と「大新聞」とを合体させることで新聞界のリーダーとして台頭した。

山県有明は民営の新聞を援助して、政府側に立つ対立意識のメディアとして強化する政策を持っていた。それを実行するためには、公然たる政府系新聞よりも、一見無色の『朝日新聞』のような新聞のほうが望ましいことも指摘している。

経営者ももはや「往来交通」を望まない読者をたんなる消費者と看做し、「不偏不党」=政府支援活動の機能を知って知らずか、「不偏不党」=営利主義活動に力を入れるようになる。



六 上意下達と報道記者


記者は2つの点で中央志向、頂点志向となった。社内的にはピラミッド構造のなかで上からの指示を仰ぎ組織の歯車となる。社外的には中央の役所や企業からのニュースソースに配置された記者クラブに安住し、そこで配布された情報を全国へ伝える。

「不偏不党」化した新聞は、権力側の中央の情報を底辺記者に伝達する上意下達のメディアとなった。



(概略ここまで)
:::::::::::::::::::::::::

経営者ももはや「往来交通」を望まない読者をたんなる消費者と看做し、「不偏不党」=政府支援活動の機能を知って知らずか、「不偏不党」=営利主義活動に力を入れるようになる。

ここにおいて「不偏不党」=権力装置の起源は忘却され隠蔽される。同時にそれは営利主義活動=資本制経済によって強化される。  

2006年10月20日

『共同店ものがたり』発売




季刊カラカラ別冊『共同店ものがたり』が発売された。

取材スタッフで参加していま~す。
国頭村・東村・今帰仁村・名護市・うるま市36店を担当。

宮古・八重山を含め68店を全般的にガイドした初めての試み。

共同売店ファンクラブ代表・マキシさんの地道な努力が叶った乾坤一擲の一冊!

取材中にも
「先月で閉店しました」
「今月いっぱいで閉店します」
というような声を聞いたように、
減少化は現在進行形だった。


課題として思い浮かんだこと

商店機能としては仕入を工夫する

ターゲットが部落の人というのが基本であることから考えれば
大幅なコンセプトの変更はありえない。

生き残りとしては商店機能を維持しつつ別事業の創出、
他事業との連携などの「攻めの」戦略が不可欠ではないか。

いずれにしても「地域自立・自治」を最大のコンセプトにする逆手の発想が欲しい。
かつての名護市「逆格差論」は未だ使える戦略だ。

  

2006年10月01日

中上健次生誕60周年記念号




熊野大学文集『牛王』(ゴオウ)vol.4
中上健次生誕60周年記念号



小説家・中上健次が生誕して今年で60周年を迎えるという。
46歳で亡くなったのだから、それから14年経つということになる。

ということは中上を読み離れて10年以上たつということだなあ、などと感慨にふける。
そんな私の軽薄な感慨とは設定温度の違うゴローさんから『牛王』が送られてきた、20冊も。

熊野大学は生前の中上が生誕の地に建てた自由な学びの場だ。中上の死後も(というか死後の方が)熱心な参加者の手で毎年8月に合宿形式でその活動は継続されている。中上にゆかりのある豪華な参加者の顔ぶれも本気度100%の雰囲気を伝える。

時より耳にするその噂に私は毎回嫉妬する。沖縄にいて別の場所が気になることなどあまりないのだが、ここは例外だ。

ゴローさんもその参加者の一人。今回の第4号には小説を出稿している。


主な執筆陣は以下の通り。
瀬戸内寂聴・勝目梓・宮尾登美子・北方謙三・立松和平・青山真治・
渡辺直己・高澤秀次・いとうせいこう・中上紀その他。
中上健次最期の小説『青い朝顔』も掲載。



中上の遺伝子たちの文集『牛王』(ゴオウ)vol.4が私の手元にある。これを沖縄在住の中上ファンに届けたいのだが。
定価1000円、送料サービスでお届けします。
ご希望の方は住所、氏名、電話番号、メールアドレス明記の上、管理人宛にメールを下さい。こちらから発送後、指定のの銀行口座または郵便局口座にご送金下さい。
  

2006年09月30日

2006年9月 読書リスト

今月は風雲怒涛の日々。
よくもまあバタバタといろんなことが重なったものだ。
オーマイニュース創刊、
超突貫工事的仕事が飛び込みやんばるをこれでもかといわんばかりに車で走り続け、
それと同時期の県知事選候補者選びのゴタゴタ、
そして夏芽さん不当逮捕の緊張も重なり、
まともな神経ではいられない。
おかげで読んだのは2冊のみ。

10月は読むぞ!



