› 「癒しの島」から「冷やしの島」へ › アソシエーション2008年06月30日
沖縄アソシエーショニズムへ その5
佐藤は、後半のパネル討論の中で、フロアからの質問に答え、民族について次のように述べる。
佐藤優のいうウィルスとは、『世界共和国へ』で語られるネーションのことに他ならない。
ベネディクト・アンダーソンは、18世紀西洋におけるネーションの発生を、宗教に代わって個々人に不死性・永遠性を付与し、その存在に意味を与えるものとしてみた。ネーションは共同体が持っていた永続性、つまり死んだ者(先祖)やこれから生まれてくる者(子孫)をも考えるあり方を想像的に回復する。普遍宗教は個人の魂を永遠化するが、共同体の永続性の回復はできない。それを回復するのがネーションである。
『世界共和国へ』を読むためのメモ その25
われわれは通常、紀元前から始まる歴史を教科書から学び、それがリニアなものであると認識する。そこでは日本(人) という概念などたかだか「200年くらいの近代的な現象」であることが忘却されている。ウチナー(ンチュ)についても同じことがいえる。ヤマトゥからの植民地支配という抑圧に抵抗するときに、「ワッター・ウチナーンチュ」というアイデンティティが高揚される。そのときに、その人は、「ワッター・ウチナーンチュ」が「あたかも千年以上続いているように」自らをアイデンティファイする。それが「200年くらいの近代的な現象」であるとは思わずに。
その忘却が高揚し、民族紛争のようなかたちとして現れること(ウィルス)に対して、官僚(外交官)である佐藤は「どうやって悪い形で発症させないかを考えないといけない」といっている。
この態度から分かるように、佐藤はあくまで国家の側の人間である。「(沖縄の)血が騒ぐ」と嘯き、遠隔地ナショナリストとしてアイデンティファイしているような発言もするが、それは沖縄に対するあながちウソではない、しかし確信犯的なリップサービス程度に捉えたほうがよいだろう。
同じように、反戦平和の立場から、佐藤の官僚としての立場を崩さない発言を警戒する者もいるかもしれない。しかしながら彼の発言には、他のパネリストに無い視点、問いかけが含まれる。だから、彼の立ち位置を確認しつつも、同時にそのメッセージを篩いにかけ、イイトコ取りをして運動に生かすべき点は生かすのも手ではないか。
その視点とは何か?佐藤は国家というものがどういうものかを知り尽くしている。それが沖縄側の言説(独立、自己決定権などをいうときの態度)ではあいまいである。それは具体的に、次のような発言を指す。
繰り返しになるが、国家というのは他の国家に対して存在する。一国内で国家を見ているだけでは、その正体は見えない。
長年の日米政府の圧制に苦しまされた主体(沖縄)は、さんざん客体(日米政府)の暴力に晒され続けてきた。だから、それからの解放=独立が実現すれば、無条件で平和な状態が到来する。ウチナーンチュは昔から争いを好まぬ平和な民だったではないか。このような主客の論理を持っている人も多いのではないか。
ところが、独立国家とは、他の国家に対して敵対的に(暴力的に)存在する。その構造ができたのは、集権的国家が形成された絶対主義王政の時代に遡る。絶対主義王政は、略取―再分配という交換様式を独占する。そこで初めて官僚組織と常備軍が組織された。なにより国家の暴力が目に見えた。それが目に見えなくなるのが、市民革命以降の国民主権という考えを通してだ。例えば強制的に徴収していた税金が、国民の側から自主的に納められるというように。そのように国家に従順にしていれば、平時は国家の暴力を見なくてすむ。しかしながら、国民がなにをどう思おうが、良い政治家(相対的にマシな政治家)を選挙で選ぼうが、国家の根底にある暴力は残る。だから「自分たちの暴力性をどのように位置づけるか」の議論は、避けては通れないだろう。

民族とはあまりいいものではない。200年くらいの近代的な現象です。しかし、それがあたかも千年以上続いているように見えるという、われわれの罹っているウィルスだと思います。ウィルスは生物ではないので殺すことはできない。だからどうやって悪い形で発症させないかを考えないといけない。
佐藤優のいうウィルスとは、『世界共和国へ』で語られるネーションのことに他ならない。
ベネディクト・アンダーソンは、18世紀西洋におけるネーションの発生を、宗教に代わって個々人に不死性・永遠性を付与し、その存在に意味を与えるものとしてみた。ネーションは共同体が持っていた永続性、つまり死んだ者(先祖)やこれから生まれてくる者(子孫)をも考えるあり方を想像的に回復する。普遍宗教は個人の魂を永遠化するが、共同体の永続性の回復はできない。それを回復するのがネーションである。
『世界共和国へ』を読むためのメモ その25
われわれは通常、紀元前から始まる歴史を教科書から学び、それがリニアなものであると認識する。そこでは日本(人) という概念などたかだか「200年くらいの近代的な現象」であることが忘却されている。ウチナー(ンチュ)についても同じことがいえる。ヤマトゥからの植民地支配という抑圧に抵抗するときに、「ワッター・ウチナーンチュ」というアイデンティティが高揚される。そのときに、その人は、「ワッター・ウチナーンチュ」が「あたかも千年以上続いているように」自らをアイデンティファイする。それが「200年くらいの近代的な現象」であるとは思わずに。
その忘却が高揚し、民族紛争のようなかたちとして現れること(ウィルス)に対して、官僚(外交官)である佐藤は「どうやって悪い形で発症させないかを考えないといけない」といっている。
この態度から分かるように、佐藤はあくまで国家の側の人間である。「(沖縄の)血が騒ぐ」と嘯き、遠隔地ナショナリストとしてアイデンティファイしているような発言もするが、それは沖縄に対するあながちウソではない、しかし確信犯的なリップサービス程度に捉えたほうがよいだろう。
同じように、反戦平和の立場から、佐藤の官僚としての立場を崩さない発言を警戒する者もいるかもしれない。しかしながら彼の発言には、他のパネリストに無い視点、問いかけが含まれる。だから、彼の立ち位置を確認しつつも、同時にそのメッセージを篩いにかけ、イイトコ取りをして運動に生かすべき点は生かすのも手ではないか。
その視点とは何か?佐藤は国家というものがどういうものかを知り尽くしている。それが沖縄側の言説(独立、自己決定権などをいうときの態度)ではあいまいである。それは具体的に、次のような発言を指す。
沖縄は今のところ日本の一部であるため、国家としての暴力を自ら行使するという問題から免れているわけですね。ところが独立国家というものを造っていこうということになると、自分たちの暴力性をどのように位置づけるかということが出てきます。
繰り返しになるが、国家というのは他の国家に対して存在する。一国内で国家を見ているだけでは、その正体は見えない。
長年の日米政府の圧制に苦しまされた主体(沖縄)は、さんざん客体(日米政府)の暴力に晒され続けてきた。だから、それからの解放=独立が実現すれば、無条件で平和な状態が到来する。ウチナーンチュは昔から争いを好まぬ平和な民だったではないか。このような主客の論理を持っている人も多いのではないか。
ところが、独立国家とは、他の国家に対して敵対的に(暴力的に)存在する。その構造ができたのは、集権的国家が形成された絶対主義王政の時代に遡る。絶対主義王政は、略取―再分配という交換様式を独占する。そこで初めて官僚組織と常備軍が組織された。なにより国家の暴力が目に見えた。それが目に見えなくなるのが、市民革命以降の国民主権という考えを通してだ。例えば強制的に徴収していた税金が、国民の側から自主的に納められるというように。そのように国家に従順にしていれば、平時は国家の暴力を見なくてすむ。しかしながら、国民がなにをどう思おうが、良い政治家(相対的にマシな政治家)を選挙で選ぼうが、国家の根底にある暴力は残る。だから「自分たちの暴力性をどのように位置づけるか」の議論は、避けては通れないだろう。

2008年06月27日
沖縄アソシエーショニズムへ その4
シンポジウム「マーカラワジーガ?!」へ期待したのは、佐藤優という異物を招いた企画力に対してのものが大きかった。母親が久米島出身という出自もあり、琉球新報へのエッセー連載をはじめ、沖縄へのコミットを始めた佐藤に対して、沖縄では賛否があるようだ。その奈何によらず、彼の発言内容は、これまでの沖縄の言説空間にない風を呼び起こしていることは確かだろう。
ズバリ注目したのは、佐藤と仲里効、松島泰勝との間で繰り広げられるであろう応酬であった。独立、自己決定権、自治などのタームが語られ、議論される過程で、それぞれが抱く国家感が露出されるのではないかと期待した。
だがその前に、佐藤が基調講演で何を語ったかをまずは確認しておこう。それによってこのシンポジウムに対する彼の姿勢がある程度分かるだろうから。
佐藤は、冒頭で沖縄独立について長々と触れた。琉球新報連載「ウチナー評論」とほぼ同内容であるが、彼が自らの立場を明確にした上で、誰に向けて、どんな語り口で話を展開しているか、その形式に注目して読んでいただきたい。
佐藤は同じ血が流れている沖縄人の側に立ち、沖縄を理解しようとしない「内地の連中」から距離を持つ。同時に独立についての冷静な分析を、沖縄人へ向けてレクチャーする。独立は3年もあれば可能だというが、実際の沖縄独立については論を控えている。佐藤は、沖縄人としての「血」の部分と、国家の暴力を管理する官僚という立場の双方を都合よく出し入れしている。それが彼なりの「インテリジェンス」なのだろう。
ズバリ注目したのは、佐藤と仲里効、松島泰勝との間で繰り広げられるであろう応酬であった。独立、自己決定権、自治などのタームが語られ、議論される過程で、それぞれが抱く国家感が露出されるのではないかと期待した。
だがその前に、佐藤が基調講演で何を語ったかをまずは確認しておこう。それによってこのシンポジウムに対する彼の姿勢がある程度分かるだろうから。佐藤は、冒頭で沖縄独立について長々と触れた。琉球新報連載「ウチナー評論」とほぼ同内容であるが、彼が自らの立場を明確にした上で、誰に向けて、どんな語り口で話を展開しているか、その形式に注目して読んでいただきたい。
沖縄独立の可能性に関して、沖縄の人々が過小評価しています。沖縄独立は可能です、恐らく3年くらいあればできるでしょう。
まず、沖縄独立論を揶揄する人が、「それを居酒屋独立論ではないか、圧倒的に大多数の沖縄県民は沖縄独立なんか考えていない」という議論がよくなされ、これが「常識」として通用している。国家独立、民族独立、ここではつめないでおきます。
まず居酒屋独立論という言い方ですが、全ての独立運動は居酒屋から始まっています。これはヨーロッパをみれば分かります。カフェ、コーヒーハウス、ティーショップ。そこに入るのは誰でも自由です。こういう場所で「おい、おれたちちょっとコケにされているんじゃないか?」「ふざけやがって!」・・・こういう話を飲みながらするうちに、だんだん独立の方向に向かっていくわけです。ですから、居酒屋独立論というものがでてきているということは、独立に向けた現われだということです。
ちなみに、沖縄の人々が居酒屋独立論というのは構わないです。それは若干の自嘲であり、アイロニーだから。ところが、内地の、沖縄独立に関して理解をしようとしない人間が、「居酒屋独立論だ」というのはいけない、それは揶揄だからです。言葉にはコトダマが宿っています。それを発言する人の真意によって、その内容は別々に受け止められます。
さらに、住民の大多数が反対しているから独立はないということはありません。1991年3月に、ソ連全体でソ連邦維持に関しての国民投票をやりました。8割のソ連人がソ連維持をいい、バルト諸国でも過半数が独立に反対です。ところがその年の終わりにソ連は崩壊し、独立共和国ができたじゃないですか。これは過去3回「うちなー評論」という琉球新報の評論にも書きましたが、ルーマニアとまったく同じ状況です。簡単にいうと、独立というのは、県会議員が国家議員になりたいと思う、県会議長が国会議長になりたいと思う、知事が大統領になりたいと思う、商工部長が商工大臣になりたいと思う、そう思うと瞬く間に実現します。住民全体にとって不利になっても実現します。この例は、東欧、ソ連の崩壊の中でもよく見られる現象です。
