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2008年06月30日

沖縄アソシエーショニズムへ その5

佐藤は、後半のパネル討論の中で、フロアからの質問に答え、民族について次のように述べる。

民族とはあまりいいものではない。200年くらいの近代的な現象です。しかし、それがあたかも千年以上続いているように見えるという、われわれの罹っているウィルスだと思います。ウィルスは生物ではないので殺すことはできない。だからどうやって悪い形で発症させないかを考えないといけない。

佐藤優のいうウィルスとは、『世界共和国へ』で語られるネーションのことに他ならない。 

ベネディクト・アンダーソンは、18世紀西洋におけるネーションの発生を、宗教に代わって個々人に不死性・永遠性を付与し、その存在に意味を与えるものとしてみた。ネーションは共同体が持っていた永続性、つまり死んだ者(先祖)やこれから生まれてくる者(子孫)をも考えるあり方を想像的に回復する。普遍宗教は個人の魂を永遠化するが、共同体の永続性の回復はできない。それを回復するのがネーションである。
『世界共和国へ』を読むためのメモ その25

われわれは通常、紀元前から始まる歴史を教科書から学び、それがリニアなものであると認識する。そこでは日本(人) という概念などたかだか「200年くらいの近代的な現象」であることが忘却されている。ウチナー(ンチュ)についても同じことがいえる。ヤマトゥからの植民地支配という抑圧に抵抗するときに、「ワッター・ウチナーンチュ」というアイデンティティが高揚される。そのときに、その人は、「ワッター・ウチナーンチュ」が「あたかも千年以上続いているように」自らをアイデンティファイする。それが「200年くらいの近代的な現象」であるとは思わずに。

その忘却が高揚し、民族紛争のようなかたちとして現れること(ウィルス)に対して、官僚(外交官)である佐藤は「どうやって悪い形で発症させないかを考えないといけない」といっている。

この態度から分かるように、佐藤はあくまで国家の側の人間である。「(沖縄の)血が騒ぐ」と嘯き、遠隔地ナショナリストとしてアイデンティファイしているような発言もするが、それは沖縄に対するあながちウソではない、しかし確信犯的なリップサービス程度に捉えたほうがよいだろう。

同じように、反戦平和の立場から、佐藤の官僚としての立場を崩さない発言を警戒する者もいるかもしれない。しかしながら彼の発言には、他のパネリストに無い視点、問いかけが含まれる。だから、彼の立ち位置を確認しつつも、同時にそのメッセージを篩いにかけ、イイトコ取りをして運動に生かすべき点は生かすのも手ではないか。

その視点とは何か?佐藤は国家というものがどういうものかを知り尽くしている。それが沖縄側の言説(独立、自己決定権などをいうときの態度)ではあいまいである。それは具体的に、次のような発言を指す。

沖縄は今のところ日本の一部であるため、国家としての暴力を自ら行使するという問題から免れているわけですね。ところが独立国家というものを造っていこうということになると、自分たちの暴力性をどのように位置づけるかということが出てきます。

繰り返しになるが、国家というのは他の国家に対して存在する。一国内で国家を見ているだけでは、その正体は見えない。

長年の日米政府の圧制に苦しまされた主体(沖縄)は、さんざん客体(日米政府)の暴力に晒され続けてきた。だから、それからの解放=独立が実現すれば、無条件で平和な状態が到来する。ウチナーンチュは昔から争いを好まぬ平和な民だったではないか。このような主客の論理を持っている人も多いのではないか。

ところが、独立国家とは、他の国家に対して敵対的に(暴力的に)存在する。その構造ができたのは、集権的国家が形成された絶対主義王政の時代に遡る。絶対主義王政は、略取―再分配という交換様式を独占する。そこで初めて官僚組織と常備軍が組織された。なにより国家の暴力が目に見えた。それが目に見えなくなるのが、市民革命以降の国民主権という考えを通してだ。例えば強制的に徴収していた税金が、国民の側から自主的に納められるというように。そのように国家に従順にしていれば、平時は国家の暴力を見なくてすむ。しかしながら、国民がなにをどう思おうが、良い政治家(相対的にマシな政治家)を選挙で選ぼうが、国家の根底にある暴力は残る。だから「自分たちの暴力性をどのように位置づけるか」の議論は、避けては通れないだろう。


  

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2008年06月27日

沖縄アソシエーショニズムへ その4

シンポジウム「マーカラワジーガ?!」へ期待したのは、佐藤優という異物を招いた企画力に対してのものが大きかった。母親が久米島出身という出自もあり、琉球新報へのエッセー連載をはじめ、沖縄へのコミットを始めた佐藤に対して、沖縄では賛否があるようだ。その奈何によらず、彼の発言内容は、これまでの沖縄の言説空間にない風を呼び起こしていることは確かだろう。

ズバリ注目したのは、佐藤と仲里効、松島泰勝との間で繰り広げられるであろう応酬であった。独立、自己決定権、自治などのタームが語られ、議論される過程で、それぞれが抱く国家感が露出されるのではないかと期待した。

だがその前に、佐藤が基調講演で何を語ったかをまずは確認しておこう。それによってこのシンポジウムに対する彼の姿勢がある程度分かるだろうから。

佐藤は、冒頭で沖縄独立について長々と触れた。琉球新報連載「ウチナー評論」とほぼ同内容であるが、彼が自らの立場を明確にした上で、誰に向けて、どんな語り口で話を展開しているか、その形式に注目して読んでいただきたい。

沖縄独立の可能性に関して、沖縄の人々が過小評価しています。沖縄独立は可能です、恐らく3年くらいあればできるでしょう。

まず、沖縄独立論を揶揄する人が、「それを居酒屋独立論ではないか、圧倒的に大多数の沖縄県民は沖縄独立なんか考えていない」という議論がよくなされ、これが「常識」として通用している。国家独立、民族独立、ここではつめないでおきます。

まず居酒屋独立論という言い方ですが、全ての独立運動は居酒屋から始まっています。これはヨーロッパをみれば分かります。カフェ、コーヒーハウス、ティーショップ。そこに入るのは誰でも自由です。こういう場所で「おい、おれたちちょっとコケにされているんじゃないか?」「ふざけやがって!」・・・こういう話を飲みながらするうちに、だんだん独立の方向に向かっていくわけです。ですから、居酒屋独立論というものがでてきているということは、独立に向けた現われだということです。

