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2009年10月07日

普遍宗教と社会主義

「『世界共和国へ』に関するノート」のためのメモ その36

交換様式Dが普遍宗教としてあらわれたこと、社会運動もまた宗教の形態をとってあらわれたことをこれまでみてきたが、これは古代、中世のみならず、近代、あるいはブルジョア革命においてもそうだった。たとえば、イギリスのピューリタン革命での水平派Levellersと呼ばれる党派は、資本主義的経済拡大の中で、没落しつつあった独立小商品生産者を代表していた。さらに、開拓派Diggersは、農村のプロレタリアを代表していた。19世紀以降でも、サン・シモンの社会主義は濃厚にキリスト教的な色彩を帯びていた。

社会主義とキリスト教の結びつきがなくなったのは、1848年の二月革命以降、理論家としては、プルードンが「科学的社会主義」を唱えた。それは社会主義を、宗教的な友愛や倫理ではなく、経済学にもとづかせるものであった。

社会主義と普遍宗教の関係は複雑である。交換様式Dは普遍宗教というかたちであらわれる。それゆえに、社会主義にとって普遍宗教は欠くべからざる基盤である。しかし、それが宗教というかたちをとるかぎり、教会=国家的なシステムに回収されてしまわざるをえない。過去においても、現在においても、宗教はそのようになっている。それゆえ、宗教を否定しなければ、社会主義は実現できない。けれども、宗教を否定することによって、そもそも宗教としてしか開示されなかった「倫理」を失うことになってはならない。

柄谷の考えでは、この矛盾を解消しようとしたのがカントということになる。その普遍的な道徳法則「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」の「目的として扱え」は、自由な存在として扱うということ。自分が自由であることが、他者を手段にしてなされるようであってはならないという意味だ。これこそが、これまで論じられてきた交換様式D(アソシエーション)に他ならない。

ところで、この「他者」とは何も現在のわれわれのことだけでなく、死者あるいはまだ生まれていない未来の他者をも含む。われわれが経済的繁栄の裏面でもたらした深刻な環境破壊は、未来の他者を犠牲にすること、つまり「他者」をたんに目的として扱うことになる。そうならないための自由の相互性(互酬制)なのだ。それを実現しようとすることが、資本主義と国家に対する批判、そして現実的な社会主義となるのは当然である。

このように、カント的な倫理は普遍宗教に由来していることに注意したい。その上で、カントは同時に痛烈な宗教批判を展開したことを忘れてはならない。カントにとって、教会、あるいは国家や共同体の支配装置としての宗教は、供犠や祈祷という贈与によってお返しを受ける互酬原理にもとづくものであり、それでは「自由の互酬性」が開示されない。逆に、「自由の互酬制」が開示されるような宗教を、純粋理性宗教として肯定した。それにもとづいて、「世界市民的な道徳的共同体」が実現されるべきだとした。しかし、この共同体は、政治的・経済的基盤が根底になければ成立しない。柄谷はカントがこのことを具体的に考えていたと述べ、国家と資本、二つの面から見る。

「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う」という道徳法則は、残念ながら国家と国家の間では実現できない。国家は常に他の国家を敵として見ているからである。人間は平和な状態が「自然状態」なのではなく、戦争状態(敵対状態)が「自然状態」なのであり、だからこそ、「平和状態」は創設されなければならないというカントは、ホッブスと同じ前提に立っている。

カントはそのために『永遠平和のために』を書き、その実現の第一歩として国際連邦を提唱した。これは平和論としてこれまで読まれてきたが、それはたんに戦争が避けられている状態をいっているのではなく、「すべての敵意が終わる」ことがいわれているのだ。国家が他の国家に対して存在するということを思えば、永遠の平和は国家を揚棄することでしかありえない。これは明らかにアナキズム的な考え方であるが、カントがアナキストと異なるのは、同時にそのことの困難さを痛切に認識していた点であろう。

「他者を手段としてのみならず目的として扱う」を資本主義的視点から見ると、実現不可能といわざるを得ない。貨幣と商品の非対称性の中で、人は他者を目的としてのみ扱うことを余儀なくされるからだ。これに対して、現実の政治がやっているように、国家による統制や冨の再分配というやり方で、階級格差を解消することは不可能ではない。ただし、それは再分配を担当する官僚、つまり、国家を強化することになる。カントはこのやり方を否定した。





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