2016年11月06日

『感情化する社会』

感情化する社会

 「感情化」とは、著者によれば、わたしたちの自己表出が「感情」という形でのみなされ、理性や合理でなく、感情の交換のみが社会を動かすようになることであり、そこで人々は「感情」以外のコミュニケーションを忌避する。

 フェイスブックの「いいね!」が象徴するように、WebではSNSにおけるコミュニケーションが端的にそれを示している。そこでの議論の多くは、相手の非難に対し論理的に反論しようと努めても、いつのまにか「感情的」な表現に陥ることが避けられない。「いいね!」とは、私はそのように「感情的」になっていませんよ、という「感情」表現としてある。

 あるいは「感情労働」という言葉がある。かつてのマクドナルドの「スマイル0円」があからさまなように、サービス業において「快適な客対応」を労働者が強いられることを指す。労働者は肉体のみならず精神までも資本主義システムに組み込まれ、しかもそれは無償労働でなされる。恐ろしいことに、わたしたちはそれを当たり前のこととみなしている。

 2016年8月8日、現行天皇は生前退位について「お気持ち」を表明した。それに対し、一方で、政権側は困惑し、他方で、国民の多数が「共感」を示した。著者は、この状況を、天皇は権力に「お気持ち」を忖度させず、国民が直接「お気持ち」を忖度する関係を作ってしまったと指摘する。リベラル側の視点に立てば、それは一見いいことのようだが、もちろん著者はそう軽薄ではない。

 著者はここでアダム・スミスの『道徳感情論』を紐解く。感情同士を直接「共感」させるのではなく、そのあいだに中立的な観察者を設けることではじめて適切な判断ができるようになる、そのことをスミスは「道徳」といった。天皇と国民の直接的な「共感」には、この中立的な観察者が欠けている。「共感」に対して批評的であること、言葉を換えれば、他者をどう理解していくかという手続きを放棄した場合、そこは「感情」だけが共振してしまう「セカイ」であり、それは「社会」とはいえない、と。

 「人々が共感し合って何が悪い?」と問う者がいるとすれば、その人は「共感」できない感情は不快である、という真実から目をそらしている。《なぜなら、不快なことの多くは「感情」の外にある「現実」だからだ。だから歴史的現実をいまも過度に生きる沖縄は「不快」さの対象となる。そして、相手が自分に「感情労働」を提供しないこと(沖縄の人々が「本土」の人々の感情に対して快適である必要はどこにもない)が、「悪」と見なされ、「反日」と見なされて、「正義」の敵とさえ見なされる》(49ページ)


 まずは「感情」の外に立つこと、すなわち、「批評」を取り戻すこと。「沖縄」について「コメント」される言葉は、これを措いてあるはずがない。

『感情化する社会』
著者:大塚英志
発行所:太田出版
発行:2016年10月9日



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