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2010年11月19日

「唐獅子」第10回 沖縄本レビュー

沖縄タイムス連載コラム「唐獅子」第10回昨日の掲載分です。

9月から始めた沖縄オルタナティブメディア(OAM)の動画生中継の話は以前書いたが、それ以外にもコンテンツは多彩だ。その中に「沖縄本レビュー」という、沖縄関連書籍に特化した書評コーナーを設けている。

一口に「沖縄本」といってもいろいろある。出版社が沖縄のものと県外のもの、著者が沖縄の場合と県外の場合という分け方がまずできる。本の選別をする際、この点を無意識のうちに気にかけていることに気づく。それはまず「読み手としての私」がその選別作業を促すようだ。

これは言葉を換えれば「誰が」「誰に向けて」本を書き、出版するのかという倫理性、顧客ターゲットをどこに設定するのかという経済性に関わる。著者についてはおいておくとして、出版社の場合、沖縄の出版社であれば主に県内をターゲットに、県外(大手)出版社であれば全国をターゲットに想定する。

「沖縄本」をまとめて読んでいくと、例えば基地問題について書かれた大手出版社のある本は、確かに真摯な姿勢で書かれているのは認めるが、沖縄に住む我々からすると物足りないというような感想を抱かされることがままある。これはその本が、沖縄についてそれほど知識がないであろう全国の読者に対して配慮した編集方針をとっていることからくる、「分かりやすさ」やそれゆえの省略などが起因するのではないか。

林博史著『沖縄戦が問うもの』のあとがきには次のようなことが書かれている。第一に、沖縄戦をこれから学ぼうとする人に読んでもらえること、第二に、沖縄戦についてよく知っている方でも読んで面白い本にすること、第三に、沖縄にいないからこそ書けるものにしたい、そして第一と第二を両立させるのは難しいと。

大雑把ではあるが、第一を本土の読者に、第二を沖縄の読者に想定してみる。この両者を満足させる本作りが難しいことは、前述の私の感想と恐らく一致する。それを試み、なおかつ「沖縄にいないからこそ書けるものにしたい」というオルタナティブを加えるのだから欲張りだ。

それが成功しているかどうかは紙数の関係で省くが、林氏が沖縄をめぐる倫理的並びに経済的課題(出版状況)を的確に見据え、正面からそれらに挑んでいることは確かだ。





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