ちなみに、沖縄の人々が居酒屋独立論というのは構わないです。それは若干の自嘲であり、アイロニーだから。ところが、内地の、沖縄独立に関して理解をしようとしない人間が、「居酒屋独立論だ」というのはいけない、それは揶揄だからです。言葉にはコトダマが宿っています。それを発言する人の真意によって、その内容は別々に受け止められます。

さらに、住民の大多数が反対しているから独立はないということはありません。1991年3月に、ソ連全体でソ連邦維持に関しての国民投票をやりました。8割のソ連人がソ連維持をいい、バルト諸国でも過半数が独立に反対です。ところがその年の終わりにソ連は崩壊し、独立共和国ができたじゃないですか。これは過去3回「うちなー評論」という琉球新報の評論にも書きましたが、ルーマニアとまったく同じ状況です。簡単にいうと、独立というのは、県会議員が国家議員になりたいと思う、県会議長が国会議長になりたいと思う、知事が大統領になりたいと思う、商工部長が商工大臣になりたいと思う、そう思うと瞬く間に実現します。住民全体にとって不利になっても実現します。この例は、東欧、ソ連の崩壊の中でもよく見られる現象です。

去年、教科書検定に対する抗議行動として、11万6千人という一つの物語なり神話ができたということがすごく重要なのです。この11万6千という数字は、一つ一つカウントすれば、そこまではいかないなということは、集会の主催者や参加者が一番よく知っているんですね。ところが、そこで起こっていることが何かを理解していない人間が、数字を数えて難をつけている。そんなことになるのなら、断固11万6千人、こう思うのです。当たり前なんです。

そうやって神話を造らせまいとしているのが、沖縄を軽く見ている奴ら、一部の連中なんですね。この雰囲気というのは、独立の雰囲気に明らかに貢献しています。1987年のバルト諸国の様子に、今の沖縄は似ているなと思います。これがそのまま独立?高揚の意識を高めていくのか、あるいは分離独立の道に行くのか、これは誰も分からないということです。ただ、今のような無為無策を中央政府がやっているならば、独立の方向に拍車がかかります。

私の母親は久米島出身、父親は東京の出身です。母親の生地は上江洲になります。沖縄出身の出版関係者、新聞記者は多くいます。沖縄の姓を名乗っているか、内地の姓を名乗っているかでかなりアイデンティティが違いますが、そういった人たちと話すときに私はよくいいます。「沖縄アイデンティティってわれわれは持っていないよね」と。石垣島とか、久米島とか、今帰仁とか、地域個々のアイデンティティは持っているのですが。ただ最近、沖縄アイデンティティを感じている人が多いんじゃないか?それはどういう時か。少女に対する暴行事件が起きる時。それに対して、内地の報道があまりにも冷たい時。あるいは、教科書検定問題において、内地の連中があまりにも理解しないという時。アーネスト・ゲルナーは、民族というのは負の連帯意識から生まれるといっていますが、そのような遠隔地アイデンティティを実感しています。

佐藤は同じ血が流れている沖縄人の側に立ち、沖縄を理解しようとしない「内地の連中」から距離を持つ。同時に独立についての冷静な分析を、沖縄人へ向けてレクチャーする。独立は3年もあれば可能だというが、実際の沖縄独立については論を控えている。佐藤は、沖縄人としての「血」の部分と、国家の暴力を管理する官僚という立場の双方を都合よく出し入れしている。それが彼なりの「インテリジェンス」なのだろう。
  

Posted by 24wacky at 22:25Comments(2)アソシエーション

2008年06月26日

照屋勇賢 グループ展

アーティスト照屋勇賢が首都圏でグループ展を開催するそうです。クリエイティブな刺激に満ちた空間に迷い込みたいあなたにぴったりかも。27日(金)18:00-20:00にはオープニングレセプションもあるらしい。

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「アート・スコープ 2007/2008」―存在を見つめて
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2008年6月28日(土)~2008年8月31日(日)

加藤泉、照屋勇賢、エヴァ・テッペ、アスカン・ピンカーネル
―4つの個性が開示する現代美術の可能性。
日本とドイツ・4人のアーティストのエクスチェンジプログラム、その成果を原美術館が展示。

本展の4人のアーティストはそれぞれ、絵画・彫刻、インスタレーション、ヴィデオ、ドローイングと、異なるスタイルで制作しています。この中で加藤泉(かとう・いずみ)は、どこか胎児を思わせる人物像をモチーフに生命と存在の根源に触れるような絵画と彫刻を制作しています。また、照屋勇賢(てるや・ゆうけん)は既製品をふくむ多彩な素材によるインスタレーションを通して、人間の社会的な営みの基底にある価値観や美意識に光をあてています。そして、ヴィデオアーティストのエヴァ・テッペは、映像メディアを通して私たちの知覚や認識の本質に迫ろうとしています。一方、アスカン・ピンカーネルの描く繊細で緻密なドローイングは、対象を眼で観察して造形するというまさに表現行為の基本を再確認させてくれます。

【会 期】 2008年6月28日(土)~8月31日(日)
【開館時間】 11:00~17:00(水曜日は20:00まで開館/入館は閉館時刻の30分前まで)
【休 館 日】 月曜日(7月21日は開館)、7月22日
【入 館 料】 一般:1,000円 大高生:700円 小中生:500円
原美術館メンバーは無料、学期中の土曜日は小中高生の入館無料
20名以上の団体は1人100円引
【会 場】 原美術館 〒140-0001東京都品川区北品川4-7-25
http://www.haramuseum.or.jp 携帯サイト
http://mobile.haramuseum.or.jp
【主 催】 原美術館/ダイムラー・ファウンデーション・イン・ジャパン
【出品作家】 加藤泉/照屋勇賢/エヴァ・テッペ/アスカン・ピンカーネル(順不同)
【お問合せ】 03-3445-0651
  

Posted by 24wacky at 20:48Comments(2)イベント情報

2008年06月25日

沖縄アソシエーショニズムへ その3

新川明の反国家とは

5月18日に開催されたシンポジウム「マーカラワジーガ?! 来るべき自己決定権のためにー沖縄・憲法・アジア」セッション1のパネル・ディスカッションにおける質疑応答で、「議論が現実的でない」とのフロアからの声に対し、屋嘉比収は概ね以下のように答えた。