去年、教科書検定に対する抗議行動として、11万6千人という一つの物語なり神話ができたということがすごく重要なのです。この11万6千という数字は、一つ一つカウントすれば、そこまではいかないなということは、集会の主催者や参加者が一番よく知っているんですね。ところが、そこで起こっていることが何かを理解していない人間が、数字を数えて難をつけている。そんなことになるのなら、断固11万6千人、こう思うのです。当たり前なんです。
そうやって神話を造らせまいとしているのが、沖縄を軽く見ている奴ら、一部の連中なんですね。この雰囲気というのは、独立の雰囲気に明らかに貢献しています。1987年のバルト諸国の様子に、今の沖縄は似ているなと思います。これがそのまま独立?高揚の意識を高めていくのか、あるいは分離独立の道に行くのか、これは誰も分からないということです。ただ、今のような無為無策を中央政府がやっているならば、独立の方向に拍車がかかります。
私の母親は久米島出身、父親は東京の出身です。母親の生地は上江洲になります。沖縄出身の出版関係者、新聞記者は多くいます。沖縄の姓を名乗っているか、内地の姓を名乗っているかでかなりアイデンティティが違いますが、そういった人たちと話すときに私はよくいいます。「沖縄アイデンティティってわれわれは持っていないよね」と。石垣島とか、久米島とか、今帰仁とか、地域個々のアイデンティティは持っているのですが。ただ最近、沖縄アイデンティティを感じている人が多いんじゃないか?それはどういう時か。少女に対する暴行事件が起きる時。それに対して、内地の報道があまりにも冷たい時。あるいは、教科書検定問題において、内地の連中があまりにも理解しないという時。アーネスト・ゲルナーは、民族というのは負の連帯意識から生まれるといっていますが、そのような遠隔地アイデンティティを実感しています。
佐藤は同じ血が流れている沖縄人の側に立ち、沖縄を理解しようとしない「内地の連中」から距離を持つ。同時に独立についての冷静な分析を、沖縄人へ向けてレクチャーする。独立は3年もあれば可能だというが、実際の沖縄独立については論を控えている。佐藤は、沖縄人としての「血」の部分と、国家の暴力を管理する官僚という立場の双方を都合よく出し入れしている。それが彼なりの「インテリジェンス」なのだろう。
2008年06月25日
沖縄アソシエーショニズムへ その3
新川明の反国家とは
5月18日に開催されたシンポジウム「マーカラワジーガ?! 来るべき自己決定権のためにー沖縄・憲法・アジア」セッション1のパネル・ディスカッションにおける質疑応答で、「議論が現実的でない」とのフロアからの声に対し、屋嘉比収は概ね以下のように答えた。
ポスト国民国家を議論するならば、国民国家についての認識を持つことが前提となる。「反復帰論」を現実の社会で再構築する際に、私のような門外漢は当時「反復帰論」が議論されたときに、そこで(国民)国家がどのように語られているかを確認する必要がある。
シンポジウム壇上では、「話すことはない」と、ひたすら自嘲トーンを崩さなかった新川明は、反復帰―反国家―反国民という議論を復帰前夜、つまり「核抜き・本土並み」という世論が形成されていく中で展開していた。
沖縄は日本と異質であるのに、それが復帰によって等質なネーション(国民)にされてしまうことを新川は危惧した。注目すべきは、その日本とは異質であるという「歴史的、地理的の所産」が「国家否認の可能性」としてあらかじめ目されているということだ。
さらに、沖縄人が日本(人)に対して持つ「差意識」が「強靭な思想的可能性を秘めた豊穣な土壌」であるとした新川は、次のように続ける。
沖縄人としての民族性を高めることが、反ヤマトゥ=反国家となるという論理である。ヤマトゥに反する行為として、沖縄人としての「差意識」を保持することが求められる。そのような沖縄の存在が日本という国家を解体させるというように読める。
米軍統治下、本土復帰前の沖縄は、日本という国家の外にある、そして主権がない状態といえる。その状態であればこそ、反国家を掲げることは極めてリアルな正当性を持つ。等質化を迫るヤマトゥに抗し、「差意識」を保持することによって、「日本志向の『復帰』思想を破砕する」という批判精神は鋭い。
だが、それが反ヤマトゥといえたとしても、反国家とまで論理を拡げることに、私は疑問を持つ。新川のいう国家とはヤマトゥを指すに過ぎず、独自の意志を持つ国家そのものの形態を見ていない。沖縄の民族性を高めることが、日本という国家を解体させるというが、私には具体的にそのイメージが浮かばない。この時、もしそのような方向性に向かっていたとすれば、沖縄は本土復帰せずに、アメリカの統治からも解放され、独立国家という形態をとっただろう(それが可能であればの話だが)。それは日本という国家を解体するよりむしろ強固にしただろうし、沖縄も反国家ならぬ不安定な独立国家として、同様に自らを敵対的に編成せざるをえなかっただろう。つまり、民族意識が高揚し、紛争により独立を果たすという、それ自体が国民国家の産物であるような結果となる以外想像ができない。
もっとも、新川は、自説の「反復帰」を、「琉球独立論」という政治運動論として捉える周辺からの評価に対して、「貧困な想像力が反乱している」と無理解を憤っている。
沖縄は、琉球処分以来統合支配されていた日本から、敗戦により分断された。それによって日本の呪縛から解放されたかのようだったが、絶えざる暴力に晒される米軍支配、そしてそれが、対日講和条約により固定化されることへの不安から、反米思想が高揚し、翻って本土復帰を志向した。
その過程で日本という国家へ「身をのめり込ませていく」沖縄人を、新川は批判する。そうではなく、国家を拒否し続ける個の精神志向こそが「反復帰」の意味するところだと。時代を覆った沖縄の本土復帰への「全体主義」に対して、外部(ヤマトゥ)を単に批判するのではなく、沖縄人の内発性に切り込む新川の態度は批評そのものといえる。
と同時に、私は、ここに新川の批判の限界を感じる。新川は、国家に対する概念として個の精神性を重視している。つまり、新川の「反国家」は精神の闘いである。そして、それ以上具体的な運動論を展開していない。
しかしながら、精神の闘いのみで国家は覆せるだろうか?もちろん、否である。それは、容易に覆されないような強固な構造を持っている。そのカラクリを理解すればするほど、それを解消することの困難さもまた理解せざるをえない。にもかかわらず、国家が何であるかを理解した上で、対抗の理論と実践を志向するのが『世界共和国へ』を読むことの意味である。
新川明の反復帰論については、まだまだ評価すべき点があるだろう。何より、「復帰前」というクリティカル・ポイントで「反国家」という言葉を用い、ヤマトゥのみならず沖縄(人)をも批判できたことは大きな意味を持つ。私自身、未だ彼の思想の全体を把捉できていない。沖縄(人)が国家(日本)へと身をのめりこませていった、その精神性ではなく構造について興味がある。
5月18日に開催されたシンポジウム「マーカラワジーガ?! 来るべき自己決定権のためにー沖縄・憲法・アジア」セッション1のパネル・ディスカッションにおける質疑応答で、「議論が現実的でない」とのフロアからの声に対し、屋嘉比収は概ね以下のように答えた。川満信一の「琉球共和社会憲法C私(試)案」その「第十一条 共和社会人民の資格」「琉球共和社会の人民は・・・この憲法理念に賛同し、遵守する意志のある者は、人種、民族、性別、国籍いかんを問わず、その所在地において資格を認められる。」について、上野千鶴子はこう述べている。「これはたんなる夢想だろうか?仮にこのような統治共同体の主張が、国家主権とならんで認められるならば、個人は帰属を移転することで、兵役を避けることもできる。(中略)私の生命と財産は、国家に属さない。私と国家との双務契約は包括的な契約ではなく、限定的、部分的契約に過ぎないという考え方は、徴兵拒否の権利にもつながるし、『慰安婦』訴訟における個人賠償権の論理にもつながる。」(『生き延びるための思想』)
川満は今の国民国家体制の困難さ(*乗り越える困難さという意味か)を踏まえた上で、それとは違う国民主権の在り方、独立の在り方を議論している。ポスト国民国家ということを議論する時に、(川満のように)リアリティとしてそこに踏み込もうとする人たちがいる。一方では、沖縄社会の中で「反復帰論」に対してリアリティを感じない人たちが確実にいる。そこはわれわれ「反復帰論」を接木する世代が考えなければいけない。「反復帰論」を現実の社会でリアリティをもったかたちで再構築する。それが次の問題として提起される。
ポスト国民国家を議論するならば、国民国家についての認識を持つことが前提となる。「反復帰論」を現実の社会で再構築する際に、私のような門外漢は当時「反復帰論」が議論されたときに、そこで(国民)国家がどのように語られているかを確認する必要がある。
シンポジウム壇上では、「話すことはない」と、ひたすら自嘲トーンを崩さなかった新川明は、反復帰―反国家―反国民という議論を復帰前夜、つまり「核抜き・本土並み」という世論が形成されていく中で展開していた。
なぜならば、「復帰」とは、すなわち日本同化の志向に根ざして、日本と沖縄を等質なネーションとして溶解していくということにほかならず、沖縄のわたしたちが、日本人といささかの差別もない同等の国民としての資格付与をねがう心情でしかないからである。そしてその限りにおいて、その志向するところからは、沖縄が日本に対して所有している歴史的、地理的の所産としての、国家否認の可能性は生まれでることはないばかりか、むしろ国家幻想によってその萌芽は扼殺される以外にないからである。
(「『非国民』の思想と論理」)
沖縄は日本と異質であるのに、それが復帰によって等質なネーション(国民)にされてしまうことを新川は危惧した。注目すべきは、その日本とは異質であるという「歴史的、地理的の所産」が「国家否認の可能性」としてあらかじめ目されているということだ。
さらに、沖縄人が日本(人)に対して持つ「差意識」が「強靭な思想的可能性を秘めた豊穣な土壌」であるとした新川は、次のように続ける。
わたしたちはこの土壌を丹念に耕し、掘り起こすことによって、そこに反ヤマトゥ=反国家の強固な堡塁を築き、それによって日本志向の「復帰」思想を破砕することができる。そして日本同一化をねがう「復帰」思想を打ち砕くことによって、反国家の拠点としての沖縄の存在を確保し、その沖縄の存在をして〈国家としての日本〉を撃つ、つまり国家解体の爆薬として日本の喉元を扼すことができるだろうと考える。
沖縄人としての民族性を高めることが、反ヤマトゥ=反国家となるという論理である。ヤマトゥに反する行為として、沖縄人としての「差意識」を保持することが求められる。そのような沖縄の存在が日本という国家を解体させるというように読める。
米軍統治下、本土復帰前の沖縄は、日本という国家の外にある、そして主権がない状態といえる。その状態であればこそ、反国家を掲げることは極めてリアルな正当性を持つ。等質化を迫るヤマトゥに抗し、「差意識」を保持することによって、「日本志向の『復帰』思想を破砕する」という批判精神は鋭い。
だが、それが反ヤマトゥといえたとしても、反国家とまで論理を拡げることに、私は疑問を持つ。新川のいう国家とはヤマトゥを指すに過ぎず、独自の意志を持つ国家そのものの形態を見ていない。沖縄の民族性を高めることが、日本という国家を解体させるというが、私には具体的にそのイメージが浮かばない。この時、もしそのような方向性に向かっていたとすれば、沖縄は本土復帰せずに、アメリカの統治からも解放され、独立国家という形態をとっただろう(それが可能であればの話だが)。それは日本という国家を解体するよりむしろ強固にしただろうし、沖縄も反国家ならぬ不安定な独立国家として、同様に自らを敵対的に編成せざるをえなかっただろう。つまり、民族意識が高揚し、紛争により独立を果たすという、それ自体が国民国家の産物であるような結果となる以外想像ができない。
もっとも、新川は、自説の「反復帰」を、「琉球独立論」という政治運動論として捉える周辺からの評価に対して、「貧困な想像力が反乱している」と無理解を憤っている。