『村上春樹論』

村上春樹論
村上春樹論
posted with 簡単リンクくん at 2006. 9.30
小森 陽一著
平凡社 (2006.5)
通常2-3日以内に発送します。



漫然と読んでしまった。
また読もう。
かつて『構造としての語り』のあまりにも刺激的な知のたくらみを何度も読み返した者としては、その後の小森さんの「政治色」をもっと吟味したいのだが。
来月の沖縄シンポが楽しみだ。



『島唄の奇跡』

島唄の奇跡
島唄の奇跡
posted with 簡単リンクくん at 2006. 9.30
吉江 真理子著
講談社 (2005.4)
通常2-3日以内に発送します。



泡瀬干潟埋立反対運動の小橋川共男さんが新報に書評を書いていたのを読んで興味をそそられた。

白百合クラブとハンセン病問題が繋がるという展開が読む者を惹きつけるが、フィクションではなく紛れもない事実である。







  

2006年08月30日

2006年8月 読書リスト

『鳥たちが村を救った』

鳥たちが村を救った
比嘉 康文著
同時代社 (2001.4)
通常1-3週間以内に発送します。



やんばるの基地問題を知るとっかかりにもなる貴重なレポート。





『ジャーナリズムの条件1 職業としてのジャーナリスト』


岩波書店 / 2005.2


個別の活動紹介が多いが、答えは百通りあるということか。





『クォータリーあっと4号』

クォータリー〈あっと〉 4号
オルター・トレード・ジャパン 『at』編集室編集
太田出版 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。



フィリピン特集という、ハードでタイトな内容もこの季刊誌ならでわ。

「世界史の中のフィリピン」私観 湯浅赳男著を持ってきたところが
編集力を唸らせるところ(などと思うのはオレだけか・・・)。

この列島はインド文明や中国文明の影響を受けた東南アジアの外側にあったことが、フィリピン人の根底にあるものである。この文明的にアジアの影響の外側でスペイン=アメリアの近代文明を洗礼を受けていることが、フィリピン理解の鍵である。

ということはとりあえず分かった。


フィリピン研究ガイドも、こんなの見せられると全部読みたくなるでしょ、
(オレはボルヘスか!)


他に吉岡忍×吉田司対談の「『根拠』を持たない運動の可能性」という話題が興味深い。





『センス・オブ・ワンダー』

センス・オブ・ワンダー
レイチェル・カーソン〔著〕 / 上遠 恵子訳
新潮社 (1996.7)
通常24時間以内に発送します。




一家に一冊『センス・オブ・ワンダー』

仕事の疲れに『センス・オブ・ワンダー』

「急かされているな」と思ったら『センス・オブ・ワンダー』

動植物の名前を覚えられないことが恥ずかしいあなたに『センス・オブ・ワンダー』





『ビデオ・ジャーナリズム』


書評あり。

  

2006年07月31日

2006年7月 読書リスト

日本という国


日本という国
日本という国
posted with 簡単リンクくん at 2006. 7.31
小熊 英二著 / 100%ORANGE装画・挿画
理論社 (2006.3)
通常24時間以内に発送します。




あなたも・あなたも・あなたも、そしてあなたも
読んでほしい!




韓国と出会う本


韓国と出会う本
石坂 浩一〔著〕
岩波書店 (2003.11)
この本は現在お取り扱いできません。



オ・ヨンホさんとお会いするので何冊か手に取った韓国入門書の一つ。
韓国についての本案内。
ジャンルごとに紹介され便利。




沖縄現代史


沖縄現代史
沖縄現代史
posted with 簡単リンクくん at 2006. 7.31
新崎 盛暉著
岩波書店 (2005.12)
通常2-3日以内に発送します。



戦後沖縄史概説として優れている。





『沖縄独立』の系譜

比嘉康文著 / 琉球新報社 / 2004.6


元沖縄タイムス、現在JanJan市民記者の著者による独立史。
じっくりレビューしたいところ。  

2006年06月28日

読書リスト 2006年6月

オリエンタリズム 下
E.W.サイード著 / 今沢 紀子訳
平凡社 (1993.6)
通常2-3日以内に発送します。



『オリエンタリズム』上・下
E.W.サイード著 / 今沢 紀子訳 / 平凡社 (1993.6)