川満信一の「琉球共和社会憲法C私(試)案」その「第十一条 共和社会人民の資格」「琉球共和社会の人民は・・・この憲法理念に賛同し、遵守する意志のある者は、人種、民族、性別、国籍いかんを問わず、その所在地において資格を認められる。」について、上野千鶴子はこう述べている。「これはたんなる夢想だろうか?仮にこのような統治共同体の主張が、国家主権とならんで認められるならば、個人は帰属を移転することで、兵役を避けることもできる。(中略)私の生命と財産は、国家に属さない。私と国家との双務契約は包括的な契約ではなく、限定的、部分的契約に過ぎないという考え方は、徴兵拒否の権利にもつながるし、『慰安婦』訴訟における個人賠償権の論理にもつながる。」(『生き延びるための思想』)

川満は今の国民国家体制の困難さ(*乗り越える困難さという意味か)を踏まえた上で、それとは違う国民主権の在り方、独立の在り方を議論している。ポスト国民国家ということを議論する時に、(川満のように)リアリティとしてそこに踏み込もうとする人たちがいる。一方では、沖縄社会の中で「反復帰論」に対してリアリティを感じない人たちが確実にいる。そこはわれわれ「反復帰論」を接木する世代が考えなければいけない。「反復帰論」を現実の社会でリアリティをもったかたちで再構築する。それが次の問題として提起される。

ポスト国民国家を議論するならば、国民国家についての認識を持つことが前提となる。「反復帰論」を現実の社会で再構築する際に、私のような門外漢は当時「反復帰論」が議論されたときに、そこで(国民)国家がどのように語られているかを確認する必要がある。

シンポジウム壇上では、「話すことはない」と、ひたすら自嘲トーンを崩さなかった新川明は、反復帰―反国家―反国民という議論を復帰前夜、つまり「核抜き・本土並み」という世論が形成されていく中で展開していた。

なぜならば、「復帰」とは、すなわち日本同化の志向に根ざして、日本と沖縄を等質なネーションとして溶解していくということにほかならず、沖縄のわたしたちが、日本人といささかの差別もない同等の国民としての資格付与をねがう心情でしかないからである。そしてその限りにおいて、その志向するところからは、沖縄が日本に対して所有している歴史的、地理的の所産としての、国家否認の可能性は生まれでることはないばかりか、むしろ国家幻想によってその萌芽は扼殺される以外にないからである。
(「『非国民』の思想と論理」)

沖縄は日本と異質であるのに、それが復帰によって等質なネーション(国民)にされてしまうことを新川は危惧した。注目すべきは、その日本とは異質であるという「歴史的、地理的の所産」が「国家否認の可能性」としてあらかじめ目されているということだ。

さらに、沖縄人が日本(人)に対して持つ「差意識」が「強靭な思想的可能性を秘めた豊穣な土壌」であるとした新川は、次のように続ける。

わたしたちはこの土壌を丹念に耕し、掘り起こすことによって、そこに反ヤマトゥ=反国家の強固な堡塁を築き、それによって日本志向の「復帰」思想を破砕することができる。そして日本同一化をねがう「復帰」思想を打ち砕くことによって、反国家の拠点としての沖縄の存在を確保し、その沖縄の存在をして〈国家としての日本〉を撃つ、つまり国家解体の爆薬として日本の喉元を扼すことができるだろうと考える。

沖縄人としての民族性を高めることが、反ヤマトゥ=反国家となるという論理である。ヤマトゥに反する行為として、沖縄人としての「差意識」を保持することが求められる。そのような沖縄の存在が日本という国家を解体させるというように読める。

米軍統治下、本土復帰前の沖縄は、日本という国家の外にある、そして主権がない状態といえる。その状態であればこそ、反国家を掲げることは極めてリアルな正当性を持つ。等質化を迫るヤマトゥに抗し、「差意識」を保持することによって、「日本志向の『復帰』思想を破砕する」という批判精神は鋭い。

だが、それが反ヤマトゥといえたとしても、反国家とまで論理を拡げることに、私は疑問を持つ。新川のいう国家とはヤマトゥを指すに過ぎず、独自の意志を持つ国家そのものの形態を見ていない。沖縄の民族性を高めることが、日本という国家を解体させるというが、私には具体的にそのイメージが浮かばない。この時、もしそのような方向性に向かっていたとすれば、沖縄は本土復帰せずに、アメリカの統治からも解放され、独立国家という形態をとっただろう(それが可能であればの話だが)。それは日本という国家を解体するよりむしろ強固にしただろうし、沖縄も反国家ならぬ不安定な独立国家として、同様に自らを敵対的に編成せざるをえなかっただろう。つまり、民族意識が高揚し、紛争により独立を果たすという、それ自体が国民国家の産物であるような結果となる以外想像ができない。

もっとも、新川は、自説の「反復帰」を、「琉球独立論」という政治運動論として捉える周辺からの評価に対して、「貧困な想像力が反乱している」と無理解を憤っている。

だから、少なくとも私が、「反復帰」という時の「復帰」とは、分断されている日本と沖縄が領土的、制度的に再統合するという外的な現象を指しているのではなく、それはいわば、沖縄人がみずからすすんで〈国家〉の方へと身をのめり込ませていく、内発的な思想の営為をさす。その意味で「反復帰」とは、すなわち個の位相で〈国家〉への合一化を、あくまで拒否し続ける精神志向と言いかえて差し支えはない。さらに言葉をかえていえば、反復帰すなわち反国家であり、反国民志向である。非国民として自己を位置づけてやまないみずからの内に向けたマニフェストである。
(〈反国家の兇区〉としての沖縄)

沖縄は、琉球処分以来統合支配されていた日本から、敗戦により分断された。それによって日本の呪縛から解放されたかのようだったが、絶えざる暴力に晒される米軍支配、そしてそれが、対日講和条約により固定化されることへの不安から、反米思想が高揚し、翻って本土復帰を志向した。

その過程で日本という国家へ「身をのめり込ませていく」沖縄人を、新川は批判する。そうではなく、国家を拒否し続ける個の精神志向こそが「反復帰」の意味するところだと。時代を覆った沖縄の本土復帰への「全体主義」に対して、外部(ヤマトゥ)を単に批判するのではなく、沖縄人の内発性に切り込む新川の態度は批評そのものといえる。

と同時に、私は、ここに新川の批判の限界を感じる。新川は、国家に対する概念として個の精神性を重視している。つまり、新川の「反国家」は精神の闘いである。そして、それ以上具体的な運動論を展開していない。