だから、少なくとも私が、「反復帰」という時の「復帰」とは、分断されている日本と沖縄が領土的、制度的に再統合するという外的な現象を指しているのではなく、それはいわば、沖縄人がみずからすすんで〈国家〉の方へと身をのめり込ませていく、内発的な思想の営為をさす。その意味で「反復帰」とは、すなわち個の位相で〈国家〉への合一化を、あくまで拒否し続ける精神志向と言いかえて差し支えはない。さらに言葉をかえていえば、反復帰すなわち反国家であり、反国民志向である。非国民として自己を位置づけてやまないみずからの内に向けたマニフェストである。
(〈反国家の兇区〉としての沖縄)
沖縄は、琉球処分以来統合支配されていた日本から、敗戦により分断された。それによって日本の呪縛から解放されたかのようだったが、絶えざる暴力に晒される米軍支配、そしてそれが、対日講和条約により固定化されることへの不安から、反米思想が高揚し、翻って本土復帰を志向した。
その過程で日本という国家へ「身をのめり込ませていく」沖縄人を、新川は批判する。そうではなく、国家を拒否し続ける個の精神志向こそが「反復帰」の意味するところだと。時代を覆った沖縄の本土復帰への「全体主義」に対して、外部(ヤマトゥ)を単に批判するのではなく、沖縄人の内発性に切り込む新川の態度は批評そのものといえる。
と同時に、私は、ここに新川の批判の限界を感じる。新川は、国家に対する概念として個の精神性を重視している。つまり、新川の「反国家」は精神の闘いである。そして、それ以上具体的な運動論を展開していない。
しかしながら、精神の闘いのみで国家は覆せるだろうか?もちろん、否である。それは、容易に覆されないような強固な構造を持っている。そのカラクリを理解すればするほど、それを解消することの困難さもまた理解せざるをえない。にもかかわらず、国家が何であるかを理解した上で、対抗の理論と実践を志向するのが『世界共和国へ』を読むことの意味である。
新川明の反復帰論については、まだまだ評価すべき点があるだろう。何より、「復帰前」というクリティカル・ポイントで「反国家」という言葉を用い、ヤマトゥのみならず沖縄(人)をも批判できたことは大きな意味を持つ。私自身、未だ彼の思想の全体を把捉できていない。沖縄(人)が国家(日本)へと身をのめりこませていった、その精神性ではなく構造について興味がある。
2008年06月23日
沖縄アソシエーショニズムへ その2
国家は政府と違う
NAM時代に書かれた『トランスクリティーク』(2001年)を「緻密に練り直した続編」として書かれた『世界共和国へ』では、国家の暴力について以下のように述べられている。
絶対主義国家の時代は、略取―再分配という交換様式に基づいた独占状態(国家の暴力)は誰の目にも明らかだった。しかし、市民革命以降、国家の主権者は国民であると看做され、その暴力性が見えなくなった。たとえば絶対王政では、王が税を徴収し、それを再分配していたが、現在では国民が自主的に納税をしている。
このことを理解するために、柄谷は株式会社を例に出す。大企業では、経営者は社員から選ばれる。経営は社員総意によってなされるかのようにみえるが、実は資本(株主)に拘束される。社員がどう思おうと、経営者は資本の要求、つまり利潤の実現を満たさなければならない。その資本は通常目に見えない、国家が国民に見えないように。しかし、株主が経営者を解任したり企業買収したりすると、はじめて資本があると実感する。同様に、国民が国家の存在を実感するのが戦争においてだ。
国家――政府――国民
資本――経営者――社員
国家と政府を混同している多くの運動体とNAMはなるほど異質である。運動体に限らず、多くの人は両者を混同している。といっても、そのことを理解しているつもりで実は怪しい私のような会員は、当時のNAMには他にもいたはずであるが。
一方、沖縄の反基地運動は日米両政府に対する抵抗運動としてあり続けた。辺野古新基地建設に抗議する次の投書(篠原孝子さん)を読むと、それはいっそうはっきりする。
この書き手が批判している「推進している人たち」は可視の存在である。それは様々なかたちで利益を得る地元関係者であり、次の段で具体的に、「犠牲を押し付け続ける国の役人」と名指しされる人たちである。つまり「日米政府」の「犠牲を押し付け続ける国の役人」などが辺野古新基地建設を「推進している」のだと。
辺野古の海上、海中での非暴力の抵抗運動に対して、時に暴力的な手段に訴えて作業を強行する現場の作業員たち。そのように生身の抵抗の相手は目の前に多勢で実在する。しかし作業員たちは指示に従い業務を遂行しているにすぎない(と彼らは答えるだろう)。だから本来の相手は、それを指示している「国の役人」であるともいえる。
「押しつけられた常識を覆す 第1回」で我部政明が指摘したように、辺野古の新基地建設が軍事的理由でなく、政治的理由によるものならば、日米政府の政治状況の変化によって、つまり政党・政治家が変わることによって、あるいは役人が刷新されることによって、事態は変わるかもしれない。それはありえないことではない。
しかし仮に辺野古新基地建設が中止されたとしても、それは戦争がなくなるという意味ではない。なぜなら、そのような見方は社会契約論的な見方、つまり国民の意志を政府が代行するという見方に立ってのものであり、柄谷にいわせれば国家が見えていない。国家には、政治家からも役人からも国民からも独立した意志がある。それは膨大な官僚組織と常備軍が形成された絶対主義国家の時代から一貫して存在する。であれば「犠牲を押し付け続ける国の役人が世界平和のことや命の大切さを考えているとは思えない」を言い換えて、そもそも国の役人(官僚)は、常に国民に対し犠牲を押し付け続けるし、世界平和のことも命の大切さも考えない存在である、といったほうがよい。
沖縄の運動にも様々な立場、微妙な主張の違いがある。基地の無い反戦平和、県外撤去、海外移転、日本の差別的政策を批判し国内の平等負担を求めるなどなど。当然現場にも様々な一つでない声がある。篠原さんの意見もそのうちの一つである。まずその一つ一つの声が丁寧に聞き取られるべきなのはいうまでもない。
ただそこで大事なのは、国家と政府は別のものという認識も持つべきだということ。政府を相手にした抵抗運動で辺野古新基地建設を阻止する。しかしそれだけで世界平和は訪れない。だから、同時に国家を相手にした対抗運動を試みる。
辺野古の運動をしている人たちは、自分たちは時間稼ぎをしているだけであり、そうしている間に仲間たちが他のやり方で止めてくれることを期待しているといっている。それに応じて、われわれは国の出先機関に申し入れをしたり、座り込みをしたり、世論喚起を試みたり、県外、海外とのネットワークに働きかけるなどする。これらはみな、即応的で現実的に必要な運動である。
しかし同時に、これらはもぐら叩きゲームである。辺野古を阻止できたとしても、また新しい基地がどこか別の場所に新設されないという保証はない。なぜなら国家とは他の国家によって存在する暴力的なものであり、政府を相手にした運動ではそれは解消されないから。
われわれはもぐら叩きゲームを現実的にせざるを得ない。しかし同時に国家への対抗運動を始めなければならない。それはとてつもなく漸進的なものだ。「そんな悠長なことをいう暇があるか!」と、運動の現場からいわれるかもしれない。だが、国家がなんたるかを知れば、その悠長なことをやる以外に希望はないのだ。
NAM時代に書かれた『トランスクリティーク』(2001年)を「緻密に練り直した続編」として書かれた『世界共和国へ』では、国家の暴力について以下のように述べられている。
絶対主義国家の時代は、略取―再分配という交換様式に基づいた独占状態(国家の暴力)は誰の目にも明らかだった。しかし、市民革命以降、国家の主権者は国民であると看做され、その暴力性が見えなくなった。たとえば絶対王政では、王が税を徴収し、それを再分配していたが、現在では国民が自主的に納税をしている。
しかし、そのような見方は、国家を内部だけで考えるものです。国家というものは何よりも、他の国家に対して存在します。だからこそ、国家は内部から見たものとは違ってくるのです。市民革命以降に主流になった社会契約論の見方によれば、国家の意志とは国民の意志であり、選挙を通して政府によってそれが実行されると考えられています。ところが、国家は政府とは別のものであり、国民の意志から独立した意志をもっていると考えるべきです。
(『世界共和国へ』P.113~)
このことを理解するために、柄谷は株式会社を例に出す。大企業では、経営者は社員から選ばれる。経営は社員総意によってなされるかのようにみえるが、実は資本(株主)に拘束される。社員がどう思おうと、経営者は資本の要求、つまり利潤の実現を満たさなければならない。その資本は通常目に見えない、国家が国民に見えないように。しかし、株主が経営者を解任したり企業買収したりすると、はじめて資本があると実感する。同様に、国民が国家の存在を実感するのが戦争においてだ。
国家――政府――国民
資本――経営者――社員
国家と政府を混同している多くの運動体とNAMはなるほど異質である。運動体に限らず、多くの人は両者を混同している。といっても、そのことを理解しているつもりで実は怪しい私のような会員は、当時のNAMには他にもいたはずであるが。
一方、沖縄の反基地運動は日米両政府に対する抵抗運動としてあり続けた。辺野古新基地建設に抗議する次の投書(篠原孝子さん)を読むと、それはいっそうはっきりする。
私たちは日米政府が決めたことだからといって、従う必要があるだろうか。今ある自然を守り環境破壊を止めていかなければならない時代に、世界に誇れる数々のサンゴ群落がありジュゴンがすむ海にわざわざ血税をつぎ込んで新基地を造る計画だ。
これを推進している人たちを見ていると結果的に得をする人に限られているように思う。だからこそ非現実的な計画を現実的というのだし、今飛ぶヘリを減らす努力もせず「普天間」が危険なままでいいのかと脅す。
犠牲を押し付け続ける国の役人が世界平和のことや命の大切さを考えているとは思えない。
(沖縄タイムス投書欄「わたしの主張 あなたの意見」6月1日付「米従属か否か選択すべきだ」より一部転載)
この書き手が批判している「推進している人たち」は可視の存在である。それは様々なかたちで利益を得る地元関係者であり、次の段で具体的に、「犠牲を押し付け続ける国の役人」と名指しされる人たちである。つまり「日米政府」の「犠牲を押し付け続ける国の役人」などが辺野古新基地建設を「推進している」のだと。
辺野古の海上、海中での非暴力の抵抗運動に対して、時に暴力的な手段に訴えて作業を強行する現場の作業員たち。そのように生身の抵抗の相手は目の前に多勢で実在する。しかし作業員たちは指示に従い業務を遂行しているにすぎない(と彼らは答えるだろう)。だから本来の相手は、それを指示している「国の役人」であるともいえる。「押しつけられた常識を覆す 第1回」で我部政明が指摘したように、辺野古の新基地建設が軍事的理由でなく、政治的理由によるものならば、日米政府の政治状況の変化によって、つまり政党・政治家が変わることによって、あるいは役人が刷新されることによって、事態は変わるかもしれない。それはありえないことではない。
しかし仮に辺野古新基地建設が中止されたとしても、それは戦争がなくなるという意味ではない。なぜなら、そのような見方は社会契約論的な見方、つまり国民の意志を政府が代行するという見方に立ってのものであり、柄谷にいわせれば国家が見えていない。国家には、政治家からも役人からも国民からも独立した意志がある。それは膨大な官僚組織と常備軍が形成された絶対主義国家の時代から一貫して存在する。であれば「犠牲を押し付け続ける国の役人が世界平和のことや命の大切さを考えているとは思えない」を言い換えて、そもそも国の役人(官僚)は、常に国民に対し犠牲を押し付け続けるし、世界平和のことも命の大切さも考えない存在である、といったほうがよい。
沖縄の運動にも様々な立場、微妙な主張の違いがある。基地の無い反戦平和、県外撤去、海外移転、日本の差別的政策を批判し国内の平等負担を求めるなどなど。当然現場にも様々な一つでない声がある。篠原さんの意見もそのうちの一つである。まずその一つ一つの声が丁寧に聞き取られるべきなのはいうまでもない。
ただそこで大事なのは、国家と政府は別のものという認識も持つべきだということ。政府を相手にした抵抗運動で辺野古新基地建設を阻止する。しかしそれだけで世界平和は訪れない。だから、同時に国家を相手にした対抗運動を試みる。
