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2019年09月07日

『心の病気ってなんだろう?』松本卓也

『心の病気ってなんだろう?』松本卓也

 「中学生の質問箱」シリーズとして平易な会話の文体で著者がこだわったことはなにか。それを書くために、「正常」「異常」「症状」「回復」などの言葉に鉤括弧がつけられる。

 第2章では、統合失調症、うつ病、躁うつ病、PTSD、転換性障害、強迫症、摂食障害、社交不安障害、不登校・いじめ、発達障害、認知症などが個別で詳しく解説される。そこで伝えたかったことは、一見すると「異常」な心の働きも、「正常」なものとして考えることができるということである。たとえば、統合失調症で生じる妄想は、心の働きそのものが崩れさろうとしているときに、心を立て直そうとしているからこそ生じる。このような心の病気の「症状」の多くは、真の意味での「症状」ではなく、むしろ病気からの「回復」の試みである、と。

 本書は、心の病気の「当事者」よりも、むしろ「健常者」に向けて書かれている。本書を読み、そして学ぶことで、心の病気についての認識が改まること、「わかる」ための努力をすれば、病気の「本体」から出てくる気持ちをそれなりに想像できるようになることが期待される。

 心の病気から「回復」することは、病気になる前の状態に「戻る」ことではないと、著者は断言する。「戻る」ことは、再発の危険性を増すことであるから、と。

 「回復する」ということは、前の状態とは違う形の行き方を手に入れられるようになることです。病気を通り抜けることによって、自分のライフスタイルが変化し、さらには自分が変化することです。それが「回復する」ということです。
(274ページ)

 本書では難解な哲学用語は避けられているが、ここでいう自分が変化するという意味での「回復」とは、明らかにドゥルーズ=ガタリの「生成変化」(devnir)が下敷きにある。「健常者」=「人間=男性」=「マジョリティ」、「当事者」=「女性」=「マイノリティ」と置き換えることによって。《ある意味では、生成変化の主体は常に homme [人間=男性]だと言える。ただし homme がそのような主体となるのは、何らかのマイノリティ性への生成変化に入り、自らのメジャーな同一性から引き剥がされる限りにおいてのことだ》(『三つの革命 ドゥルーズ=ガタリの政治革命』佐藤嘉幸 廣瀬純)。

 その意味で、統合失調症の妄想といかに折り合いをつけるかという場面で、回復のために「正常なマジョリティ(多数派)」を目指さないようにすることに注意が促されている(第2章)ことは偶然ではない。だからまわりの人は、その人が「マイノリティ」としてうまくやっていくことを支援することが最重要なのだと著者はいう。もはやいうまでもないが、この場面で問われるのは、むしろ「支援」する側がマジョリティであることの自明性である。

『心の病気ってなんだろう?』
中学生の質問箱 シリーズ第12弾
著者:松本卓也
発行:平凡社
発行年月:2019年7月17日


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