しかしながら、精神の闘いのみで国家は覆せるだろうか?もちろん、否である。それは、容易に覆されないような強固な構造を持っている。そのカラクリを理解すればするほど、それを解消することの困難さもまた理解せざるをえない。にもかかわらず、国家が何であるかを理解した上で、対抗の理論と実践を志向するのが『世界共和国へ』を読むことの意味である。


新川明の反復帰論については、まだまだ評価すべき点があるだろう。何より、「復帰前」というクリティカル・ポイントで「反国家」という言葉を用い、ヤマトゥのみならず沖縄(人)をも批判できたことは大きな意味を持つ。私自身、未だ彼の思想の全体を把捉できていない。沖縄(人)が国家(日本)へと身をのめりこませていった、その精神性ではなく構造について興味がある。
  

Posted by 24wacky at 20:31Comments(2)アソシエーション

2008年06月23日

沖縄アソシエーショニズムへ その2

国家は政府と違う

NAM時代に書かれた『トランスクリティーク』(2001年)を「緻密に練り直した続編」として書かれた『世界共和国へ』では、国家の暴力について以下のように述べられている。

絶対主義国家の時代は、略取―再分配という交換様式に基づいた独占状態(国家の暴力)は誰の目にも明らかだった。しかし、市民革命以降、国家の主権者は国民であると看做され、その暴力性が見えなくなった。たとえば絶対王政では、王が税を徴収し、それを再分配していたが、現在では国民が自主的に納税をしている。

しかし、そのような見方は、国家を内部だけで考えるものです。国家というものは何よりも、他の国家に対して存在します。だからこそ、国家は内部から見たものとは違ってくるのです。市民革命以降に主流になった社会契約論の見方によれば、国家の意志とは国民の意志であり、選挙を通して政府によってそれが実行されると考えられています。ところが、国家は政府とは別のものであり、国民の意志から独立した意志をもっていると考えるべきです。
(『世界共和国へ』P.113~)


このことを理解するために、柄谷は株式会社を例に出す。大企業では、経営者は社員から選ばれる。経営は社員総意によってなされるかのようにみえるが、実は資本(株主)に拘束される。社員がどう思おうと、経営者は資本の要求、つまり利潤の実現を満たさなければならない。その資本は通常目に見えない、国家が国民に見えないように。しかし、株主が経営者を解任したり企業買収したりすると、はじめて資本があると実感する。同様に、国民が国家の存在を実感するのが戦争においてだ。

国家――政府――国民
資本――経営者――社員


国家と政府を混同している多くの運動体とNAMはなるほど異質である。運動体に限らず、多くの人は両者を混同している。といっても、そのことを理解しているつもりで実は怪しい私のような会員は、当時のNAMには他にもいたはずであるが。

一方、沖縄の反基地運動は日米両政府に対する抵抗運動としてあり続けた。辺野古新基地建設に抗議する次の投書(篠原孝子さん)を読むと、それはいっそうはっきりする。

私たちは日米政府が決めたことだからといって、従う必要があるだろうか。今ある自然を守り環境破壊を止めていかなければならない時代に、世界に誇れる数々のサンゴ群落がありジュゴンがすむ海にわざわざ血税をつぎ込んで新基地を造る計画だ。
これを推進している人たちを見ていると結果的に得をする人に限られているように思う。だからこそ非現実的な計画を現実的というのだし、今飛ぶヘリを減らす努力もせず「普天間」が危険なままでいいのかと脅す。
犠牲を押し付け続ける国の役人が世界平和のことや命の大切さを考えているとは思えない。
(沖縄タイムス投書欄「わたしの主張 あなたの意見」6月1日付「米従属か否か選択すべきだ」より一部転載)

この書き手が批判している「推進している人たち」は可視の存在である。それは様々なかたちで利益を得る地元関係者であり、次の段で具体的に、「犠牲を押し付け続ける国の役人」と名指しされる人たちである。つまり「日米政府」の「犠牲を押し付け続ける国の役人」などが辺野古新基地建設を「推進している」のだと。

辺野古の海上、海中での非暴力の抵抗運動に対して、時に暴力的な手段に訴えて作業を強行する現場の作業員たち。そのように生身の抵抗の相手は目の前に多勢で実在する。しかし作業員たちは指示に従い業務を遂行しているにすぎない(と彼らは答えるだろう)。だから本来の相手は、それを指示している「国の役人」であるともいえる。

「押しつけられた常識を覆す 第1回」で我部政明が指摘したように、辺野古の新基地建設が軍事的理由でなく、政治的理由によるものならば、日米政府の政治状況の変化によって、つまり政党・政治家が変わることによって、あるいは役人が刷新されることによって、事態は変わるかもしれない。それはありえないことではない。

しかし仮に辺野古新基地建設が中止されたとしても、それは戦争がなくなるという意味ではない。なぜなら、そのような見方は社会契約論的な見方、つまり国民の意志を政府が代行するという見方に立ってのものであり、柄谷にいわせれば国家が見えていない。国家には、政治家からも役人からも国民からも独立した意志がある。それは膨大な官僚組織と常備軍が形成された絶対主義国家の時代から一貫して存在する。であれば「犠牲を押し付け続ける国の役人が世界平和のことや命の大切さを考えているとは思えない」を言い換えて、そもそも国の役人(官僚)は、常に国民に対し犠牲を押し付け続けるし、世界平和のことも命の大切さも考えない存在である、といったほうがよい。

沖縄の運動にも様々な立場、微妙な主張の違いがある。基地の無い反戦平和、県外撤去、海外移転、日本の差別的政策を批判し国内の平等負担を求めるなどなど。当然現場にも様々な一つでない声がある。篠原さんの意見もそのうちの一つである。まずその一つ一つの声が丁寧に聞き取られるべきなのはいうまでもない。

ただそこで大事なのは、国家と政府は別のものという認識も持つべきだということ。政府を相手にした抵抗運動で辺野古新基地建設を阻止する。しかしそれだけで世界平和は訪れない。だから、同時に国家を相手にした対抗運動を試みる。

辺野古の運動をしている人たちは、自分たちは時間稼ぎをしているだけであり、そうしている間に仲間たちが他のやり方で止めてくれることを期待しているといっている。それに応じて、われわれは国の出先機関に申し入れをしたり、座り込みをしたり、世論喚起を試みたり、県外、海外とのネットワークに働きかけるなどする。これらはみな、即応的で現実的に必要な運動である。

