てぃーだブログ › 「癒しの島」から「冷やしの島」へ

2008年10月05日

大阪の海は

哀しい色やね~

というわけでもないが、夜に利用するバスとか鉄道とか、乗客がまばらだったりするといっそう物悲しい。そういうとき、とりあえず車内や車窓からの風景など写真におさめてしまうクセがある。写真は昨夜梅田から乗った関空行の高速バスの車窓から。



関空~那覇最終便というのは今回で何度目だろうか?前回同様今回も、恐らくは海兵隊と思われるタトゥーを入れた若者数名が同じ機に乗り合わせた。もちろん風景と同じようにカメラを向けるわけにはいかない。どこか心細げでしかし目つきは鋭い彼らを乗せた夜間機はやはり物悲しい。  

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2008年10月01日

しまくとぅばと現代アート

今日のタイムスを開いておお!
尊敬して止まない、いつも気になって気になって仕方ない、憧れの shinakosan !! が鋭い言葉を紙上に載せているではないか。
そして博物館・美術館のステージに立つ!

この日大阪から戻ってこれるだろうか・・・

シンポジウム「しまくとぅばと現代アート」
日時:10月5日(日)午後1時
場所:県立博物館・美術館講堂
入場:無料

1部「しまくとぅばと現代アート」
<パネリスト>
宮城明(画家、県立芸術大学教授)
比嘉豊光(写真家)
宮城潤(前島アートセンター理事)
儀間朝龍(アーティスト)
親川志奈子(言語学専攻、大学院生)
コーディネーター:後田多敦(文化の杜)

2部「沖縄と現代アート」
真喜志勉(美術家)
新垣安雄(美術家)
宮城明
比嘉豊光
コーディネーター:翁長直樹(県立美術館学芸員)

問い合わせ
文化の杜(電話:098-941-1321・しいただ)
  

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2008年09月24日

チェ・ゲバラを知っていますか??

友人だいごろう長年の企画実現!
なおこのドキュメンタリーはオイラがシネマエクサ支配人時代に上映候補にあげたこともある因縁の?作品である。


☆CHE GUEVARA 80☆

~チェ・ゲバラを知っていますか??

キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラ。死後40年が過ぎた現在でも世界中で多くの人々を魅了し、アイコンとして生き続けているチェ・ゲバラ。しかし、反面、チェ・ゲバラとは何者だったのか知らない人も少なくないのでは?。今年はチェ・ゲバラが生まれて80年。そこで彼に熱い思いをよせる有志で “☆CHE GEVARA☆80―映画「チェ・ゲバラ~人々のために」上映会&トーク”を企画しました。チェ・ゲバラについて知りたい、語りたいみなさん、ぜひ、ご来場ください!

☆映画上映 「チェ・ゲバラー人々のために」1999年アルゼンチン;ドキュメンタリー

☆トーク 新垣誠氏(沖縄キリスト教学院大学准教授) ほか

10月25日〈土〉 名護市中央公民館2F小ホール

(名護市港2-1-1名護市民会館の隣りの建物 0980-53-5428)

1回目 15:00~16:30
2回目 18:30~20:00


 ☆各回上映後にトークあります。会場内にて写真展示、関連書籍の紹介してます。☆

前売り予約900円 当日1000円(パンフ付600円増し)高校生500円中学生以下無料

お問い合わせ、ご予約「☆CHE GUEVARA80☆」実行委員会〈山本〉 

0980-44-3690/090-7475-5266


  

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2008年09月23日

軍隊×平和×オキナワ

高里鈴代さんから案内をいただきました。

2月の事件をふと忘れていた自分がいた・・・
というようなことをまさしく批判するための企画ではないでしょうか。


私たちの島、オキナワ。
今年2月、またしてもこの島は悲しみに包まれました。「もうこれ以上起こらないで欲しい」と願っていても繰り返される暴力。このような原因の背景には、「構造的暴力」があります。

今回のフォーラムでは、平和問題に関して研究・活動なさっている、立命館大学准教授の秋林こずえさんと、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表の高里さんを講師にお迎えします。

第1部では、それぞれの活動を踏まえて、沖縄や世界で起こっている暴力の現状をお話していただき、第2部では参加者の声を拾いながら、私たちの目指すべき平和を考察します。

