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2019年08月02日

『アンダー・ユア・ベッド』安里麻里

『アンダー・ユア・ベッド』安里麻里

 一人の女に対する一方的な欲望の表現として「変態」的な関わり方をする。そのイタすぎる挙動が映画の売りとなる。一人の女に対する偏執に限らず、ヒッチコック『サイコ』から数えて、その偏執狂ネタの亜流は枚挙にいとまがない。だから、この映画も量産されるそのうちの一つに過ぎないだろうと高を括りたくなる一方で、いや、だからこそ、そのありがちな素材を選びあるいは与えられ、観るものの心を揺さぶる映画的クオリティにまで「変態」させるのが映画ではないのかという呼びかけが、「安里麻里」という固有名から否応なく発せられる。その呼びかけに応答するためにレイトショーに出向いた。

 アンダー・ユア・ベッド、つまりいつでも女のそばにいたいという欲望を抑えられず寝室のベッドの下に潜み、女の(性)生活を監視するアンモラルというモチーフは、早くもオープニングのシークエンスで惜しみなく現前する。ベッドの上でいきなり始まる夫と女の音。ベッドの軋み、女の喘ぎ。頭上のその振動に三井直人(高良健吾)は片手でそっと触れようとする。触れたかどうかわからないほど微妙に。その表情は、恍惚なのか哀切なのか煩悶なのか、それとも憤怒なのか。そう、この映画は他者からの安易な感情移入を拒否する高良健吾の多様な表情のドラマなのだ。

 三井をそうさせた過去。少年時代から一貫して存在感が薄いゆえ、他人の記憶に残らない孤独な心象風景。たった一度だけ、大学の講義室で背後から囁くように「三井君」と声をかけてくれた佐々木千尋(西川可奈子)の忘れられぬ思い出。追憶は百パーセント純度の欲望となる。西川可奈子は、透明だが同時に粘つくような声音を相手が高良健吾のときにのみ発する。半無意識に扇情させ欲情させるその声音の力は、後半、DV夫から受ける凄まじい暴力シーンでの西川の身体表現以上に映画として大きい。そしてその呼びかけの声はラストシーンでの救い(の可能性)として決め台詞となる。

安里麻里×黒沢清

 上映終了後のトークショーがまた面白かった。安里の映画美学校時代の恩師に当たる黒沢清との対談。まず、舞台に上がる際、客席袖を舞台に向かって走る安里(女タランティーノのファンサービスか!)、それにつられて小走りで続く黒沢。黒沢清が走っている?二度と見られない映画以上のパフォーマンス!

 黒沢といえば幽霊。千尋の家を探り出し、家の前に佇む三井の前に、玄関から現れ、三井に気づかず目の前を通り過ぎていく千尋の、何かしら問題を抱えた仄暗さが示唆される演出について、「幽霊のようだともいえる」と黒沢。三井が千尋の家の前にオープンさせた観賞魚店のドアを開けて千尋が入ってくるカットの、背後から日照を浴び表情がおぼろげになっているところも幽霊のようだ、と。うむ、なるほど。

 千尋が夫のDVから逃れようと乗り込む車と、三井の少年時代の回想シーンで父親から車内に置き去りにされる車がBMWであるという細かい指摘をし、何か意味があるのかと黒沢。「やっぱりBMWに乗っている人はヤバイ人が多い、ということで…」と真偽の定かでないボケで返す安里。

 前半の三井のモノローグから、後半千尋のモノローグへ一転するところを評価する黒沢。我が意を得たりと安堵の笑みを見せる安里。

 黒沢から送られた昔のメールが安里から紹介される。「アサトのホンは物語を飛躍させようと無茶をする。その無茶が過ぎると、観客は心の動揺をごまかそうと笑う。笑ってもいいと思わないで欲しい。今の君にとって、これは危険な誘惑だ。頼むからしないでくれ。観客の心を凍らせねばならない。笑う余裕なんか与えたら失敗だ」(安里麻里のツイッターから抜粋)。幽霊にとり憑かれた監督らしい忠言である。

 ところで安里麻里といえば、その劇場長編デビュー作『独立少女紅蓮隊』(2004年)を、当時支配人をしていた沖縄のミニシアターで上映させてもらった。その時もトークショーを開き話を聞かせてもらったが、その変わらない印象から良き思い出が甦った。いつかまた必ず、彼女が監督する沖縄についての映画を観てみたい。そのときこそ何か関わってみたいという一方的な妄想を抱く。アンダー・ユア・ベッドで。

『アンダー・ユア・ベッド』
監督:安里麻里
出演:高良健吾/西川可奈子/安部賢一
劇場:テアトル新宿
2019年作品


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