しかし同時に、これらはもぐら叩きゲームである。辺野古を阻止できたとしても、また新しい基地がどこか別の場所に新設されないという保証はない。なぜなら国家とは他の国家によって存在する暴力的なものであり、政府を相手にした運動ではそれは解消されないから。

われわれはもぐら叩きゲームを現実的にせざるを得ない。しかし同時に国家への対抗運動を始めなければならない。それはとてつもなく漸進的なものだ。「そんな悠長なことをいう暇があるか!」と、運動の現場からいわれるかもしれない。だが、国家がなんたるかを知れば、その悠長なことをやる以外に希望はないのだ。
  

Posted by 24wacky at 21:11Comments(7)アソシエーション

2008年06月22日

2008年06月22日

沖縄アソシエーショニズムへ その1

はじめに

柄谷行人著『世界共和国へ』(2006年)を沖縄で読む。それは次のような個人的状況からそうする。東京時代のNAMの運動と解散、そこから遠く離れた沖縄での5年間のアリバイ、そしてこれからの試行を明確にするため。それはこのブログの「オキナワからヤマトを、ヤマトからオキナワを読む、そこはひんやり静かなアンビエント空間だ。」という究極的に孤独な場所の滞在延長許可を得る作業とも相関関係にある。

さらにいえば、これは最近開かれた沖縄にとって極めて重要な2つのシンポジウム「押しつけられた常識を覆す」「マーカラワジーガ?!」への応答にもなるだろう。これらの催しが行われたのは、まったなしの沖縄の今が要請させたものだといってよい。

まったなしの沖縄の今と、『世界共和国へ』を読むことは、どれほどの接点があるだろうか?私は『世界共和国へ』を読むことで、沖縄の今を批判(吟味)し、沖縄の今を吟味することによって、できうるならば来るべき沖縄でのアソシエーションの実践に繫げたい。

資本と国家に対抗する運動NAM(New Associationist Movement)は2000年に始まり、2003年に解散した。私は2001年春にNAMに参加、解散時の混乱を見届け、東京を離れ、沖縄に移動した。活動に没頭していた私にとってNAMの解散はショッキングな出来事であったが、組織はなくなっても「NAM的なもの」の実践をするのみだ、と自分に言いきかせた。

沖縄での生活を始めてほどなく気がついたことは、何かを始めようとすると、きまって「本土のやり方をそのまま持ってきても沖縄ではうまくいかない」という拒絶の言葉に出くわすことだった。「別に『本土のやり方』をしているわけではないのに」と、私は困惑した。

しかしほどなく私は気づいた。私の「やり方」に限らず、立ち居振る舞い、見た目、存在自体が、沖縄の人々にとって異質であることを。そのことに気づいていないのは私の方であることを。
以来私は東京でやってきたこと、ネットワークなどを行李に収めることにした。それらから遠く離れることにした。そしてとにかく沖縄に馴染むことに専念した、じわじわと、ふつふつと、たんたんと。

沖縄の米軍基地問題は日本の植民地政策である。私を含む日本人は沖縄(人)にとって加害者である。それに対して沖縄で生活するヤマトーンチュとして、なにを、いかにすべきか?
私は、ときに反基地運動の現場に立ち、時に本土のメジャーメディアが伝えようとしない情報を、自らがメディアとなって伝えるなどしてきた。

こういった運動に足を突っ込みながら、沖縄の運動にとってNAMの理論・実践は有効だろうか、あるいは沖縄の運動にとってNAMはどのように異質なのか、そんな思いを巡らすことが多々あった。果たして両者に接点はあるだろうか?
  

Posted by 24wacky at 00:49Comments(2)アソシエーション

2008年06月20日

高江座り込み1周年報告会

7月からの工事再開に抗して(というか既に姑息なやり方で再開しているのだが)「ヘリパッドいらない住民の会」らしく集いを持ちます。ここでもカクマクシャカ登場!


     1年前はこんなでした

高江座り込み1周年報告会

2008年6月29日(日)  14:00-16:00
東村農民研修施設(東村平良郵便局向い)
主催:ヘリパッドいらない住民の会

内容:住民の会から現状報告/DVD上映/座込み参加者リレートーク
カクマクシャカライヴも有ります!
メッセージ性の強い音楽で全国的に活躍する具志川出身のミュージシャン。読谷出身の知花竜海さん(DUTY FREE SHOPP.)も駆けつけてくれる予定。

お問い合わせは・・・ヘリパッドいらない住民の会
Cell : 090-9789-6396
TEL&FAX : 0980-51-2688
info(あっと)nohelipadtakae.org
(あっと)部分をアットマークに置き換えてご利用下さい。

//カンパもどうぞ宜しくお願いします//
郵便振替 01780-1-65612
払込先名義 ブロッコリーの森を守る会

作業開始目前!
豊かな自然を子供たちに残したい!

沖縄県北部に位置するヤンバル。その中でも豊かな自然が残る東村高江区に、新たに6カ所米軍のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)を建設しようと工事が開始されました。心豊かで静かな生活とそこで暮らす人々の安全、安心な暮らしを守ろうと、住民がヘリパッド建設に反対する座り込みをはじめてから1年。

住民たちの小さな力と、国内外から沢山の方々の支援やご協力により、建設を止める事ができています。現在3月から工事が一時中断していますが、7月からまた再開!

なんとしてでも止めたい!
これ以上戦争の加担はしたくない!

作業の再開を目前に住民の会がこの1年の現場報告と共に、一人でも多くの方の座り込みなど建設を止めるためのご協力をお願いします。

2008年6月
ヘリパッドいらない住民の会
  

Posted by 24wacky at 03:56Comments(0)イベント情報

2008年06月19日

写真展@沖大ギャラリー

現在開催中の泡瀬干潟については既にお伝えしましたが、実は先週の大浦湾から4週連続のシリーズでした。
改めてスケジュールをお伝えします。
お時間のある方はぜひ足をお運び下さい。


※開催中
6月16日(月)~6月21日(土)  
泡瀬干潟『こんにちは泡瀬干潟』 
(by 小橋川共男さん :泡瀬干潟を守る連絡会) 

6月24日(火)~28日(土) 
 『名も無きものたちからのメッセージ』
(by 有光智彦さん 写真家)沖縄本島南部 大度海岸の海の生きものを中心とした写真展示です。

最終展示予定
6月30日(月)~7月4日(金) 
高江 「ヤンバルの森と生きる人びと」(仮題) 
(by 屋良朝栄さん)

場所:沖縄大学ギャラリー(那覇市国場)
時間:午前11時~午後8時(8時半閉館)
  

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2008年06月19日

Peace Music Festa! from 辺野古 08

ピースミュージックフェスタfrom辺野古'08 in上野

首都圏の皆様、観て下さい、この多彩な出演者!