 -誰もが望む平和な社会。沖縄として目指すべき平和な社会を考察する。-


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■日   程:平成20年9月28日(日)14:00~
16:30 (開場 13:30~)
■場   所:沖縄県男女共同参画センター「てぃるる」 3階・研修室
■対   象:男女を問わず関心のある方
■定   員:50人 *定員に達した場合は締め切る場合もあります。
■講   師:☆全国で平和に関する講演活動や論文でも著名なお二人
        秋林 こずえ(立命館大学 准教授)
        高里 鈴 代(基地・軍隊を許さない行動する女 たちの会 共同代表)
■一時保育:無料(6ヶ月~小学校低学年 程度)
        一時保育〆切 9月24日(水)  *定員に達し次第締め切ります。
■申込方法:郵送・電話・FAX・申込フォームまたはてぃるる窓口にてお申し込み下さい。

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☆講師紹介☆

☆秋林 こずえ(立命館大学 准教授)

 軍事化・脱軍事化をジェンダー、セクシュアリティの視点から研究。沖縄女性の平和運動、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」と共に活動し、国際的なネットワークを作りながら、軍事主義、軍事化、そして将来の脱軍事化の可能性を考えるという作業を続けている。WILPF(婦人国際平和自由連盟)の国際副会長も務める。主な論文に「沖縄「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」-批判的フェミニズムと平和」『女性・戦争・人権学会 学会誌』など。

☆高里 鈴代(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会 共同代表)

沖縄キリスト教短期大学卒。東京都社会事業学校で社会福祉を学び、都婦人相談センター電話相談員、那覇市婦人相談員を経て那覇市議会議員に(無所属・4期)。95年、世界女性会議(北京)に参加してのち、「強姦救援センター・沖縄(REICO)」「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」を発足。主な著書に『沖縄のおんなたち-女性の人権と基地・軍隊』など


  

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2008年09月09日

お小遣い

職場でごいっしょさせていただいているオバアから、「これを受け取ってくれ。ほんの気持ちだから」と恥ずかしそうに手渡された。後でその中身を見ると、ティッシュに3人のオバアの名が書かれ、中に紙幣と硬貨が収めてあった。

オイラがこのオバア3人に何をしたというのだろう?まったく思い当たる節がなく、きょとんとしたが、とにかくそれが「お小遣い」であることはなんとなく分かった。気持ちを伝えてくれていることは感じられた。

ずしりと涙が出た。  

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2008年09月03日

2008年08月19日

空がまた暗くなる

大好きな曲なんだが、
胸がしめつけられる・・・



  

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2008年08月19日

2008年08月18日

素敵なZさん

一昨日は3月にやったハチドリワークショップで出会ったZさんと、プラザハウスのケンタッキーでゆんたくをした。エネルギッシュなZさんが主に喋っていたのだが、話が尽きず楽しい時間を過ごせた。

Zさんは16歳の時に故郷の宮古島から名古屋へ移った。まだパスポートが必要だった時代だ。それから26歳で結婚するまで10年間、本土で生活した。その間いかにひどい差別を受けたか、Zさんは胸のつかえを吐き出すかのように言葉を続けた。「それが私の青春時代だったの」。

「本土の人は本音と建前を使い分ける。建前は立派でやさしそうだが、その本音がいかに差別的であるか」

あまり具体的な話まではしなかったが、彼女の語り方をみて、そのシリアスさは痛いほどこちらにも伝わった。「そんな哀しい顔をしないで・・・」Zさんがそういうくらい、私の顔は情けないものだったのだろう。

Zさんは私を責めているのではない。これまで言い憚っていたそのことを、ただ公然とフツーに誰かに語りたかっただけ、と私には思えた。

2人のお子さんを育て上げ、これから自分のための人生を考え、何かをやりたい。自分と同じような考えをしている人たちと繋がりたい。最近重い病気からも回復し、外へ出たいという欲求が募った。

辻信一さんの著作を読んでいたZさんは、ハチドリワークショップに足を運んだ。エコやらナマケモノやらスローライフといった話を予想していたところに、私の話が始まり、虚を突かれた。