辺野古の運動をしている人たちは、自分たちは時間稼ぎをしているだけであり、そうしている間に仲間たちが他のやり方で止めてくれることを期待しているといっている。それに応じて、われわれは国の出先機関に申し入れをしたり、座り込みをしたり、世論喚起を試みたり、県外、海外とのネットワークに働きかけるなどする。これらはみな、即応的で現実的に必要な運動である。
しかし同時に、これらはもぐら叩きゲームである。辺野古を阻止できたとしても、また新しい基地がどこか別の場所に新設されないという保証はない。なぜなら国家とは他の国家によって存在する暴力的なものであり、政府を相手にした運動ではそれは解消されないから。
われわれはもぐら叩きゲームを現実的にせざるを得ない。しかし同時に国家への対抗運動を始めなければならない。それはとてつもなく漸進的なものだ。「そんな悠長なことをいう暇があるか!」と、運動の現場からいわれるかもしれない。だが、国家がなんたるかを知れば、その悠長なことをやる以外に希望はないのだ。
2008年06月22日
沖縄アソシエーショニズムへ その1
はじめに
柄谷行人著『世界共和国へ』(2006年)を沖縄で読む。それは次のような個人的状況からそうする。東京時代のNAMの運動と解散、そこから遠く離れた沖縄での5年間のアリバイ、そしてこれからの試行を明確にするため。それはこのブログの「オキナワからヤマトを、ヤマトからオキナワを読む、そこはひんやり静かなアンビエント空間だ。」という究極的に孤独な場所の滞在延長許可を得る作業とも相関関係にある。
さらにいえば、これは最近開かれた沖縄にとって極めて重要な2つのシンポジウム「押しつけられた常識を覆す」「マーカラワジーガ?!」への応答にもなるだろう。これらの催しが行われたのは、まったなしの沖縄の今が要請させたものだといってよい。
まったなしの沖縄の今と、『世界共和国へ』を読むことは、どれほどの接点があるだろうか?私は『世界共和国へ』を読むことで、沖縄の今を批判(吟味)し、沖縄の今を吟味することによって、できうるならば来るべき沖縄でのアソシエーションの実践に繫げたい。
資本と国家に対抗する運動NAM(New Associationist Movement)は2000年に始まり、2003年に解散した。私は2001年春にNAMに参加、解散時の混乱を見届け、東京を離れ、沖縄に移動した。活動に没頭していた私にとってNAMの解散はショッキングな出来事であったが、組織はなくなっても「NAM的なもの」の実践をするのみだ、と自分に言いきかせた。
沖縄での生活を始めてほどなく気がついたことは、何かを始めようとすると、きまって「本土のやり方をそのまま持ってきても沖縄ではうまくいかない」という拒絶の言葉に出くわすことだった。「別に『本土のやり方』をしているわけではないのに」と、私は困惑した。
しかしほどなく私は気づいた。私の「やり方」に限らず、立ち居振る舞い、見た目、存在自体が、沖縄の人々にとって異質であることを。そのことに気づいていないのは私の方であることを。
以来私は東京でやってきたこと、ネットワークなどを行李に収めることにした。それらから遠く離れることにした。そしてとにかく沖縄に馴染むことに専念した、じわじわと、ふつふつと、たんたんと。
沖縄の米軍基地問題は日本の植民地政策である。私を含む日本人は沖縄(人)にとって加害者である。それに対して沖縄で生活するヤマトーンチュとして、なにを、いかにすべきか?
私は、ときに反基地運動の現場に立ち、時に本土のメジャーメディアが伝えようとしない情報を、自らがメディアとなって伝えるなどしてきた。
こういった運動に足を突っ込みながら、沖縄の運動にとってNAMの理論・実践は有効だろうか、あるいは沖縄の運動にとってNAMはどのように異質なのか、そんな思いを巡らすことが多々あった。果たして両者に接点はあるだろうか?
柄谷行人著『世界共和国へ』(2006年)を沖縄で読む。それは次のような個人的状況からそうする。東京時代のNAMの運動と解散、そこから遠く離れた沖縄での5年間のアリバイ、そしてこれからの試行を明確にするため。それはこのブログの「オキナワからヤマトを、ヤマトからオキナワを読む、そこはひんやり静かなアンビエント空間だ。」という究極的に孤独な場所の滞在延長許可を得る作業とも相関関係にある。
さらにいえば、これは最近開かれた沖縄にとって極めて重要な2つのシンポジウム「押しつけられた常識を覆す」「マーカラワジーガ?!」への応答にもなるだろう。これらの催しが行われたのは、まったなしの沖縄の今が要請させたものだといってよい。
まったなしの沖縄の今と、『世界共和国へ』を読むことは、どれほどの接点があるだろうか?私は『世界共和国へ』を読むことで、沖縄の今を批判(吟味)し、沖縄の今を吟味することによって、できうるならば来るべき沖縄でのアソシエーションの実践に繫げたい。
資本と国家に対抗する運動NAM(New Associationist Movement)は2000年に始まり、2003年に解散した。私は2001年春にNAMに参加、解散時の混乱を見届け、東京を離れ、沖縄に移動した。活動に没頭していた私にとってNAMの解散はショッキングな出来事であったが、組織はなくなっても「NAM的なもの」の実践をするのみだ、と自分に言いきかせた。
沖縄での生活を始めてほどなく気がついたことは、何かを始めようとすると、きまって「本土のやり方をそのまま持ってきても沖縄ではうまくいかない」という拒絶の言葉に出くわすことだった。「別に『本土のやり方』をしているわけではないのに」と、私は困惑した。
しかしほどなく私は気づいた。私の「やり方」に限らず、立ち居振る舞い、見た目、存在自体が、沖縄の人々にとって異質であることを。そのことに気づいていないのは私の方であることを。
以来私は東京でやってきたこと、ネットワークなどを行李に収めることにした。それらから遠く離れることにした。そしてとにかく沖縄に馴染むことに専念した、じわじわと、ふつふつと、たんたんと。
沖縄の米軍基地問題は日本の植民地政策である。私を含む日本人は沖縄(人)にとって加害者である。それに対して沖縄で生活するヤマトーンチュとして、なにを、いかにすべきか?私は、ときに反基地運動の現場に立ち、時に本土のメジャーメディアが伝えようとしない情報を、自らがメディアとなって伝えるなどしてきた。
こういった運動に足を突っ込みながら、沖縄の運動にとってNAMの理論・実践は有効だろうか、あるいは沖縄の運動にとってNAMはどのように異質なのか、そんな思いを巡らすことが多々あった。果たして両者に接点はあるだろうか?
2008年06月06日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その33
4 世界共和国へ
「単独行動主義か多国間協調主義」かは、ヘーゲルとカントの対立に似ている。永遠平和のために国際連合を構想したカントを嘲笑的に批判したのがヘーゲルであった。ヘーゲルによれば、国際連合が機能するためには、規約に違反した国を処罰する実力を持った覇権国家がなければ平和などありえない。
しかし、カントは理想主義者ではない。カントは、人間の本性である「反社会的社会性」を取り除くことはできないと考えていた。カントは国家連合構想を、人間の理性や道徳によって実現されるものではなく、人間の「反社会的社会性」いいかえれば戦争によって実現されると考えた。
19世紀を通して支配的だったのはヘーゲルの考え方で、第一次大戦へ至った。しかしその悲惨な結果によって、カントの理念に基づいた国際連盟が形成された。これはアメリカが批准しなかったため第二次大戦を防ぐことができなかったが、人類史における初めて偉大な達成である。
カントが国家連盟を提起したのは、理想主義からではなく、現実主義的な妥協からにすぎない。カントの理念は究極的に、各国が主権を放棄することによって形成される世界共和国にあり、国家間の敵対状態を解消することはそれ以外ありえない。カントの平和論は到達すべき理念としてある。
しかしわれわれはそれをただ座視しているわけにはいかない。人類には解決せねばならない課題がある。すなわち、戦争・環境破壊・経済的格差。そしてこの3つは切り離せない。国家と資本を統御しなければ、このまま破局への道をたどるしかないだろう。
これらの解決のために、一国単位でなく、グローバルな活動をする非国家組織やネットワークがたくさんあるが、それらは有効に機能しているとはいえない。なぜなら諸国家の妨害にあうから。
そうだとしたら、どのように国家に対抗すればよいか?われわれに可能なのは、各国で軍事的主権を徐々に国際連合に譲渡するように働きかけ、国際連合を強化・再編成することだ。日本の憲法第九条における戦争放棄とは、軍事的主権を国際連合に譲渡するものだ。
各国の「下から」の運動は、諸国家を「上から」封じ込めることによってのみ、分断をまぬかれる。「下から」と「上から」の運動の連係によって、新たな交換様式にもとづくグローバル・コミュニティ(アソシエーション)が徐々に実現される。それは容易ではないが、絶望的でもない。
これで「~メモ」は終わり。
「単独行動主義か多国間協調主義」かは、ヘーゲルとカントの対立に似ている。永遠平和のために国際連合を構想したカントを嘲笑的に批判したのがヘーゲルであった。ヘーゲルによれば、国際連合が機能するためには、規約に違反した国を処罰する実力を持った覇権国家がなければ平和などありえない。
しかし、カントは理想主義者ではない。カントは、人間の本性である「反社会的社会性」を取り除くことはできないと考えていた。カントは国家連合構想を、人間の理性や道徳によって実現されるものではなく、人間の「反社会的社会性」いいかえれば戦争によって実現されると考えた。
19世紀を通して支配的だったのはヘーゲルの考え方で、第一次大戦へ至った。しかしその悲惨な結果によって、カントの理念に基づいた国際連盟が形成された。これはアメリカが批准しなかったため第二次大戦を防ぐことができなかったが、人類史における初めて偉大な達成である。
カントが国家連盟を提起したのは、理想主義からではなく、現実主義的な妥協からにすぎない。カントの理念は究極的に、各国が主権を放棄することによって形成される世界共和国にあり、国家間の敵対状態を解消することはそれ以外ありえない。カントの平和論は到達すべき理念としてある。
しかしわれわれはそれをただ座視しているわけにはいかない。人類には解決せねばならない課題がある。すなわち、戦争・環境破壊・経済的格差。そしてこの3つは切り離せない。国家と資本を統御しなければ、このまま破局への道をたどるしかないだろう。
これらの解決のために、一国単位でなく、グローバルな活動をする非国家組織やネットワークがたくさんあるが、それらは有効に機能しているとはいえない。なぜなら諸国家の妨害にあうから。
そうだとしたら、どのように国家に対抗すればよいか?われわれに可能なのは、各国で軍事的主権を徐々に国際連合に譲渡するように働きかけ、国際連合を強化・再編成することだ。日本の憲法第九条における戦争放棄とは、軍事的主権を国際連合に譲渡するものだ。
各国の「下から」の運動は、諸国家を「上から」封じ込めることによってのみ、分断をまぬかれる。「下から」と「上から」の運動の連係によって、新たな交換様式にもとづくグローバル・コミュニティ(アソシエーション)が徐々に実現される。それは容易ではないが、絶望的でもない。
これで「~メモ」は終わり。
2008年06月06日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その32
2 「帝国」と広域国家
アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『帝国』では、「帝国」はどこにもない場所と述べられている。ここで彼らが「帝国」と呼んでいるのは「世界市場」のことだ。「普遍的交通」の下で民族や国家の差異は無化されるだろうというような。これは1840年代のマルクスと同じ認識で、国家という位相を無視している。
今日では国民国家の枠組が弱まっているように見えるが、だからといって国家は解消されない。ヨーロッパ諸国家はアメリカや日本に対抗するためにヨーロッパ共同体を作り、経済的・軍事的な主権を上位組織に譲渡した。だがこれは、世界資本主義の圧力の下に、諸国家が結束して「広域国家」を形成するということでしかない。
3 マルチチュードの限界