DJ Tuk Tuk Cafe、荒川聡
KACHIMBA4
KZ [G.A.C]
照屋政雄
Shaolong To The Sky
寿[kotobuki]
DUTY FREE SHOPP.×カクマクシャカ
ドーナル・ラニー with 梅津和時,近藤ヒロミ
新風エイサー
渋さ知らズオーケストラ
ソウル・フラワー・ユニオン
  

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2008年06月19日

キャンドルナイト

やっぱこれも載せとかないとマズイか。
夏至の日です。
21日です。

カクマクシャカ&KEN子、がんばってます。
    ↓
Candle night Okinawa

これはてぃーだブログを始めけっこうメジャーどころがカマシテイルので、この期に及んでオイラが宣伝することもないのだが、参加者の中には、地道に活動している方々も見受けられるので。
    ↓
Candle night in Okinawa

まあ、個人的には home で大切な人と親密な暗闇を愉しむキャンドルナイトの方が好きなんだけど、今年はそういう人もいないし・・・

去年の冬至は大阪のキャンドルナイトだったな~。
こんなオイラにつきあってくれたTちゃんに感謝感謝。

  

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2008年06月18日

沖縄戦から見えるアジア、アジアから見える沖縄戦

21日はヤバイほどバッティングしています。
『それは島』は3月の「コロニアル沖縄」で短縮版を観たが、今回は貴重なフルバージョンだということで見逃せない・・・
パネリストもこの人たちだし、豊光さんの写真展もやってるし。
ううむ。

シンポジウムと上映会
~沖縄戦から見えるアジア、アジアから見える沖縄戦~


6月21日[土] 15:00-19:00
参加費:一般 1,000円/中高大 800円/友の会会員 500円 ※入館料込み

【第I部 ドキュメンタリー上映】 15:00-16:30

『それは島-集団自決の一つの考察-』 間宮則夫(日本/1971年/モノクロ/81分)


【第II部 シンポジウム】17:00-19:00

パネリスト:

仲里効(なかざと・いさお)

1947年、沖縄南大東島生まれ。法政大卒。1995年に雑誌「EDGE」創刊。 編集長。著書「オキナワンビート」、「ラウンドボーダー」、「沖縄イメージの縁(エッジ)」。 2007 年 沖縄 タイムス出版文化賞正賞受賞。映像関係では『嘉手苅林昌 唄と語 り』(1994)共同企画、『夢幻琉球・つるヘンリー』(高嶺剛、1998)共同脚本、山形国 際ドキュメンタリー映画際2003・沖縄特集〈琉球電影列伝〉コーディネーター、『コンディションデルタ沖縄』(2006)制作。

 
目取真俊(めどるま・しゅん)      

1960年沖縄県今帰仁村生まれ。琉球大学卒。小説家。
小説に『水滴』(九州芸術祭文学賞・芥川賞)、『魂込め(まぶいぐみ)』(木山捷平・ 川端康成賞)『平和通りと名付けられた街を歩いて』『郡蝶の木』『風音(ふうおん)』『虹の鳥』、評論・エッセイ集に『沖縄/草の声・根の意思』、新書『沖縄「戦後」ゼロ年』 『沖縄地を読む 時を見る』等。 


胡冬竹(Hu Dongzhu/フー・ドンジュ/こ・とうちく)

1972年中国北京生まれ。現在、上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士課程在籍。専門はメディア研究、東アジア政治文化論、戦後日本の中国に関する言説分析。近年、通訳・翻訳者として日本と中国、台湾、韓国の表現者研究者とともに、東アジアの文化と政治について、実践的に交流の場をつくる多くの仕事に関わる。特にテント芝居やドキュメンタリー・フィルムを通して、東アジアの表現思想を追求。

佐喜眞美術館
沖縄県宜野湾市上原358
TEL/098-893-5737
開館時間/9:30-17:00
休館日/火曜日、年末年始

開催中の展覧会
比嘉豊光写真展 わった~「島クトゥバで語る戦世」
6月4日[水]~6月30日[月]
  

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2008年06月18日

沖大50周年記念シンポ


『観光コースでない沖縄』(高文研)は、私が初めて沖縄へ一人旅をした時の強力なガイドブックだった。これをたよりに、伊江島の阿波根昌鴻さんの家、読谷村の象の檻、チビチリガマなどを訪ねた。「集団自決」の生々しい写真掲載からは、日本軍の加害性という問題を現実認識させられた。この6月には第4版が出され、その内容も、タイムス謝花、新報松元両記者など執筆陣も新しく加えられているという。

その『観光コースでない沖縄』が、80年前半代から開催された沖縄大学でのセミナーが元になっているという事実を今回初めて知った。


そして今回沖縄大学50周年記念シンポジウムということで、会がもたれる。沖縄地元紙記者の生の声を聴くことができるまたとない機会である。




土曜教養講座第434回(沖縄大学創立50周年記念シンポジウム)

『いま、沖縄に何が問われているか-沖縄セミナーから20年-』
 
 日時:2008年6月21日(土)午後2時-5時
 場所:沖縄大学3号館101教室
 予約不要・無料

 共催:高文研
 
(パネリスト)
 謝花直美(沖縄タイムス編集委員) 「いま、沖縄戦をいかに語るか」
 松元 剛(琉球新報編集局)    「米軍再編と沖縄基地」
 前泊博盛(琉球新報論説副委員長) 「基地と振興策-何が蝕まれているか-」

(コーディネイター)
 新崎盛暉(学校法人嘉数学園理事長・沖縄大学名誉教授)

※シンポジウム終了後、懇談会があります。(午後6時~/1号館402教室/会費制)
  

