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2016年10月26日

第9章 新しい〈地元〉 『可能なる革命』概要 その10

あまちゃん

 戦後史の時代区分「理想の時代→虚構の時代→不可能性の時代」からいえば、かつて東京や大都市は「理想」が実現する場所だった。しかし、その求心力は不可能性の時代に入ると急速に衰えていった。それと同時に地元志向の若者たちが増えていく。地方の若者たちに「地元と聞いて思い出すものは?」と質問すると、返ってくる主な答えは、「イオン」「ミスド」「マック」「ロイホ」など、地元の固有性がないものばかりだった。かれらはむしろ地元の人間関係の希薄さに魅力を感じている。東京では得られない地元の濃密な共同性や地方の特徴ではなく。それは、いわば「地元」の否定の否定といえる。

 2000年以降、『池袋ウエストパーク』『木更津キャツアイ』といったテレビドラマの中で、宮藤官九郎は〈地元〉を主題として脚本を書いてきた。しかし、「池袋」にも「木更津」にも、登場人物たちがそこに集まる内的な根拠はない。ただ「なんとなく」集まっているだけであり、そこが「池袋」であったり「木更津」である必然性はない。宮藤が〈地元〉において人々が生を充実させる場として描くことに初めて成功したのが2013年の『あまちゃん』である。

 『あまちゃん』の中で繰り返される重要な台詞が「ただいま/おかえり」である。「ただいま」は自分が本来所属している場所への回帰を表明するものであり、「おかえり」はそれが受け入れられ歓迎されていることを示す。このドラマの主題が〈地元〉だからである。

 主人公アキの祖母の夏は「理想の時代」に相当するが、東京に出て成功したいという欲望はない。彼女の「ここではないどこか」への志向性は海女として潜る海の底にある。つまり、そこは「ここ以上のここ」である。他方で、祖父の忠兵衛は遠洋漁業の漁師で、一年のほとんどを遠洋で過ごしている。夏の不動性と忠兵衛の移動性は矛盾せず、互いを支えあっている。この極端な不動性と極端な移動性との短絡にこそ、〈地元〉なるものの可能性が秘められている。

『可能なる革命』
著者:大澤真幸
発行所:太田出版
発行:2016年10月9日




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