ネグりとハートは「帝国」の下で国民国家が消滅し、「マルチチュード」が対抗するだろうといっている。マルチチュードとは、労働者階級のみならず、マイノリティ、移民、先住民その他の多様な人間集団を指しているらしい。また、「単独行動主義」(冷戦後のアメリカ)「多国間協調主義」(ヨーロッパ、あるいは国連)いずれも無効だという。そうではなく、マルチチュードこそが新しい枠組となり、民主主義を可能にするといっている。
これはアナキズムの論理であり、国家の自立性が無視されている。マルチチュードの反乱は、国家の揚棄よりも、国家の強化に帰結するほかない。
アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『帝国』では、「帝国」はどこにもない場所と述べられている。ここで彼らが「帝国」と呼んでいるのは「世界市場」のことだ。「普遍的交通」の下で民族や国家の差異は無化されるだろうというような。これは1840年代のマルクスと同じ認識で、国家という位相を無視している。
今日では国民国家の枠組が弱まっているように見えるが、だからといって国家は解消されない。ヨーロッパ諸国家はアメリカや日本に対抗するためにヨーロッパ共同体を作り、経済的・軍事的な主権を上位組織に譲渡した。だがこれは、世界資本主義の圧力の下に、諸国家が結束して「広域国家」を形成するということでしかない。
3 マルチチュードの限界
ネグりとハートは「帝国」の下で国民国家が消滅し、「マルチチュード」が対抗するだろうといっている。マルチチュードとは、労働者階級のみならず、マイノリティ、移民、先住民その他の多様な人間集団を指しているらしい。また、「単独行動主義」(冷戦後のアメリカ)「多国間協調主義」(ヨーロッパ、あるいは国連)いずれも無効だという。そうではなく、マルチチュードこそが新しい枠組となり、民主主義を可能にするといっている。
これはアナキズムの論理であり、国家の自立性が無視されている。マルチチュードの反乱は、国家の揚棄よりも、国家の強化に帰結するほかない。
2008年06月06日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その31
第Ⅳ部 世界共和国
1 主権国家と帝国主義
これまで「世界帝国」から「世界経済」への過程で、資本=ネーション=国家が形成されたことをみてきたが、第Ⅳ部では、それがその後に、どのように変容したか、あるいはしなかったかを考えたい。それは20世紀に顕著になった帝国主義の問題にかかわっている。
レーニンは、帝国主義とは産業資本にかわって独占と金融資本が支配した段階であるとみた。そのような見方は、現在も別の形で残っている。1990年以降資本主義のグローバリゼーションと呼ばれる時期を、「資本主義の最高段階」と呼んだり、あるいは、その結果国民国家の枠組がなくなり、ヨーロッパ共同体のような「帝国」(広域国家)になるという意見があるかと思うと、多国籍的な資本主義こそ新たな「帝国」だという意見もある。
しかし、これらはすべて、国家の自立性、つまり国家が資本主義と別の源泉に由来するということを見ていない。両者は違った交換様式に根ざしていて、なおかつ相互依存的であるから、一方が他方を廃棄するようなことはありえない。そのような国家と資本の「結婚」が生まれたのは、絶対主義国家(主権国家)においてであり、帝国主義の問題はそこから始まっている。
本来主権国家は膨張的であり、その膨張を止めるのは、他の主権国家だけである。あるいは、被支配地域が独立し自ら主権国家となることによってのみそうなる。だから、主権国家は必然的に主権国家をもたらす。
ハンナ・アーレントは「国民国家は征服者として現れれば必ず被征服民族の中の民族意識と自治の要求を目覚めさせることになる」とし、ナポレオンによるヨーロッパ征服に「帝国帝国主義のディレンマ」の最初の事例をみた。そのときナポレオンは、イギリスの産業資本主義に対抗するために「ヨーロッパ連邦」を企て、同時に「フランス革命の輸出」を試みた。だがその結果が、ドイツその他におけるナショナリズムの喚起となった。国民国家の帝国主義的膨張は新たに国民国家を作り出さざるをえない。
ではどうして国民国家は「帝国」の原理をもちえないのか?どうして国民国家は「帝国」的な原理がまだ存在している地域では成立し難いのか?それに答えるために絶対主義王権国家に遡る。絶対主義王権国家は、その内部に権力を認めない。すべての者を「臣下」(subject)にし、同一化(均質化)させる。主体(subject)としての国民(ネーション)が成立するのは、その過程を経た後である。国民国家が「帝国」の原理をもちえないのは、その前身の絶対主義国家がそれを否定するものだからだ。そしてそれは世界各地の国民国家形成でも同じ過程がとられる。
1 主権国家と帝国主義
これまで「世界帝国」から「世界経済」への過程で、資本=ネーション=国家が形成されたことをみてきたが、第Ⅳ部では、それがその後に、どのように変容したか、あるいはしなかったかを考えたい。それは20世紀に顕著になった帝国主義の問題にかかわっている。
レーニンは、帝国主義とは産業資本にかわって独占と金融資本が支配した段階であるとみた。そのような見方は、現在も別の形で残っている。1990年以降資本主義のグローバリゼーションと呼ばれる時期を、「資本主義の最高段階」と呼んだり、あるいは、その結果国民国家の枠組がなくなり、ヨーロッパ共同体のような「帝国」(広域国家)になるという意見があるかと思うと、多国籍的な資本主義こそ新たな「帝国」だという意見もある。
しかし、これらはすべて、国家の自立性、つまり国家が資本主義と別の源泉に由来するということを見ていない。両者は違った交換様式に根ざしていて、なおかつ相互依存的であるから、一方が他方を廃棄するようなことはありえない。そのような国家と資本の「結婚」が生まれたのは、絶対主義国家(主権国家)においてであり、帝国主義の問題はそこから始まっている。
本来主権国家は膨張的であり、その膨張を止めるのは、他の主権国家だけである。あるいは、被支配地域が独立し自ら主権国家となることによってのみそうなる。だから、主権国家は必然的に主権国家をもたらす。
ハンナ・アーレントは「国民国家は征服者として現れれば必ず被征服民族の中の民族意識と自治の要求を目覚めさせることになる」とし、ナポレオンによるヨーロッパ征服に「帝国帝国主義のディレンマ」の最初の事例をみた。そのときナポレオンは、イギリスの産業資本主義に対抗するために「ヨーロッパ連邦」を企て、同時に「フランス革命の輸出」を試みた。だがその結果が、ドイツその他におけるナショナリズムの喚起となった。国民国家の帝国主義的膨張は新たに国民国家を作り出さざるをえない。
ではどうして国民国家は「帝国」の原理をもちえないのか?どうして国民国家は「帝国」的な原理がまだ存在している地域では成立し難いのか?それに答えるために絶対主義王権国家に遡る。絶対主義王権国家は、その内部に権力を認めない。すべての者を「臣下」(subject)にし、同一化(均質化)させる。主体(subject)としての国民(ネーション)が成立するのは、その過程を経た後である。国民国家が「帝国」の原理をもちえないのは、その前身の絶対主義国家がそれを否定するものだからだ。そしてそれは世界各地の国民国家形成でも同じ過程がとられる。
2008年06月05日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その30
3 軽視された国家
マルクスは、国家によってアソシエーション(生産者協同組合)を育成するというラッサールの考えを批判した。国家によって育成するのでなく、協同組合のアソシエーションが国家にとって替わるべきだと。しかし、国家の補助がなければ、生産者協同組合は資本制企業に敗れてしまう。そこでマルクスは、プロレタリアートが国家権力を握ることが不可欠だと考えた。一方、国家は消滅すべきだとも考えた。だからマルクスはプルードン派だ。
4 アソシエーショニズムのために
国家を内部だけから見ることは間違っている。封建的君主制では、主権は外部に対して存在しただけで、内部では存在しなかった。絶対王政になって、王は初めて外的かつ内的主権者となった。しかし絶対王権が倒されると、人々は主権がまず外部にあることを忘れてしまった。国家を内部だけで揚棄できるとい考え(プルードンもそうだ)は、そこから出てきた。
またプルードンは、経済においても「貨幣の王権」を廃棄すべきだと主張したが、これも国家の問題と同じで、貨幣を一国内で通用する貨幣と見ていた。しかし、貨幣の超越性は、国家の外で通用することにある。一国や一地域だけであれば、確かに貨幣は不要であり、代替貨幣で十分かもしれない。だが国際的な交易となると、貨幣無しにはすまない。
プルードンは資本主義に関する見方が甘かった。プルードンの唱えた協同組合が対抗できたのは、産業資本そのものが弱かった時代だけで、1860年以降、巨大資本による重工業的生産に移行したとき、もはや対抗できなかった。
一方マルクスは、国家に関する見方が甘かった。マルクスはつねに、商品交換が「共同体と共同体の間」で生まれることを強調したが、国家もまた同じであることを軽視した。商品交換がどんなに浸透したからといって、略取―再分配は消滅しない。ところがマルクスは、世界資本主義が浸透すれば、国家も事実上解消するだろうと考えた。
マルクスは、国家によってアソシエーション(生産者協同組合)を育成するというラッサールの考えを批判した。国家によって育成するのでなく、協同組合のアソシエーションが国家にとって替わるべきだと。しかし、国家の補助がなければ、生産者協同組合は資本制企業に敗れてしまう。そこでマルクスは、プロレタリアートが国家権力を握ることが不可欠だと考えた。一方、国家は消滅すべきだとも考えた。だからマルクスはプルードン派だ。
4 アソシエーショニズムのために
国家を内部だけから見ることは間違っている。封建的君主制では、主権は外部に対して存在しただけで、内部では存在しなかった。絶対王政になって、王は初めて外的かつ内的主権者となった。しかし絶対王権が倒されると、人々は主権がまず外部にあることを忘れてしまった。国家を内部だけで揚棄できるとい考え(プルードンもそうだ)は、そこから出てきた。
またプルードンは、経済においても「貨幣の王権」を廃棄すべきだと主張したが、これも国家の問題と同じで、貨幣を一国内で通用する貨幣と見ていた。しかし、貨幣の超越性は、国家の外で通用することにある。一国や一地域だけであれば、確かに貨幣は不要であり、代替貨幣で十分かもしれない。だが国際的な交易となると、貨幣無しにはすまない。
プルードンは資本主義に関する見方が甘かった。プルードンの唱えた協同組合が対抗できたのは、産業資本そのものが弱かった時代だけで、1860年以降、巨大資本による重工業的生産に移行したとき、もはや対抗できなかった。
一方マルクスは、国家に関する見方が甘かった。マルクスはつねに、商品交換が「共同体と共同体の間」で生まれることを強調したが、国家もまた同じであることを軽視した。商品交換がどんなに浸透したからといって、略取―再分配は消滅しない。ところがマルクスは、世界資本主義が浸透すれば、国家も事実上解消するだろうと考えた。
2008年06月05日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その29
2 プルードンの構想
プルードンは社会主義を平等や友愛からではなく、「自由」に基づいて築こうとした。第一に、経済的平等より自由を優先した。そしてなにより分配的正義に反対した。それは国家による再分配に行き着き、国家権力強化に繋がるから。自由を優先したプルードンは、「交換的正義」、つまり富の格差を生み出さないような交換システムを唱えた。
第二に、「自由」を「友愛」より優先させた。「友愛」を基盤に社会を変えようとする者は、ほぼまちがいなく国家に向かう。友愛は個人の犠牲を引き出す。国家的な強制は、しばしば友愛によって弁護あるいは強化される。
プルードンは私有に反対し、同時に社会主義者が唱える共有(国有)にも反対した。そのどちらでもない形態が互酬制である。それは共同体の互酬とは違い、市場的交換に似ていて、競争があり自由がある。それにもかかわらず、貧富の差や資本―賃労働の対立があってはならない。それは具体的にどのようなシステムか?