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2008年06月18日

泡瀬干潟写真展で沖大生を啓蒙する

今日は小橋川共男さんの泡瀬干潟写真展@沖大ギャラリーの受付ヘルパーをしてきた。

施錠を外しギャラリー内へ入ると、一見して場内に小橋川さんの写真の数々が美学的に相応しく設置されているのが分かる。一つ一つを見ると、色彩の豊穣さと干潟を演出する生命の豊穣さがこちらをたじろがせる。思わず漆黒の野性オヤジ小橋川さんのやさしい眼差しがカメラを据えた瞬間を想起する。

それはよいのだが、予想通り来館者はまばらである。最初に現れたのが桜井学長なのだから、「さすが桜井先生!」と手を打つと共に、「オイオイ沖大生よ、君たちは沖大生だろうが・・・」とわけのわからない慨嘆をしてしまう。

それでもその後は、沖縄リーフチェック研究会のNさんがしばしゆんたくにつきあってくれたり、タイムスY記者が取材にきてくれたり、いつものようにどこからともなくぶらり姿を現したシャイな運動家Sさんと伊是名島話で盛り上がったり(Sさんとは先週末伊是名島でバッタリ出くわした)、沖大創立50周年を記念して新キャンパス建設が予定されているということで、担当する建築家の例のあの方が今日はすっかり建築家モードで気忙しくギャラリー前を通り過ぎていったりで(ギャラリーは7月で取り壊すらしい)、それなりに時間が過ぎる。

いよいよやってきました沖大生。彼ら数人に「泡瀬干潟に行ったことある?」と話しかける。皆、行ったことがないという。それではと、埋立事業について概説する。

なにしろこんな無駄な事業なのだからと説明すると
    ↓


彼ら / 彼女らは「ええ~?」と聞き耳を立てる。みな、素直な良い子たちだ。中でも熱心に話を聞いてくれた女の子に、泡瀬干潟を守る連絡会が定期的に開催している自然観察会の話をフルと、「次はいつやりますか?」とノリが良い。即座に事務局長の前川さんに問い合わせのTELを入れ確認。週末22日に予定しているとのこと。彼女が眼前のワンダーワールドにピュアな表情を輝かせているところを想像してしまう。


沖大生よ

啓蒙してもよかですか?!



(実は2年前、24wackyはブザマでした)
今日も泡瀬で日に焼けて
激しい日焼け

ということで、6時過ぎにクイナ2号さん、辺野古から到着。ヘルパーのお礼に宜野座の刺身をいただく。帰宅後ペロリでこれがやらたと旨い!

クイナ2号さん、ごちそうさまでした!それから、この写真展の4週連続の企画内容を、せっかくだからMLにでも情報詳細を流してくださ~い。改めてブログで告知しますので。  

Posted by 24wacky at 00:13Comments(0)キモチE

2008年06月16日

泡瀬干潟写真展@沖大ギャラリー

本日より開催です。
宝物を探しにどうぞ!

明日17日は6時まで24wackyが受付やってます。
お暇なかたはゆんたくしにきてね~

クイナ2号さん、写真を掲載させていただきました。

小橋川共男写真展
「こんちは泡瀬干潟」

6月16日~6月21日(土)
場所:沖縄大学ギャラリー(那覇市国場)
時間:午前11時から午後8時


ようこそ泡瀬干潟へ

展示の写真は2001年4月、初めて撮影した一部と2002年1月~2008年3月まで撮影した中から構成しました(新種、新産種の生き物たちは、発見者・専門家の提供写真です)。
最初、私も泡瀬干潟のことを全く知りませんでした。護岸から見て、黒っぽくて汚い海だなというのが第一印象です。しかし、それは大きなマチガイ。ひとたび海の中へ目を転ずれば驚きの世界。生命があふれていたのです。まさに灯台もと暗し。水深わずか1メートル前後の水中ワールドに宝物があったのです。
今日は泡瀬干潟をゆっくりと泳ぎ、歩いてください。そして、生き物たちが何を語りかけているのか考える一助になれば幸いです。
小橋川共男
  

Posted by 24wacky at 17:04Comments(0)イベント情報

2008年06月07日

まちぐゎーもとぶプロジェクト

来沖当初数ヶ月を過ごした本部は今もとても気になる場所。
その本部の市場を拠点に、シマの若者が言いだしっぺとなり、地域活性化の試みとして始まった「もとぶ手作り市」。


       昨年12月の様子

さらに本格的に事業レベルまでやってしまおういうということで始まった「まちぐゎーもとぶプロジェクト」。沖縄タイムス本部販売店会の協力により「まちぐゎータイムス」も創刊ということで、地域密着型の情報発信がしっかりなされているところが画期的。ワークショップ形式による勉強会の開催で、ボトムアップ式の合意形成がなされることを期待する。

地域活性化というのは、漠然とした概念で、数値化できる部分とでき難い部分がある。その両者を見極めたうえで、具体的なend(目的)のイメージをいかに共有できるかがポイントとなるのでは。

同時にこの手の作業では、目的よりもそのプロセスが何よりとても楽しい。想像してもいなかった出会いの連続、繋がりの連鎖、「目的は何だったっけ?」と確認してしまうほどのハプニングが待ち受けている。

16日のワークショップにできれば参加したいと思っている。  

Posted by 24wacky at 11:56Comments(2)コミュニティ

2008年06月07日

食べて話そう、パレスチナの日常/非日常生活

首都圏でのイベントですが、お薦めです。

定員15名 Beans Kitchenにお申し込みください、とのこと。

ちなみに24wackyはパレスチナ・オリーブを佐賀の山奥まで行商したことがあります。

第5回いのち育む交差点
「食べて話そう、パレスチナの日常/非日常生活」

パレスチナとのフェアトレード団体、「パレスチナ・オリーブ」の皆川万葉さんをお招きしてお話を伺います。フェアトレードを始められて10年、その中でご覧になられたこと、考えられたことをざっくばらんにお話しいただき、また、パレスチナ料理をつつきながら皆さんと今起きている問題について考えをシェアリングできればと思っています。ご都合のつく方、どうぞご参加くださいませ。宜しくお願いします。

~皆川さんより~
「パレスチナというと、やはり特別な場所だと思ってしまう人が多いのですが、むしろ、同時代を生きる普通の人たちといっしょに「仕事」をすることから、イスラエルの占領という「非日常」がパレスチナ人の日常にどう影響しているのかが見えてきます。」

日時:6月14日(土)16時半~

場所:Beans Kitchen
   東京都台東区谷中3-11-18
   03-3823-2406
http://www.beans-kitchen.com/

参加費:3,500円
  

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2008年06月06日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その33

