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2019年07月21日

『紙ハブと呼ばれた男 沖縄言論人 池宮城秀意の反骨』森口 豁

『紙ハブと呼ばれた男 沖縄言論人 池宮城秀意の反骨』森口 豁

 「紙ハブ」とは、ハブのように毒を持った反骨精神のあるジャーナリストを指す。しかし、「沖縄言論人」とは、この本の主人公の特性が一つの職業を超えていることを示唆する。言い換えれば、(近現代の)沖縄で言論人であることの宿痾こそ、本書の主題である、ともいえる。

 そのことは、本書の柱としてある「第四章 軍政下のジャーナリスト」「第五章 大衆運動と言論人」を通底音のように流れている。沖縄戦終結後の米軍政下、米軍の支援で創刊された「ウルマ新報」編集長として、池宮城は本格的なジャーナリスト人生を始動する。同僚として、瀬長亀次郎、兼次佐一(かねしさいち)、浦崎康華(こうか)らがいた。このメンバーが中心となって、沖縄人民党が結成されるのには時間がかからなかった。当然ながら、米軍からは圧力がかかる。「新聞社の社長と編集長が一政党の幹部であることは好ましくない。新聞は中立で公正な立場に立つべきではないか」と。

 米軍の肩を持つわけではないが、いくらなんでもこんな無茶をやれば力で押しつぶされるのは目に見えているではないか、と思ってしまう。としたら、それこそが国家の暴力に盲目の情けない「国民」に成り下がった証左である。つまり、軍政下だから無謀なのではない。軍政下だからこそ、選択の余地なく、そうするのだ。ジャーナリズムと政治を分業化したまま済ませている余裕など、そこには微塵もない。分業化しようがしまいが、その根本には「言論人」という粗野な姿が不可欠である。国家の暴力に抗する姿勢としても。

 だからこそ、というか、そうであるがゆえに、池宮城自身が矛盾に満ちた存在であることの魅力を、本書は伝えている。「ヤマト嫌い」の池宮城が、当時ヤマトンチュー記者など居ない時代に、著者を琉球新報社の社員として受け入れるのに尽力したこと。あるいは、軍国主義が席巻する沖縄戦の渦中、無意味な戦争に加担しない強い意志を持つはずの池宮城が、軍隊の一員としての義務を吐露する場面。《伝令、壕掘り、物資の搬送……、義務づけられた危険な「仕事」を仲間とともに毎日つづけているうちに、その意義や善悪、是非を問いなおす「個の意識」が薄れ、集団の一員としての自覚のようなものが芽生え始めていたのである》(72ページ)。この矛盾は、人間にとって普遍的であり、それが戦争である、という言い方もできる。

 今回新たに加筆された「少し長い、二度目のあとがき 帰れ「琉球へ──池宮城秀意と金城哲夫をめぐる旅」で、著者は自らの沖縄漬けの人生を真っ向ストレート勝負で記している。著者にとって沖縄との関わりへ導いた二人の人物との経緯。池宮城同様、著者にとっても「沖縄」と「言論人」であることの乖離が些かもなかったことの告白である。

 個人的にいえば、沖縄のリアルに直面することで自らの倫理性を試され、そのリアクションを実行する「日本人」という立場において、著者は私にとって徹底した唯一の先例である。私の中途半端なそれが比べるべきもないことは「あとがき」を読めば一目瞭然なのだが。だとしても、著者からのバトンを受け取る営為として、著者の仕事を批判(吟味)する必要がある。できるだろうか?祖国復帰という主体性が問われる歴史的時間において「国家」や「国民」がせり出されるときに、復帰運動の全体的な渦に揉まれながら、「ヤマト嫌い」のジャーナリストと向き合う「日本人」ジャーナリストという衝迫的なその場を批判的に想像することなど、できるだろうか?今を生きるために、そうしないでどうする。

『紙ハブと呼ばれた男 沖縄言論人 池宮城秀意の反骨』
著者:森口 豁
発行:彩流社
発行年月:2019年6月23日


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