第一に、生産協同組合。全員が労働者であり経営者であることによって、賃労働(労働力商品)がない。第二に、代替貨幣・信用銀行の創出。プルードンによれば、真の民主主義は、政治的レベルのみならず、経済的レベルでも実現されなければならない。
つまり、国家と資本主義市場経済から自立したネットワーク空間を形成すること。
「自由」に基づき私有にも国有にも反対するという態度が驚異的である。川満信一の「琉球共和社会憲法」は私有廃止=共有である。このあたりも後で書きたい。
プルードンは社会主義を平等や友愛からではなく、「自由」に基づいて築こうとした。第一に、経済的平等より自由を優先した。そしてなにより分配的正義に反対した。それは国家による再分配に行き着き、国家権力強化に繋がるから。自由を優先したプルードンは、「交換的正義」、つまり富の格差を生み出さないような交換システムを唱えた。
第二に、「自由」を「友愛」より優先させた。「友愛」を基盤に社会を変えようとする者は、ほぼまちがいなく国家に向かう。友愛は個人の犠牲を引き出す。国家的な強制は、しばしば友愛によって弁護あるいは強化される。
プルードンは私有に反対し、同時に社会主義者が唱える共有(国有)にも反対した。そのどちらでもない形態が互酬制である。それは共同体の互酬とは違い、市場的交換に似ていて、競争があり自由がある。それにもかかわらず、貧富の差や資本―賃労働の対立があってはならない。それは具体的にどのようなシステムか?
第一に、生産協同組合。全員が労働者であり経営者であることによって、賃労働(労働力商品)がない。第二に、代替貨幣・信用銀行の創出。プルードンによれば、真の民主主義は、政治的レベルのみならず、経済的レベルでも実現されなければならない。
つまり、国家と資本主義市場経済から自立したネットワーク空間を形成すること。
「自由」に基づき私有にも国有にも反対するという態度が驚異的である。川満信一の「琉球共和社会憲法」は私有廃止=共有である。このあたりも後で書きたい。
2008年06月03日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その28
4章 アソシエーショニズム
1 カントの構想
自由の互酬制は普遍宗教として開示されたが、それが宗教というかたちをとる限り、教会=国家的システムに回収されてしまう。アソシエーショニズムを実現するためには、宗教を否定しなければならないが、そうすると、そもそも宗教としてしか開示されなかった「倫理」を失ってしまう。
カントはその矛盾を解消しようとした。第一に、教会=国家的な形態をとった宗教の否定。第二に、自由の相互性を開示する限りの宗教を承認。後者にもとづいて、「世界市民的な道徳的共同体」が実現されれば「神の国」(アウグスティヌス)が実現されるとした。
そこで具体的にカントが考えたのは、第一に、商人資本の支配を斥けた小生産者たちのアソシエーションだったが、もちろんこれには歴史的な限界がある。しかしその核心は、再分配によって富の格差を解消することではなく、冨の格差が生じないようなシステムを実現することにあった。
第二に、諸国家が主権を譲渡することによって成立する世界共和国、いわば「神の国」の実現。カントは「永遠平和」を実現するために国際連合を提唱した。これはたんなる平和論ではなく、資本と国家を揚棄する過程の第一歩である。
ここでカントのいう理性の統制的使用と構成的使用について説明しよう。理性を構成的に使用するとは、例えば理性に基づいて社会を暴力的に作り変えるような場合をいう。一方、理性を統制的に使用するとは、「無限に遠いものであろうと、人がそれに近づこうと務めるような場合」をいう。世界共和国は後者のケース。
カントによれば、統制的理念は仮象(幻想)である。でもそれは、そのような仮象がなければ生きていけないという意味で、「超越論的な仮象」である。統制的理念は、決して達成されるものではないがゆえに、たえず現状に対する批判としてありつづける。
「再分配によって富の格差を解消することではなく、冨の格差が生じないようなシステムを実現すること」という点がユニークである。人々は冨の格差を再分配によって解消しようとするが失敗した国家社会主義を否定するところで思考が終わっているのだから。
1 カントの構想
アソシエーショニズムは、商品交換の原理が存在するような都市的空間で、国家や共同体の拘束を斥けるとともに、共同体にあった互酬制を高次元で取り返そうとする運動です。それは先にのべたように、自由の互酬制(相互性)を実現するものです。つまり、カント的にいえば、「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う」ような社会を実現することです。重要なのは、カントがこのような考えを普遍宗教の「批判」を通して得たということです。
自由の互酬制は普遍宗教として開示されたが、それが宗教というかたちをとる限り、教会=国家的システムに回収されてしまう。アソシエーショニズムを実現するためには、宗教を否定しなければならないが、そうすると、そもそも宗教としてしか開示されなかった「倫理」を失ってしまう。
カントはその矛盾を解消しようとした。第一に、教会=国家的な形態をとった宗教の否定。第二に、自由の相互性を開示する限りの宗教を承認。後者にもとづいて、「世界市民的な道徳的共同体」が実現されれば「神の国」(アウグスティヌス)が実現されるとした。
そこで具体的にカントが考えたのは、第一に、商人資本の支配を斥けた小生産者たちのアソシエーションだったが、もちろんこれには歴史的な限界がある。しかしその核心は、再分配によって富の格差を解消することではなく、冨の格差が生じないようなシステムを実現することにあった。
第二に、諸国家が主権を譲渡することによって成立する世界共和国、いわば「神の国」の実現。カントは「永遠平和」を実現するために国際連合を提唱した。これはたんなる平和論ではなく、資本と国家を揚棄する過程の第一歩である。
ここでカントのいう理性の統制的使用と構成的使用について説明しよう。理性を構成的に使用するとは、例えば理性に基づいて社会を暴力的に作り変えるような場合をいう。一方、理性を統制的に使用するとは、「無限に遠いものであろうと、人がそれに近づこうと務めるような場合」をいう。世界共和国は後者のケース。
カントによれば、統制的理念は仮象(幻想)である。でもそれは、そのような仮象がなければ生きていけないという意味で、「超越論的な仮象」である。統制的理念は、決して達成されるものではないがゆえに、たえず現状に対する批判としてありつづける。
「再分配によって富の格差を解消することではなく、冨の格差が生じないようなシステムを実現すること」という点がユニークである。人々は冨の格差を再分配によって解消しようとするが失敗した国家社会主義を否定するところで思考が終わっているのだから。
2008年06月03日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その27
4 美学と想像力
「感情」が哲学的な意味で議論されたのは18世紀ドイツにおいてである。感情によって知的認識や道徳的判断が可能になるだけでなく、ある意味で悟性や理性を超えた能力があるという主張、それがエステティク(aesthetics)と呼ばれる。本来感性論という意味だが、ほとんど美に関する学という意味で理解されるようになった。それにカントは反対した。
カントは、バウムガルテンが感性あるいは感情に理性を見出したことに対して異を唱えた。カントは『純粋理性批判』において、感性と悟性、「感じられたもの」と「考えられたもの」を区別することを貫いた。そしてその2つは、想像力によって綜合されると考えた。それをいいかえると、感性と悟性は想像的にしか綜合されないということだ。
5 ボロメオの環
悟性と感性の分裂とは、「ひとが自分でそう考えているのとは違った在り方を現にしているということ」。例えば、資本制社会では誰もが平等であると考えられているが、実際はそうでない。その分裂を想像力で超えようとするのが文学である。
ネーションもそのような「想像的」な共同体なのだ。つまり、現実の資本主義経済がもたらす格差、自由と平等の欠如が、想像的に補填・解消される。ネーションは、国家と資本主義経済という異なる交換原理に立つものを想像的に綜合する。要するに、資本=ネーション=国家は、市民社会=市場経済(感性)と国家(悟性)がネーション(想像力)で結ばれているということ。これはボロメオの環といえる。それはどれか一つをとると壊れてしまう。
「感情」が哲学的な意味で議論されたのは18世紀ドイツにおいてである。感情によって知的認識や道徳的判断が可能になるだけでなく、ある意味で悟性や理性を超えた能力があるという主張、それがエステティク(aesthetics)と呼ばれる。本来感性論という意味だが、ほとんど美に関する学という意味で理解されるようになった。それにカントは反対した。
カントは、バウムガルテンが感性あるいは感情に理性を見出したことに対して異を唱えた。カントは『純粋理性批判』において、感性と悟性、「感じられたもの」と「考えられたもの」を区別することを貫いた。そしてその2つは、想像力によって綜合されると考えた。それをいいかえると、感性と悟性は想像的にしか綜合されないということだ。
5 ボロメオの環
悟性と感性の分裂とは、「ひとが自分でそう考えているのとは違った在り方を現にしているということ」。例えば、資本制社会では誰もが平等であると考えられているが、実際はそうでない。その分裂を想像力で超えようとするのが文学である。
ネーションもそのような「想像的」な共同体なのだ。つまり、現実の資本主義経済がもたらす格差、自由と平等の欠如が、想像的に補填・解消される。ネーションは、国家と資本主義経済という異なる交換原理に立つものを想像的に綜合する。要するに、資本=ネーション=国家は、市民社会=市場経済(感性)と国家(悟性)がネーション(想像力)で結ばれているということ。これはボロメオの環といえる。それはどれか一つをとると壊れてしまう。
2008年06月02日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その26
3 想像力としてのネーション
18世紀後半のヨーロッパにおいて、「想像の共同体」が形成されただけでなく、「想像力」そのものが特殊な意義をおびて出現した。カントは想像力を、感性と知性を媒介するもの、あるいは知性を先取りする創造的能力として見出した。さらに、そのカントに習ってロマン派詩人・批評家コールリッジは、空想(fancy)と想像力(imagination)を区別した。
ネーションの感情が形成されることと、想像力の地位が高まることは平行している。このことが哲学の歴史において最も早く現れたのは、資本主義的経済が発達したイギリス、特にスコットランドにおいてだった。すなわち、哲学者ハチソンがいった道徳感情(moral sentiment)。面白いのはハチソンの弟子アダム・スミスが道徳感情について論じるとき、共感=同情(sympathy)という言葉を使っているところ。この2つは微妙だが決定的な差異がある。ハチソンの道徳感情は、利己心に対立するのに対し、スミスの共感は、利己心と両立する。
アダム・スミスは、各人が利己的に利益を追求することが結果的に全体の福利(welfare)を増大させる、だから、レッセ・フェール(自由放任)でやるべきだと主張した経済学者だ。だけれども、スミスが利己心を肯定し、同情を説いたことは、特に矛盾することではない。それは憐憫や慈悲とは違う。「スミスがいう共感は、利己心が肯定されるような状況、つまり資本主義的市場経済においてはじめて出現する」。共感は、共同体にあった互酬制を取り戻そうとするものだが、共同体には存在しない。
英文学史において、コールリッジに先駆け想像力の位置を高めたのがウイリアム・ブレイクである。この詩人・(版)画家は「想像力は神だ」(Imagination is God.)とまでいった。ブレイクの研究者アードマンは彼を「帝国に反逆する預言者」(Profhet against The Empire)と呼んだ。ブレイクのいう想像力がどのような交換様式に基づくのか?そんな課題が私に追加される。
18世紀の「感情」については英文学者冨山太佳夫の刺激的な研究を講義で聴いたことがあったが、詳細は忘れてしまった。情けない。
18世紀後半のヨーロッパにおいて、「想像の共同体」が形成されただけでなく、「想像力」そのものが特殊な意義をおびて出現した。カントは想像力を、感性と知性を媒介するもの、あるいは知性を先取りする創造的能力として見出した。さらに、そのカントに習ってロマン派詩人・批評家コールリッジは、空想(fancy)と想像力(imagination)を区別した。
