2009年03月25日
沖縄アソシエーショニズムへ その13
『琉球王国と倭寇』吉成直樹・福寛美著 森話社2006年
倭寇=海賊。これ以外の認識しか持っていなかった私であるが、琉球の歴史について調べていくと、どうやらそれだけではすまないだけでなく、海洋国家琉球にとって、あるいは東アジア全域にとって、その存在が大きな意味を持つものであることが分かってきた。ところが倭寇に対し諸国家がどのように対応したか、どのような位置づけをしていたかなどは分かるものの、倭寇そのものについてのイメージは今ひとつはっきりしない。ちなみに本書では倭人の定義について、村井章介著『中世日本の内と外』から引用し以下のように述べている。
琉球が王国成立前後、この倭寇との交渉を通し、朝鮮半島系の人々からいかに大きな影響を受けていたかという刺激的な議論を提示しているのが本書である。しかもそれを代表的な歴史書からでなく、首里王府編纂の歌謡集『おもろそうし』から、その政治的編纂意図を読みとるというユニークな手法をとっている。
具体的に、まずは聞得大君(きこえのおおきみ)に関わる問題を挙げる。琉球王国では、国王の姉妹のひとりが他界から霊力を呼び寄せ、その霊力を国王に与え、国王はその霊力で統治する。その姉妹を聞得大君と呼ぶ。聞得大君を頂点として、村々に置かれたノロという末端の神女に至る神女組織を形成していた。聞得大君は国王からの辞令によって任命される。この神女組織はいわば官僚制であった。
聞得大君は王国にとって最重要の聖地である斎場御嶽において就任の儀式が行われ、「しませんこ あけしのゝのろ」という神名を与えられる。実はこの神名が、沖縄本島北部今帰仁の「こもけな御嶽」にかかわる祭事を行う神女名であることが『おもろそうし』に記されている。なぜ、一地方神女の神名が聞得大君の神名になるのか。さらに、「しませんこ あけしのゝのろ」と対をなす「なかひやにやのせとひやにやの親のろ」の名が出てくるあるおもろでは、伊是名島のグスクの名前が出てくる。ここから聞得大君の神名=今帰仁村勢理客の神女名=伊是名島の聖域名という繋がりが連想される。伊是名島は第二尚氏初代王・尚円(金丸)の出身地である。第二尚王統の成立に、今帰仁という土地が深くかかわっていたことは間違いない。
首里城入り口の守礼門左側に園比屋武(そのひやぶ)と呼ばれる御嶽があった。別名は金比屋武(かなひやぶ)である。金比屋武と同じ名称の拝所が今帰仁城にある。また、園比屋武の御嶽と同名の御嶽が伊是名島に在る。おもろで園比屋武、金比屋武が謡われる場合、それらの言葉に結びついて、石垣を積み上げ、板門、金門を造り直す、園比屋武、金比屋武そのものを造営するなどと謡われるいくつかのおもろがあるが、これは何を意味するのか。この疑問に答えるためには、聖地を造るとはどういうことかを知る必要がある。
正史である『中山世鑑』にあるように、聖地とは、始原の世界に立ち帰る場所である。そして、聖地を原点に世界が構築され、拡大されていくという思想があった。つまり、園比屋武、金比屋武造営の意味は、「始原の世界」を立ち上げることにほかならない。これらのおもろに隠された意味は、園比屋武=金比屋武御嶽の始原の地である今帰仁グスクを立ち上げる、すなわち幻視するということである。
以上のことから著者は、第一尚氏内部のクーデターによって第二尚氏が成立したという通説に対して、今帰仁勢力を背後に抱えた金丸が第一尚氏最後の王・尚徳一族を倒し、王位を簒奪し、正統・中山王を名乗った、つまり外部勢力による王位簒奪という可能性を導き出す。