「私がこれまで思っていたこと。でも誰もいおうとしないこと。それをこんなに分かり易い言葉で語っている。こんな人がいたなんて・・・」

Zさんには2つやりたいことがある。1つは8月3日付沖縄タイムス論壇に掲載された「鉄道のない沖縄は差別」という記事に触発され、沖縄島に鉄道を設備するための運動をすること。もう1つは、ドキュメンタリー映画の上映会を定期的にやりたいということ。2つとも、可能な範囲でアドバイスをさせていただいた。

私の年齢を確認すると、「もっと年上かと思っていた」とZさんはいった。年相応の貫禄がない私はたいてい若く見られることが大半なので、やや意外だった。そういうZさんは、この日会うまでの印象と、面と向かって話をしているうちに、だんだん若く見えるように私の目には変化して映った。最後にははっきりと「女」としてZさんを意識している自分がいた。こういう経験も新しいものだった。「話してみて面白かったね」といい、握手の手を差し出すZさん。またひとつ素敵な繋がりが生まれた。  

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2008年08月17日

「同点になりましたよ」

一昨日、ナカヌヒーの出来事。近所の酒屋へビールを買いに行った。レジで50代後半位の男性店主から「同点になりましたよ」と声をかけられた。「何回ですか?」とオイラ。「八回。リードしていたが追いつかれてしまった」と店主。

ちょうど浦商と慶応の激戦が繰り広げられていたのだ。沖縄では、高校野球で沖縄の試合が始まると、街から人の姿が消える。みな、それぞれの家でテレビ観戦しているのだ。沖縄人としての郷土意識を正々堂々と共有できるのだから。そんな家々から時より喚声やらため息が聞こえるこの時間がオイラは好きだ。

それにしても店主はヤマトーンチュのオイラになぜ浦商の話題をいきなりふってきたのだろうか?沖縄人は自分たちのアイデンティティを確認する符号=高校野球での沖縄試合を、ヤマトーンチュに開くようなことは通常しない。浦商の話題をふるのは、あくまで沖縄人同士の確認作業なのだから。

ところがこの店主は、いかにも自然に、親しみのこもった目つきでオイラに声をかけてきてくれた。

沖縄では、例えば言葉を交わさなくても、オイラのようなヤマトーンチュは、外面的な対象として、第一に「ヤマトーンチュ」であると認識される。面立ち、立ち居振る舞いなどで判断されるのだろう。あるいはそれ以上に「ヤマトゥ臭」みたいのものを発しているのかもしれない。

もしかしたら、5年の生活を経て、オイラの「ヤマトゥ臭」も少しは弱まってきたのかもしれない。それが店主の警戒を解いたのであるとしたら。そんな勝手な夢想をしてみた。でももし本当にそうだとしたら、これほど嬉しいことはない。他人からみたらほんのささいな出来事に違いないが、オイラにとっては忘れえぬ一瞬であった。

さて、準決勝のプレイボールだ。

  

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2008年08月01日

東京あしあとその4

28日。
羽田へ向かう前に少し時間がとれたので国分寺のカフェスローへ行く。新生カフェスローへ向かいながら、妙にドキドキしていた。相変わらずの中央線の車内で確かにドキドキしていた。

駅から近くなったカフェスローは、オープンして日が浅いためか、初々しく、少し浮き足立った印象を与える。しかし、店内に入ると、当然別の新しい店なのだが、どこか懐かしい、前のカフェスローの匂いがする。

ユリカが、間宮さんが笑顔で迎えてくれた。久方振りの会話を交わすのだが、どこかもどかしい。5年という月日は意外と長い。

こみあげてくるものがあるが、うまく書けそうもない。

「屋根裏に住んでいた男」ということで、カフェスロー・スタッフの間では伝説となっているらしいオイラ。次回はいつ行けるのだろう・・・


どこか懐かしい店内


ギャラリー 只今吉岡ちえちゃんの辺野古インスタレーション展示中!