ネーションの感情が形成されることと、想像力の地位が高まることは平行している。このことが哲学の歴史において最も早く現れたのは、資本主義的経済が発達したイギリス、特にスコットランドにおいてだった。すなわち、哲学者ハチソンがいった道徳感情(moral sentiment)。面白いのはハチソンの弟子アダム・スミスが道徳感情について論じるとき、共感=同情(sympathy)という言葉を使っているところ。この2つは微妙だが決定的な差異がある。ハチソンの道徳感情は、利己心に対立するのに対し、スミスの共感は、利己心と両立する。
アダム・スミスは、各人が利己的に利益を追求することが結果的に全体の福利(welfare)を増大させる、だから、レッセ・フェール(自由放任)でやるべきだと主張した経済学者だ。だけれども、スミスが利己心を肯定し、同情を説いたことは、特に矛盾することではない。それは憐憫や慈悲とは違う。「スミスがいう共感は、利己心が肯定されるような状況、つまり資本主義的市場経済においてはじめて出現する」。共感は、共同体にあった互酬制を取り戻そうとするものだが、共同体には存在しない。
英文学史において、コールリッジに先駆け想像力の位置を高めたのがウイリアム・ブレイクである。この詩人・(版)画家は「想像力は神だ」(Imagination is God.)とまでいった。ブレイクの研究者アードマンは彼を「帝国に反逆する預言者」(Profhet against The Empire)と呼んだ。ブレイクのいう想像力がどのような交換様式に基づくのか?そんな課題が私に追加される。
18世紀の「感情」については英文学者冨山太佳夫の刺激的な研究を講義で聴いたことがあったが、詳細は忘れてしまった。情けない。
2008年06月02日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その25
2 共同体の想像的回復
ネーションが成立するには、個々人の自由・平等の他に「友愛」という言葉で現される感情が必要だ。感情といっても、問題を心理学的に還元することではなく、「感情というかたちでしか意識されない『交換』を見ることを意味する」。
ベネディクト・アンダーソンは、18世紀西洋におけるネーションの発生を、宗教に代わって個々人に不死性・永遠性を付与し、その存在に意味を与えるものとしてみた。
ネーションは共同体が持っていた永続性、つまり死んだ者(先祖)やこれから生まれてくる者(子孫)をも考えるあり方を想像的に回復する。普遍宗教は個人の魂を永遠化するが、共同体の永続性の回復はできない。それを回復するのがネーションである。
しかしネーションは、経済や政治とは別の精神的な問題というわけではなく、商品経済の交換とは違い、互酬的交換に根ざしたものというべきである。
ネーションとしてのウチナー(ンチュ)。友愛としてのイチャリバチョーデー。想像的に回復される平良とみの沖縄オバー。
ネーションが成立するには、個々人の自由・平等の他に「友愛」という言葉で現される感情が必要だ。感情といっても、問題を心理学的に還元することではなく、「感情というかたちでしか意識されない『交換』を見ることを意味する」。
ベネディクト・アンダーソンは、18世紀西洋におけるネーションの発生を、宗教に代わって個々人に不死性・永遠性を付与し、その存在に意味を与えるものとしてみた。
ネーションは共同体が持っていた永続性、つまり死んだ者(先祖)やこれから生まれてくる者(子孫)をも考えるあり方を想像的に回復する。普遍宗教は個人の魂を永遠化するが、共同体の永続性の回復はできない。それを回復するのがネーションである。
しかしネーションは、経済や政治とは別の精神的な問題というわけではなく、商品経済の交換とは違い、互酬的交換に根ざしたものというべきである。
ネーションとしてのウチナー(ンチュ)。友愛としてのイチャリバチョーデー。想像的に回復される平良とみの沖縄オバー。
2008年06月01日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その24
3章 ネーション
1 ネーションの誕生
ネーション=ステート(国民国家)は、世界資本主義が世界帝国を解体していく過程で生じたシステムである。それを見るためには、先の世界帝国のことを知っていく必要がある。ネーション=ステートはまったくの白紙から生まれたわけではなく、世界帝国という「地」の上に生まれた。世界帝国で多数の民族がいても対立がなかったのは、世界帝国が支配下にある部族的な国家・共同体に干渉することなく全体を統治していたから。
西ヨーロッパで帝国の分解がはっきりするのは、絶対主義国家の成立においてである。つまり、王が市民(ブルジョア)と結託して、封建諸侯を制圧し、主権者となることによって。そしてそれは貨幣経済の浸透の結果でもある。
もちろん、絶対主義国家の段階はまだネーション=ステートではない。それが生まれるのは、市民革命によって絶対主権者が倒され、人民主権が成立する段階だ。でもネーションの基盤が作られるのは、絶対主義王権の時代である。このことは忘れられがちで、まるで人民が王政から主権を取り返したかのようにみなされるが、実は人民は絶対的主権者の臣下として形成されたものだ。「つまり、それまでさまざまな身分や集団に属していた人たちが、主権者の下で臣下として同一の地位におかれたときに、はじめて人民となった」。そしてこれは西ヨーロッパに限ったことではない。
同時にそれはさまざまな共同体を解体させる。逆にいうと共同体が濃厚に残っていると、ネーションの形成は難しい。
ネーション=ステート(国民国家)は、世界資本主義が世界帝国を解体していく過程で生じたシステムである。それを見るためには、先の世界帝国(グスク時代)のことを知っていく必要がある。ネーション=ステートはまったくの白紙から生まれたわけではなく、世界帝国という「地」の上に生まれた。世界帝国(中国)で多数の民族(沖縄その他)がいても対立がなかったのは、世界帝国が支配下にある部族的な国家・共同体に干渉することなく全体を統治していたから。と設定してみてみる。
「共同体が濃厚に残っていると、ネーションの形成は難しい」とすると、離島で起きた「集団自決」(強制集団死)はどのように理解すればよいか?
1 ネーションの誕生
ネーション=ステート(国民国家)は、世界資本主義が世界帝国を解体していく過程で生じたシステムである。それを見るためには、先の世界帝国のことを知っていく必要がある。ネーション=ステートはまったくの白紙から生まれたわけではなく、世界帝国という「地」の上に生まれた。世界帝国で多数の民族がいても対立がなかったのは、世界帝国が支配下にある部族的な国家・共同体に干渉することなく全体を統治していたから。
西ヨーロッパで帝国の分解がはっきりするのは、絶対主義国家の成立においてである。つまり、王が市民(ブルジョア)と結託して、封建諸侯を制圧し、主権者となることによって。そしてそれは貨幣経済の浸透の結果でもある。
もちろん、絶対主義国家の段階はまだネーション=ステートではない。それが生まれるのは、市民革命によって絶対主権者が倒され、人民主権が成立する段階だ。でもネーションの基盤が作られるのは、絶対主義王権の時代である。このことは忘れられがちで、まるで人民が王政から主権を取り返したかのようにみなされるが、実は人民は絶対的主権者の臣下として形成されたものだ。「つまり、それまでさまざまな身分や集団に属していた人たちが、主権者の下で臣下として同一の地位におかれたときに、はじめて人民となった」。そしてこれは西ヨーロッパに限ったことではない。
同時にそれはさまざまな共同体を解体させる。逆にいうと共同体が濃厚に残っていると、ネーションの形成は難しい。
ネーション=ステート(国民国家)は、世界資本主義が世界帝国を解体していく過程で生じたシステムである。それを見るためには、先の世界帝国(グスク時代)のことを知っていく必要がある。ネーション=ステートはまったくの白紙から生まれたわけではなく、世界帝国という「地」の上に生まれた。世界帝国(中国)で多数の民族(沖縄その他)がいても対立がなかったのは、世界帝国が支配下にある部族的な国家・共同体に干渉することなく全体を統治していたから。と設定してみてみる。
「共同体が濃厚に残っていると、ネーションの形成は難しい」とすると、離島で起きた「集団自決」(強制集団死)はどのように理解すればよいか?
2008年05月31日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その23
6 資本への対抗
資本への対抗のカギは、産業資本主義が、労働者が作ったものを自ら買うことによって成り立つということにある。
企業が社会的に害となることをやっても、労働者がそれを阻止することはできない。両者の利害が一致しているからだ。生産点においては、労働者は企業や国家の利益に傾く。一方、環境問題に対して、消費者・住民は敏感だし、世界市民的な観点に立てる。
労働者は資本に従属的であるほかない。しかし、労働者は流通過程において、消費者として現れる。その時資本に優越できる。消費者とは、プロレタリアが流通の場に現れる姿だ。
資本が働くことを強制できる権力はあるが、買うことを強制できる権力は無い。そのような非暴力的で合法的な闘争(ボイコット)に対して、資本は対抗できない。
資本への対抗のカギは、産業資本主義が、労働者が作ったものを自ら買うことによって成り立つということにある。
企業が社会的に害となることをやっても、労働者がそれを阻止することはできない。両者の利害が一致しているからだ。生産点においては、労働者は企業や国家の利益に傾く。一方、環境問題に対して、消費者・住民は敏感だし、世界市民的な観点に立てる。
労働者は資本に従属的であるほかない。しかし、労働者は流通過程において、消費者として現れる。その時資本に優越できる。消費者とは、プロレタリアが流通の場に現れる姿だ。
資本が働くことを強制できる権力はあるが、買うことを強制できる権力は無い。そのような非暴力的で合法的な闘争(ボイコット)に対して、資本は対抗できない。
2008年05月31日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その22
5 資本の限界
イギリスでは、毛織物産業の需要から羊を増産するため、領主が農民を追い出し耕地を牧草地に変えた。これが「囲い込み」だ。その結果生まれたのがプロレタリアだが、マルクスはそれを「二重の意味で自由な」人々と呼んだ。それは第一に、生産手段を持たない(free from) 、第二に共同体の拘束から自由であるという意味で。そしてこの2つは切り離せない。
たとえていうと、農民は共同体に住んでいれば互酬的なやり取りで何とか生きていける。その代わり、共同体ならでわの拘束に縛られる。都市の職人にしても、徒弟制的な共同体(ギルド)に属し、資本制的な賃労働を嫌う。これらに比べると、産業プロレタリアは、互酬的な共同体の原理から自由である。
といってもこのようなプロレタリアが急激に増えたかというとそうでもない。近年にいたるまで、世界の人口の大部分は農民か、都市の貧民であった。この人たちは商品交換の世界に晒されているが、互酬の原理で生きている。よくいえば平等主義的で相互扶助的、悪くいえば「怠惰」で他人の足を引っ張る。このような共同体の原理とは、経済的な停滞の原因であると同時に資本主義化に抵抗する基盤でもありえた。
産業資本における労働力と土地は、実は資本が自ら作り得ないものである。労働力商品といっても、需要がないからといって即廃棄するわけにはいかないし、不足したからといって増産することもできない(移民で補充しても後で不要になって追い出すわけにはいかない)。まさに労働力商品こそ、資本にとって内在的な危機をもたらす。
また資本の限界は、自然を商品化したことにもある。それによって致命的な環境破壊を招く。しかし、資本の自己増殖運動は止まらない。
イギリスでは、毛織物産業の需要から羊を増産するため、領主が農民を追い出し耕地を牧草地に変えた。これが「囲い込み」だ。その結果生まれたのがプロレタリアだが、マルクスはそれを「二重の意味で自由な」人々と呼んだ。それは第一に、生産手段を持たない(free from) 、第二に共同体の拘束から自由であるという意味で。そしてこの2つは切り離せない。
たとえていうと、農民は共同体に住んでいれば互酬的なやり取りで何とか生きていける。その代わり、共同体ならでわの拘束に縛られる。都市の職人にしても、徒弟制的な共同体(ギルド)に属し、資本制的な賃労働を嫌う。これらに比べると、産業プロレタリアは、互酬的な共同体の原理から自由である。
といってもこのようなプロレタリアが急激に増えたかというとそうでもない。近年にいたるまで、世界の人口の大部分は農民か、都市の貧民であった。この人たちは商品交換の世界に晒されているが、互酬の原理で生きている。よくいえば平等主義的で相互扶助的、悪くいえば「怠惰」で他人の足を引っ張る。このような共同体の原理とは、経済的な停滞の原因であると同時に資本主義化に抵抗する基盤でもありえた。