倭寇=海賊。これ以外の認識しか持っていなかった私であるが、琉球の歴史について調べていくと、どうやらそれだけではすまないだけでなく、海洋国家琉球にとって、あるいは東アジア全域にとって、その存在が大きな意味を持つものであることが分かってきた。ところが倭寇に対し諸国家がどのように対応したか、どのような位置づけをしていたかなどは分かるものの、倭寇そのものについてのイメージは今ひとつはっきりしない。ちなみに本書では倭人の定義について、村井章介著『中世日本の内と外』から引用し以下のように述べている。
倭人とは、朝鮮と日本の境界に位置づけられる、いわゆる「マージナル・マン」であり、倭語を話し、倭服を着ることによって「帰属する国家や民族からドロップ・アウトし、自由の民に転生できた」人々というべき存在だったとする。
(p.23)
琉球が王国成立前後、この倭寇との交渉を通し、朝鮮半島系の人々からいかに大きな影響を受けていたかという刺激的な議論を提示しているのが本書である。しかもそれを代表的な歴史書からでなく、首里王府編纂の歌謡集『おもろそうし』から、その政治的編纂意図を読みとるというユニークな手法をとっている。
具体的に、まずは聞得大君(きこえのおおきみ)に関わる問題を挙げる。琉球王国では、国王の姉妹のひとりが他界から霊力を呼び寄せ、その霊力を国王に与え、国王はその霊力で統治する。その姉妹を聞得大君と呼ぶ。聞得大君を頂点として、村々に置かれたノロという末端の神女に至る神女組織を形成していた。聞得大君は国王からの辞令によって任命される。この神女組織はいわば官僚制であった。
聞得大君は王国にとって最重要の聖地である斎場御嶽において就任の儀式が行われ、「しませんこ あけしのゝのろ」という神名を与えられる。実はこの神名が、沖縄本島北部今帰仁の「こもけな御嶽」にかかわる祭事を行う神女名であることが『おもろそうし』に記されている。なぜ、一地方神女の神名が聞得大君の神名になるのか。さらに、「しませんこ あけしのゝのろ」と対をなす「なかひやにやのせとひやにやの親のろ」の名が出てくるあるおもろでは、伊是名島のグスクの名前が出てくる。ここから聞得大君の神名=今帰仁村勢理客の神女名=伊是名島の聖域名という繋がりが連想される。伊是名島は第二尚氏初代王・尚円(金丸)の出身地である。第二尚王統の成立に、今帰仁という土地が深くかかわっていたことは間違いない。
首里城入り口の守礼門左側に園比屋武(そのひやぶ)と呼ばれる御嶽があった。別名は金比屋武(かなひやぶ)である。金比屋武と同じ名称の拝所が今帰仁城にある。また、園比屋武の御嶽と同名の御嶽が伊是名島に在る。おもろで園比屋武、金比屋武が謡われる場合、それらの言葉に結びついて、石垣を積み上げ、板門、金門を造り直す、園比屋武、金比屋武そのものを造営するなどと謡われるいくつかのおもろがあるが、これは何を意味するのか。この疑問に答えるためには、聖地を造るとはどういうことかを知る必要がある。
正史である『中山世鑑』にあるように、聖地とは、始原の世界に立ち帰る場所である。そして、聖地を原点に世界が構築され、拡大されていくという思想があった。つまり、園比屋武、金比屋武造営の意味は、「始原の世界」を立ち上げることにほかならない。これらのおもろに隠された意味は、園比屋武=金比屋武御嶽の始原の地である今帰仁グスクを立ち上げる、すなわち幻視するということである。
以上のことから著者は、第一尚氏内部のクーデターによって第二尚氏が成立したという通説に対して、今帰仁勢力を背後に抱えた金丸が第一尚氏最後の王・尚徳一族を倒し、王位を簒奪し、正統・中山王を名乗った、つまり外部勢力による王位簒奪という可能性を導き出す。
Posted by 24wacky at 16:08│Comments(0)
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