すっかりカフェ店長らしい間宮さんとカフェスローの太母ユリカ  

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2008年07月31日

東京あしあとその3

オイラが東京を脱出した理由



  

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2008年07月30日

東京あしあとその2

26日。
齊藤さんがこのところ定期的に出席している「けーし風」首都圏読者の集いの飲み会に声をかけていただいた。最新号で拙稿が掲載されていることもあり、タイミングが良かった(オイラの手元には未だ届いていなくて未見なので、イマイチ「けーし風」ネタについていけなかったが)。それはともかく、皆さん面白い方ばかりで多いに盛り上がった。

その後、齊藤さんと神保町の「さぼうる」へ。込み合う店内で、しばしゆんたく。齊藤さんとは、沖縄で2回お会いしているが、東京で会うのはこれが初めて。

この方の昼間の仕事を想像すれば、どうしてブログがこんなにクオリティを保たれているのか?というのが不思議というか、感心しきりなのだが、ご本人なりの事情があって書いていることが分かった。

ブログを通しての出会いであるが、この方とのふだんのネット上のコミュニケーションはオイラにとって、それはかけがえの無いものである。特にこの約1年間の、サイテーに孤独な時期に、齊藤さんとのやり取りに何度救われたことだろうか。だから直接お会いできるのは、なおさら嬉しい。

再会を約束してお別れする。


ホウ・シャオシェン『珈琲時好』ロケなどでも有名な神保町「さぼうる」

  

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2008年07月29日

東京あしあとその1

25~28日仕事と祖母の一周忌で東京へ行ってきた。

28日。25日
羽田から実家へ。祖母の一周忌で線香をあげる。早いものであれから1年。

トグチさん&サチコに電話。西荻駅前の「笑笑」で飲む。突然の電話にもかかわらずかけつけてくれると信じているこの2人。昨年の夏もそうだった。オイラの昨年の不幸話にマジで憤るトグチさん。
その後「三人灯」へ移動、ゴローさんと合流。「資本と国家への対抗運動」の話をするつもりが、野球話で大いに盛り上がる。

出逢ったばかりのゴローさんとトグチさんが仲良く話をしているのを横目に、嬉し涙を我慢する。

3人を残して先に帰る。新宿で丸の内線の終電が終わり、タクシーで宿泊先へ。「電車の時間は分かっているから心配しないで飲め」といったじゃないか、ゴローさん。

新宿西口地下。オイラのどす黒い青春が刻印された公共空間に思いがけず彷徨いこむ。ここからすべてが始まったのだ・・・などと感慨に耽ってみた。



当時は見た目も「匂い」も浮浪者たちが占拠していたのに比べて、彼らは文字通りホームレスなのだろう。



那覇空港までに乗ったタクシードライバーに比べ、きっぱりと無愛想なタクシードライバーと共に。


  

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2008年07月20日

携帯からテストメール

写真はとくに関係ない。
  

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2008年07月20日

中の町デビュー

一昨夜はある飲み会に参加した。それが中の町だった。といってもお洒落な洋風居酒屋で、会自体もフツーの飲み会だったのだが。

ここでふいに声をかけられ、振り向くとよーりーがそこにいた。なんでこんなところにいる?話を聞けば中部の人たちとの会合なのだとか。

「沖縄は狭い」というのは、一歩町へ出ると、必ずといていいほど誰かに出くわす。那覇ではだいたいそうなる。しかし、初めて足を踏み入れた中の町で知人に会うとはまさか思わなかった。

この一次会の後は、いよいよディープな世界へ突入。酔っ払った勢いがなければ、絶対ありえないのはいうまでもない。「女の子もカラオケもない」と評判の某バーをなんとか探し出すと、ママさんひとりが歓迎してくれた。

他の2人が酔いつぶれていたので、ママさんといろいろ話ができた。バーは12年やっていて、昼間はご主人が経営している食堂を手伝うこともあるという。沖縄のアンマーは良く働く。

話は食文化の話しになった。若い頃金沢で生活していた経験があるママは、漬物が最初は苦手だったが、だんだん味が分かるようになり、料理人のご主人が漬けたものが好物だという(ご主人もウチナーンチュ)。

「美味しいゴーヤー汁を食べさせてあげるから、食堂に来たらいいさ~」といわれ、ゴーヤー汁が気になって仕方ない。

「娘の友だちを紹介するからまた来なさい」ともいわれた。こちらの誘いにも乗り気のオイラなのさ。

  

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2008年07月16日

2008年07月11日

2008年06月30日

沖縄アソシエーショニズムへ その5

佐藤は、後半のパネル討論の中で、フロアからの質問に答え、民族について次のように述べる。

民族とはあまりいいものではない。200年くらいの近代的な現象です。しかし、それがあたかも千年以上続いているように見えるという、われわれの罹っているウィルスだと思います。ウィルスは生物ではないので殺すことはできない。だからどうやって悪い形で発症させないかを考えないといけない。