サイードの古典。
読んだのは何度目か。
また完読できず・・・

ちっとばかりはしょって書いてよ、サイード先生。


本当に今月はこれだけしか読んでいないのか?
この本にしてから、読んだのは大分以前のような。
記憶が怪しい。

ヤバイ、夏バテが悪化しているぞ。  

2006年05月31日

読書リスト 2006年5月

米軍再編と沖縄の基地
山内 徳信著
創史社 (2006.3)
通常1-3週間以内に発送します。


『米軍再編と沖縄の基地 --国外移転こそ民衆の願い』

山内徳信著/創史社/2006年3月5日

米軍再編に間に合わせた急拵えの感が否めないが、
読谷村長時代以外の徳信さんの本としては初めてではないか?
そういう意味では価値有り。




世界共和国へ
世界共和国へ
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.31
柄谷 行人著
岩波書店 (2006.4)
通常24時間以内に発送します。


『世界共和国へ』

柄谷行人著/岩波新書/2006年

一応一度読んだ。
ころあいを見計らって?二度目にチャレンジするぞ。




パレスチナとは何か
エドワード・W.サイード〔著〕 / 島 弘之訳
岩波書店 (2005.8)
通常2-3日以内に発送します。


『パレスチナとは何か?』

エドワード・W.サイード〔著〕 / 島 弘之訳/岩波書店 (2005.8)

レビュー有り。




暴力の哲学
暴力の哲学
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.31
酒井 隆史〔著〕
河出書房新社 (2004.5)
通常2-3日以内に発送します。


『暴力の哲学』

酒井隆史著/河出書房新社/2004年5月30日

レビュー有り。



聖堂の日の丸
聖堂の日の丸
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.31
宮下 正昭著
南方新社 (1999.9)
通常2-3日以内に発送します。


『聖堂の日の丸』

宮下 正昭著/南方新社 /(1999.9)

ジャン松元さんのmixiブックレビューが素晴らしくて読んだ。
地方新聞記者の熱筆が心を打つ。  

2006年05月28日

『暴力の哲学』

暴力の哲学
暴力の哲学
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.28
酒井 隆史〔著〕
河出書房新社 (2004.5)
通常2-3日以内に発送します。




9・11以降、日本では新しい平和運動のスタイルが生まれた。それは主にインターネットを介して、様々な団体はもとより、組織、階層による束縛のない個人同士の間においても、自然発生的に瞬時に沸き起こったフレキシブルなアクションであった。それまで特定の利害に対するリアクションとしての特定の団体の抗議行動がその主流であったものが、それらに属さないような個人が、「平和」という普遍的なテーマの下に「発見」されていったのが特徴だ。その勢いの中でデモ行進は「ピースウォーク」と呼ばれ、権力への敵対意識丸出しの従来のスタイルは忌避された。ここで掲げられた「テロにも戦争にも反対」という「圧倒的に正しいスローガン」に対して、著者は割り切れない思いが拭えない。そういった極めてアクチュアルな問題意識から本書は書かれている。

暴力を哲学するとは、暴力を批判すること。この「批判」とは、暴力を拒絶することではなく、「(暴力の廃絶という理念に立脚しながらも)暴力そのもののなかに線を引く」ということだ。つまり暴力という言葉の使われ方に対して疑義を質し、吟味した上で、先の理念に近づこうという真摯な意志によって貫かれている。

その中で重要なキーワードが「非暴力直接行動」。キング牧師やガンディーによるそれは、日本の「ピースウォーク」のように警察権力とも仲良くする「ピースフル」なものとは相容れないものだと著者は指摘する。座り込みやデモ行進などの「非暴力直接行動のねらいは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張をつくりだそうとするものです」(キング)。つまり交渉の場に持っていくための巧みな戦術として必要なのだ。

キングの「危機感と緊張をつくりだす」という挑発的な言葉を、著者は「敵対性」という概念を挿入し、さらに吟味を加える。現在の日本の風潮では、「なにかあるシステムに対して『波風を立てる』こと自体が、ほとんど犯罪のように、しばしば『テロ』とみなされる傾向」がある。徹底して敵対性が回避された「市民社会」!政治への無関心!

