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2010年09月01日

沖縄オルタナティブメディアがスタートした

沖縄オルタナティブメディアがスタートした。

この数ヶ月、これほどひとつのことに全精力を傾け、他の一切を捨て、季節の移ろいにも気づかぬふりをして生きたことはない。

幸いなるかな、集まった仲間たちの共同よ。

だが、祝祭と裏腹に「売る立場」が待ち構えている。

ぞっとする。


ああ、神よ、我に商人の狡猾さを与えたまえ!

沖縄オルタナティブメディアがスタートした




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この記事へのコメント
「狡猾な商人」もいるかもしれませんが、決して「商人」が「狡猾」なのではありませんよ。

第一、24wackyさんが「狡猾な商人」を目指すのであれば、私はハナからこのビジネスに関わるつもりはありません。

変なカッコつけや、「こだわり」は捨てた方がイイでしょう。

細部に神は宿ります。「OAM」のロゴを掲げる限り、このビジネスに関わっている一人として言い続けますよ。
Posted by じゅげむ at 2010年09月02日 08:27
>じゅげむさん

こちらの説明不足から「狡猾な」という言葉が誤解を与えてしまったようですね。しかし、じゅげむさんのように捉えるのが一般的であり、結果的に読む人にそう捉えられてしまうことに対し、もう少し配慮した書き方があったはずだと反省しています。

ぼくはこの言葉に必ずしも否定的な意味のみを込めていません。むしろ、じゅげむさんいうところの決して「商人」が狡猾なのではないという意味を反語的に含めたつもりだったのです。

差額によって利益を得る商人資本が軽蔑されるべきものであるという考え方が、歴史的にかつて存在しました。それに対して、そうではないという考え方も起こりました。

資本制経済において、企業の経営者(商人)があくなき利潤の追求を求められることは不可避です。同時にそのことにより、例えば南北問題のような格差を生じさせる事態にもつながります。

そのことに対し、企業の経営者が金儲けに欲が眩んだ悪人であるというように、個人の問題として批判する考え方があります。ということは、善人の経営者に代われば問題は解決するということでしょう。

しかしそうではない、とぼくは考えます。それは資本制経済というシステムが強いる問題であり、そのシステムが代わらなければ解決しません。

ここで、「商人」=「悪徳」=「狡猾」という概念を換えてみたい。同語反復のような「狡猾」という言葉をあえて使うことによって、というまわりくどい仕掛けをしました。

つまり、「悪徳」に代わって、たんに「善意」であるとか、あるいは従来の共同体の相互扶助の精神のみでは(のみではということが重要、相互扶助の精神を否定しているわけではない)頑強な資本制経済は変わらないので、反語的に「狡猾な」という言葉に「戦略的な」という意味を込めて使いました。
Posted by 24wacky at 2010年09月02日 11:16
 
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