産業資本における労働力と土地は、実は資本が自ら作り得ないものである。労働力商品といっても、需要がないからといって即廃棄するわけにはいかないし、不足したからといって増産することもできない(移民で補充しても後で不要になって追い出すわけにはいかない)。まさに労働力商品こそ、資本にとって内在的な危機をもたらす。
また資本の限界は、自然を商品化したことにもある。それによって致命的な環境破壊を招く。しかし、資本の自己増殖運動は止まらない。
2008年05月30日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その21
3 技術革新による存続
産業資本の剰余価値は、労働者を奴隷のように働かせることによって得られるものではない。もし労働者が皆奴隷のように働かされたとしたら、その生産物を買う消費者がいなくなり、総体として、資本の剰余価値が実現しないから。
マルクスが「相対的剰余価値」と呼んだものは、技術革新によって労働生産性を上げることによって得られる。労働者を直接搾取するものではない。技術革新は価値体系を時間的に差異化する、それによって剰余価値が得られる。その結果、産業資本は自らの存続のために、たえまなく技術革新を続けることを強いられる。
4 自己再生的システム
産業資本の剰余価値は、労働者が労働力を売り、その生産物を消費者として買い戻す過程にしかない。言葉を変えれば、剰余価値は個別資本においてではなく、社会的総体において考えねばならないということ。これを自己再生的システムと呼ぶ。
産業資本の剰余価値は、労働者を奴隷のように働かせることによって得られるものではない。もし労働者が皆奴隷のように働かされたとしたら、その生産物を買う消費者がいなくなり、総体として、資本の剰余価値が実現しないから。
マルクスが「相対的剰余価値」と呼んだものは、技術革新によって労働生産性を上げることによって得られる。労働者を直接搾取するものではない。技術革新は価値体系を時間的に差異化する、それによって剰余価値が得られる。その結果、産業資本は自らの存続のために、たえまなく技術革新を続けることを強いられる。
4 自己再生的システム
産業資本の剰余価値は、労働者が労働力を売り、その生産物を消費者として買い戻す過程にしかない。言葉を変えれば、剰余価値は個別資本においてではなく、社会的総体において考えねばならないということ。これを自己再生的システムと呼ぶ。
2008年05月30日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その20
2 生産=消費するプロレタリア
マルクスは、資本は流通から生まれることはできない、しかし流通を離れて生まれることもできないというアンチノミー(二律背反)をいった。これはM-C-M’という流通過程において、それを用いることが生産過程であるような商品、つまり労働力を見いだすことで解決される。産業資本は、生産設備を用意→原料を買う→労働者を雇用→生産した商品(C’)を売る。この労働力商品の部分が商人資本との違いであり、それは産業資本の自己増殖をもたらす。
では産業資本がイギリスという特定の歴史的環境で生まれたという事実はなにを意味するのか?生産手段を持たず労働力を持たないプロレタリアがいたからだといえるが、それはイギリスに限らない。大切なのは、プロレタリアが労働力を売って得た賃金で生産物を買う消費者だということ。
それは生産・流通されたものを比較するとよく分かる。商人資本では主に贅沢品が王や封建諸侯に売られた。産業資本での生産品は生活必需品であり、それを買うのは生産したプロレタリアだ。もちろん労働者が必ずしも自分が生産したものを買うわけではないが、総体としてみればそういえる。
農村近傍に新しく形成された都市=市場に、農村からプロレタリアが入っていったのだ。
さらにいえば、商人資本が外国(遠隔地)に向かったのに対し、産業資本は国内に遠隔地を見つけた。
本題から多少ずれる。商人資本=贅沢品、産業資本=生活必需品という区分けであるが、これに関して興味深いのが、区分としては商人資本であるはずのグスク時代における富の分配について、安里進が指摘する箇所である。
グスク・共同体・村

グスク時代は農業生産が発展し、新たな農業集落が生まれた。それに欠かせないのが、小型鎌、刀子、鉄斧などの鉄器である。消耗品である鉄器は絶えず補給する必要がある。琉球では鉄は産出しないので、海外交易に恃むしかない。鉄器・鉄材を海外交易によって入手し、配下の集落へ供給することが、地域首長としての寨官の重要な役割であった。
本来権力者が独占しているはずの贅沢品が、末端の農業集落に分配され日用雑貨ていどに使われていたというのはなにを意味するのか?安里は拙速に結論付けていないが興味深い問いである。
寨官というのは、14,15世紀の『明実録』『朝鮮王朝実録』などの資料に記された名称で、地方の大型グスクの上級城主を、地域首長一般の名称「按司」と区別するために安里が呼称した。寨官は城主であり、戦争の指導者であり、テダ(太陽)と農民から崇めたてられる存在であった。
安里は、寨官が単なる武力的権力者ではなく、住民から畏敬の念、賛美をもって見られていたことを『おもろそうし』を引用し強調している。しかしそのオモロを詠んだ者がどんな立場の人物で、どんな(政治的)意図を含めて詠んだのかには十分注意する必要があろう。この点はおもろ研究に無学な私には現状ではなんともいえない。
また安里は、グスク時代の農業社会が牧歌的な平和な社会ではなかったことを、沖縄各地のグスク時代の集落から出土される止め金具、鞐(こはぜ)、小札といった鎧の一部、鉄製・骨製の矢じりから推測する。
これらのことから分かるグスク時代の交換様式B(略取―再分配)は次のようになる。農民は寨官に農業生産物を貢納→寨官は農民に貿易で入手した鉄器などを分配→農業共同体の生産向上・農業共同体の軍事化→寨官を首長とした共同体の安定。
グスク時代の共同体が外部(他の国家)と交易(交換)をいかにしたか、その構造を明らかにするのが次の課題。
マルクスは、資本は流通から生まれることはできない、しかし流通を離れて生まれることもできないというアンチノミー(二律背反)をいった。これはM-C-M’という流通過程において、それを用いることが生産過程であるような商品、つまり労働力を見いだすことで解決される。産業資本は、生産設備を用意→原料を買う→労働者を雇用→生産した商品(C’)を売る。この労働力商品の部分が商人資本との違いであり、それは産業資本の自己増殖をもたらす。
では産業資本がイギリスという特定の歴史的環境で生まれたという事実はなにを意味するのか?生産手段を持たず労働力を持たないプロレタリアがいたからだといえるが、それはイギリスに限らない。大切なのは、プロレタリアが労働力を売って得た賃金で生産物を買う消費者だということ。
それは生産・流通されたものを比較するとよく分かる。商人資本では主に贅沢品が王や封建諸侯に売られた。産業資本での生産品は生活必需品であり、それを買うのは生産したプロレタリアだ。もちろん労働者が必ずしも自分が生産したものを買うわけではないが、総体としてみればそういえる。
農村近傍に新しく形成された都市=市場に、農村からプロレタリアが入っていったのだ。
さらにいえば、商人資本が外国(遠隔地)に向かったのに対し、産業資本は国内に遠隔地を見つけた。
本題から多少ずれる。商人資本=贅沢品、産業資本=生活必需品という区分けであるが、これに関して興味深いのが、区分としては商人資本であるはずのグスク時代における富の分配について、安里進が指摘する箇所である。グスク・共同体・村
グスク時代は農業生産が発展し、新たな農業集落が生まれた。それに欠かせないのが、小型鎌、刀子、鉄斧などの鉄器である。消耗品である鉄器は絶えず補給する必要がある。琉球では鉄は産出しないので、海外交易に恃むしかない。鉄器・鉄材を海外交易によって入手し、配下の集落へ供給することが、地域首長としての寨官の重要な役割であった。
こうした海外交易を行うには、交換物資が必要だが、その原資は配下の集落から調達した生産物だと考えられる。しかし、これを交換して入手した輸入陶磁器や鉄器をはじめとする舶来の品々は、寨官の独占物ではなく、その大部分が末端の集落にまで分配されていた。とくに中国陶磁器は、当時の東アジア世界で高価な交易品であったにもかかわらず、大型グスクに限らず末端の集落からも大量の輸入陶磁器が出土し、日用雑貨ていどに使われていた。この輸入陶磁器とともに鉄器・鉄材をはじめガラス玉、勾玉、鏡、鉄鍋、その他調度品など各種舶来の品々が末端の集落に分配されていたのである。農民にとって寨官は、小さな集落に鉄をはじめ海外の産物をもたらして苦世を甘世にする、テダとして畏敬されるべき存在だったといえよう。
本来権力者が独占しているはずの贅沢品が、末端の農業集落に分配され日用雑貨ていどに使われていたというのはなにを意味するのか?安里は拙速に結論付けていないが興味深い問いである。
寨官というのは、14,15世紀の『明実録』『朝鮮王朝実録』などの資料に記された名称で、地方の大型グスクの上級城主を、地域首長一般の名称「按司」と区別するために安里が呼称した。寨官は城主であり、戦争の指導者であり、テダ(太陽)と農民から崇めたてられる存在であった。
安里は、寨官が単なる武力的権力者ではなく、住民から畏敬の念、賛美をもって見られていたことを『おもろそうし』を引用し強調している。しかしそのオモロを詠んだ者がどんな立場の人物で、どんな(政治的)意図を含めて詠んだのかには十分注意する必要があろう。この点はおもろ研究に無学な私には現状ではなんともいえない。
また安里は、グスク時代の農業社会が牧歌的な平和な社会ではなかったことを、沖縄各地のグスク時代の集落から出土される止め金具、鞐(こはぜ)、小札といった鎧の一部、鉄製・骨製の矢じりから推測する。
これらのことから分かるグスク時代の交換様式B(略取―再分配)は次のようになる。農民は寨官に農業生産物を貢納→寨官は農民に貿易で入手した鉄器などを分配→農業共同体の生産向上・農業共同体の軍事化→寨官を首長とした共同体の安定。
グスク時代の共同体が外部(他の国家)と交易(交換)をいかにしたか、その構造を明らかにするのが次の課題。
2008年05月30日
『世界共和国へ』を読むためのメモ その19
2章 産業資本主義
1 マニュファクチュアの時代へ
「世界市場」以前と以後で商人資本は変容する。以前では、遠隔地との交易においてその間の価値体系の差異で剰余価値を得ていた。Aという地域で安く買ったものをBという地域で安く売る、というように。しかし以後では、多数の商人資本が参入したり、各地での価値体系が変動するようになったため、差異が剰余を生まなくなる。ではどうしたかというと、自ら生産を組織し、より安くより多く商品を生産することで、国際競争を生き抜くという手法をとった。そこから出てきたのが、マニュファクチュア、つまり手仕事ではあるが、分業と協業によって生産力を飛躍的にアップさせる方法だ。
一方、世界市場の中で、ヨーロッパ東部では「再販農奴制」が、アメリカ南部では奴隷制が、ラテン・アメリカでは農奴制が出現した。これは時代に反するように見えるがどういうことか?「それは、商人資本主義が、基本的に諸国家間の間の価値体系の差異に利潤を見いだすものであり、それぞれがどのような生産様式をとるかに無関心だから」。
世界市場以後の産業資本主義の特徴として、機械によるオートメション化よりも、分業と協業を挙げている点に注意したい。
1 マニュファクチュアの時代へ
「世界市場」以前と以後で商人資本は変容する。以前では、遠隔地との交易においてその間の価値体系の差異で剰余価値を得ていた。Aという地域で安く買ったものをBという地域で安く売る、というように。しかし以後では、多数の商人資本が参入したり、各地での価値体系が変動するようになったため、差異が剰余を生まなくなる。ではどうしたかというと、自ら生産を組織し、より安くより多く商品を生産することで、国際競争を生き抜くという手法をとった。そこから出てきたのが、マニュファクチュア、つまり手仕事ではあるが、分業と協業によって生産力を飛躍的にアップさせる方法だ。
一方、世界市場の中で、ヨーロッパ東部では「再販農奴制」が、アメリカ南部では奴隷制が、ラテン・アメリカでは農奴制が出現した。これは時代に反するように見えるがどういうことか?「それは、商人資本主義が、基本的に諸国家間の間の価値体系の差異に利潤を見いだすものであり、それぞれがどのような生産様式をとるかに無関心だから」。
世界市場以後の産業資本主義の特徴として、機械によるオートメション化よりも、分業と協業を挙げている点に注意したい。






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