一方で「戦争中毒」国家によるグローバルな再編に合わせた形で、この国の暴力は各種最悪法案の提出等が露出過多の状況にある。一方で「暴力はいけません」という「正し過ぎる」スローガンが叫ばれる。だがその漠然とした「正しい」モラルがかえって暴力に対する無感覚を肥大化する恐れがあるのではないか、と著者は危惧する。「敵対性と暴力を分けなければ、結局、暴力に直面しても聖人のようにふるまえ、という単なるモラル論、あるいは宗教論に帰着してしまうおそれがある。非暴力直接行動とは、より大衆の力を強化するために、要するに、よりラディカルにやりたいために暴力を控えることなのです。」

以上のことは、私が生活する「基地の島」沖縄での状況と照らし合わせると興味深い符号が見て取れる。労組、各種団体による抵抗の声。総決起集会、捻りハチマキ、たて看板、横断幕、シュプレヒコール、突き上げられた拳・・・。これら従来型の抵抗運動に対して、そこへ入ってはいけないが基地反対への思いを表現したい個人の声を掬い取る新しい運動の形も生まれつつある。一方で、一坪反戦地主・阿波根昌鴻の「伊江島の闘い」、現在の辺野古への普天間基地移設への反対運動に見られる、敵対する相手を招き、お茶を出すところから始める非暴力直接行動の継承がある(酒井氏はキングの説を柔術に例えているが、伊江島も辺野古もまさに柔術的ではないか!)。それらの敵対性を敵対性として認め、今後の運動の理論と実践を鍛える実用書として、本書の出現は大きい。
  

2006年05月19日

『パレスチナとは何か』

パレスチナとは何か
エドワード・W.サイード〔著〕 / 島 弘之訳
岩波書店 (2005.8)
通常2-3日以内に発送します。




『パレスチナとは何か』を沖縄で読む「私」とは何か


『パレスチナとは何か』は80年代半ばに発表された、彼もまたエグザイルであるジャン・モアによる写真との「共犯」ワークだ。その共犯とは、パレスチナ人=テロリストというような安易なイメージを否定することを目的とする。その手段として、流浪の民にふさわしい「本質的に型破りで雑種的で断片的な表現形式」、つまり文章と写真の相互作用を通して、分散したパレスチナ人のナショナル・アイデンティティーを極めて私的に描く、という方法が選ばれたわけだ。

ジャン・モアの写真が表象するものから、サイードは自らのパレスチナ人としてのインサイダーであると同時にアウトサイダーであるという宙吊り状態を表象=レプリゼントされ、そこから書くことを進める。そして読者は、写真からのテキストの生起ぶりを生々しく疑似体験してしまう。

この混沌ぶりが本書のひとつの魅力であろうが、そもそもエグザイルとしてのサイードにとって、写真の情景と自分の実生活とには隔たりがある。しかし同時に、遠く離れていても写真は容易にその情景を伝えることができる。例えばT字路で食べ物屋台を出している男と、自転車に乗る少年たちの後姿が写しだされた日常的な街路の写真に触れ、「彼らが売るものを買う時、私たちは、かつてと同じように、ポケットの中をこそこそとまさぐって見つけた小銭(通貨の単位は何だったろう、ピアストルか、フィルスか、はたまたシリングだったか)で支払う。」というように、生き生きとして具体的な描写がなされるのだが、その記憶を生起するや否や、今、ここにいない自らの宙吊り状態を発見してしまうのだ。

イスラエル建国後も尚その地に留まり、壁の中で生活する人々。サイードのようにそのアウトサイドにいる人々。どちらもパレスチナ人と呼ばれる。ここから民族とは何だろうか?という問いかけが生まれる。主体である「私」は生まれも育ちも生粋であり、そこで何の疑いも無く生活し続ける。客体である「それ」や「あなた」は外部にあり、威嚇的かつ異質なまま存在し続ける。これらが民族的同一性、排外主義的偏見を表現するものとなる。しかし、パレスチナ人の場合、己れ自身のアイデンティティーは、しばしば「他者」として知覚されるとサイードは指摘する。もちろんそれは、イスラエル「内」に留まろうが、サイードのように「外」に出ようが故郷喪失していることに変わりはないが故のこと。


沖縄のアカデミズムの中でサイードを読んでいない者を探すのには苦労することだろう。私が『オリエンタリズム』を読んだのは来沖前の、もう何年前のことだろうか?とにかくサイードを読むのはそれ以来になる。
ところで、この息苦しさを読む「ヤマトンチューとしての私」は、果たして「主体的で」安全な場所にいることを赦されるだろうか?自らを「自己」として認識するだけで済まされる「私」の居場所はそんなに自律的だろうか?少なくともこの書を最後まで読み通した時、そんな安全地帯はもう無い、といってよい。そこからようやく沖縄でサイードを読むという「出来事」が始まるのだ。