4 世界共和国へ

「単独行動主義か多国間協調主義」かは、ヘーゲルとカントの対立に似ている。永遠平和のために国際連合を構想したカントを嘲笑的に批判したのがヘーゲルであった。ヘーゲルによれば、国際連合が機能するためには、規約に違反した国を処罰する実力を持った覇権国家がなければ平和などありえない。

しかし、カントは理想主義者ではない。カントは、人間の本性である「反社会的社会性」を取り除くことはできないと考えていた。カントは国家連合構想を、人間の理性や道徳によって実現されるものではなく、人間の「反社会的社会性」いいかえれば戦争によって実現されると考えた。

19世紀を通して支配的だったのはヘーゲルの考え方で、第一次大戦へ至った。しかしその悲惨な結果によって、カントの理念に基づいた国際連盟が形成された。これはアメリカが批准しなかったため第二次大戦を防ぐことができなかったが、人類史における初めて偉大な達成である。

カントが国家連盟を提起したのは、理想主義からではなく、現実主義的な妥協からにすぎない。カントの理念は究極的に、各国が主権を放棄することによって形成される世界共和国にあり、国家間の敵対状態を解消することはそれ以外ありえない。カントの平和論は到達すべき理念としてある。

しかしわれわれはそれをただ座視しているわけにはいかない。人類には解決せねばならない課題がある。すなわち、戦争・環境破壊・経済的格差。そしてこの3つは切り離せない。国家と資本を統御しなければ、このまま破局への道をたどるしかないだろう。

これらの解決のために、一国単位でなく、グローバルな活動をする非国家組織やネットワークがたくさんあるが、それらは有効に機能しているとはいえない。なぜなら諸国家の妨害にあうから。

そうだとしたら、どのように国家に対抗すればよいか?われわれに可能なのは、各国で軍事的主権を徐々に国際連合に譲渡するように働きかけ、国際連合を強化・再編成することだ。日本の憲法第九条における戦争放棄とは、軍事的主権を国際連合に譲渡するものだ。

各国の「下から」の運動は、諸国家を「上から」封じ込めることによってのみ、分断をまぬかれる。「下から」と「上から」の運動の連係によって、新たな交換様式にもとづくグローバル・コミュニティ(アソシエーション)が徐々に実現される。それは容易ではないが、絶望的でもない。



これで「~メモ」は終わり。  

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2008年06月06日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その32

2 「帝国」と広域国家

アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『帝国』では、「帝国」はどこにもない場所と述べられている。ここで彼らが「帝国」と呼んでいるのは「世界市場」のことだ。「普遍的交通」の下で民族や国家の差異は無化されるだろうというような。これは1840年代のマルクスと同じ認識で、国家という位相を無視している。

今日では国民国家の枠組が弱まっているように見えるが、だからといって国家は解消されない。ヨーロッパ諸国家はアメリカや日本に対抗するためにヨーロッパ共同体を作り、経済的・軍事的な主権を上位組織に譲渡した。だがこれは、世界資本主義の圧力の下に、諸国家が結束して「広域国家」を形成するということでしかない。



3 マルチチュードの限界

ネグりとハートは「帝国」の下で国民国家が消滅し、「マルチチュード」が対抗するだろうといっている。マルチチュードとは、労働者階級のみならず、マイノリティ、移民、先住民その他の多様な人間集団を指しているらしい。また、「単独行動主義」(冷戦後のアメリカ)「多国間協調主義」(ヨーロッパ、あるいは国連)いずれも無効だという。そうではなく、マルチチュードこそが新しい枠組となり、民主主義を可能にするといっている。

これはアナキズムの論理であり、国家の自立性が無視されている。マルチチュードの反乱は、国家の揚棄よりも、国家の強化に帰結するほかない。
  

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2008年06月06日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その31

第Ⅳ部 世界共和国


1 主権国家と帝国主義

これまで「世界帝国」から「世界経済」への過程で、資本=ネーション=国家が形成されたことをみてきたが、第Ⅳ部では、それがその後に、どのように変容したか、あるいはしなかったかを考えたい。それは20世紀に顕著になった帝国主義の問題にかかわっている。

レーニンは、帝国主義とは産業資本にかわって独占と金融資本が支配した段階であるとみた。そのような見方は、現在も別の形で残っている。1990年以降資本主義のグローバリゼーションと呼ばれる時期を、「資本主義の最高段階」と呼んだり、あるいは、その結果国民国家の枠組がなくなり、ヨーロッパ共同体のような「帝国」(広域国家)になるという意見があるかと思うと、多国籍的な資本主義こそ新たな「帝国」だという意見もある。

しかし、これらはすべて、国家の自立性、つまり国家が資本主義と別の源泉に由来するということを見ていない。両者は違った交換様式に根ざしていて、なおかつ相互依存的であるから、一方が他方を廃棄するようなことはありえない。そのような国家と資本の「結婚」が生まれたのは、絶対主義国家(主権国家)においてであり、帝国主義の問題はそこから始まっている。

本来主権国家は膨張的であり、その膨張を止めるのは、他の主権国家だけである。あるいは、被支配地域が独立し自ら主権国家となることによってのみそうなる。だから、主権国家は必然的に主権国家をもたらす。

ハンナ・アーレントは「国民国家は征服者として現れれば必ず被征服民族の中の民族意識と自治の要求を目覚めさせることになる」とし、ナポレオンによるヨーロッパ征服に「帝国帝国主義のディレンマ」の最初の事例をみた。そのときナポレオンは、イギリスの産業資本主義に対抗するために「ヨーロッパ連邦」を企て、同時に「フランス革命の輸出」を試みた。だがその結果が、ドイツその他におけるナショナリズムの喚起となった。国民国家の帝国主義的膨張は新たに国民国家を作り出さざるをえない。

ではどうして国民国家は「帝国」の原理をもちえないのか?どうして国民国家は「帝国」的な原理がまだ存在している地域では成立し難いのか?それに答えるために絶対主義王権国家に遡る。絶対主義王権国家は、その内部に権力を認めない。すべての者を「臣下」(subject)にし、同一化(均質化)させる。主体(subject)としての国民(ネーション)が成立するのは、その過程を経た後である。国民国家が「帝国」の原理をもちえないのは、その前身の絶対主義国家がそれを否定するものだからだ。そしてそれは世界各地の国民国家形成でも同じ過程がとられる。
  

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