佐藤優のいうウィルスとは、『世界共和国へ』で語られるネーションのことに他ならない。 

ベネディクト・アンダーソンは、18世紀西洋におけるネーションの発生を、宗教に代わって個々人に不死性・永遠性を付与し、その存在に意味を与えるものとしてみた。ネーションは共同体が持っていた永続性、つまり死んだ者(先祖)やこれから生まれてくる者(子孫)をも考えるあり方を想像的に回復する。普遍宗教は個人の魂を永遠化するが、共同体の永続性の回復はできない。それを回復するのがネーションである。
『世界共和国へ』を読むためのメモ その25

われわれは通常、紀元前から始まる歴史を教科書から学び、それがリニアなものであると認識する。そこでは日本(人) という概念などたかだか「200年くらいの近代的な現象」であることが忘却されている。ウチナー(ンチュ)についても同じことがいえる。ヤマトゥからの植民地支配という抑圧に抵抗するときに、「ワッター・ウチナーンチュ」というアイデンティティが高揚される。そのときに、その人は、「ワッター・ウチナーンチュ」が「あたかも千年以上続いているように」自らをアイデンティファイする。それが「200年くらいの近代的な現象」であるとは思わずに。

その忘却が高揚し、民族紛争のようなかたちとして現れること(ウィルス)に対して、官僚(外交官)である佐藤は「どうやって悪い形で発症させないかを考えないといけない」といっている。

この態度から分かるように、佐藤はあくまで国家の側の人間である。「(沖縄の)血が騒ぐ」と嘯き、遠隔地ナショナリストとしてアイデンティファイしているような発言もするが、それは沖縄に対するあながちウソではない、しかし確信犯的なリップサービス程度に捉えたほうがよいだろう。

同じように、反戦平和の立場から、佐藤の官僚としての立場を崩さない発言を警戒する者もいるかもしれない。しかしながら彼の発言には、他のパネリストに無い視点、問いかけが含まれる。だから、彼の立ち位置を確認しつつも、同時にそのメッセージを篩いにかけ、イイトコ取りをして運動に生かすべき点は生かすのも手ではないか。

その視点とは何か?佐藤は国家というものがどういうものかを知り尽くしている。それが沖縄側の言説(独立、自己決定権などをいうときの態度)ではあいまいである。それは具体的に、次のような発言を指す。

沖縄は今のところ日本の一部であるため、国家としての暴力を自ら行使するという問題から免れているわけですね。ところが独立国家というものを造っていこうということになると、自分たちの暴力性をどのように位置づけるかということが出てきます。

繰り返しになるが、国家というのは他の国家に対して存在する。一国内で国家を見ているだけでは、その正体は見えない。

長年の日米政府の圧制に苦しまされた主体(沖縄)は、さんざん客体(日米政府)の暴力に晒され続けてきた。だから、それからの解放=独立が実現すれば、無条件で平和な状態が到来する。ウチナーンチュは昔から争いを好まぬ平和な民だったではないか。このような主客の論理を持っている人も多いのではないか。

ところが、独立国家とは、他の国家に対して敵対的に(暴力的に)存在する。その構造ができたのは、集権的国家が形成された絶対主義王政の時代に遡る。絶対主義王政は、略取―再分配という交換様式を独占する。そこで初めて官僚組織と常備軍が組織された。なにより国家の暴力が目に見えた。それが目に見えなくなるのが、市民革命以降の国民主権という考えを通してだ。例えば強制的に徴収していた税金が、国民の側から自主的に納められるというように。そのように国家に従順にしていれば、平時は国家の暴力を見なくてすむ。しかしながら、国民がなにをどう思おうが、良い政治家(相対的にマシな政治家)を選挙で選ぼうが、国家の根底にある暴力は残る。だから「自分たちの暴力性をどのように位置づけるか」の議論は、避けては通れないだろう。


  

2008年06月27日

沖縄アソシエーショニズムへ その4

シンポジウム「マーカラワジーガ?!」へ期待したのは、佐藤優という異物を招いた企画力に対してのものが大きかった。母親が久米島出身という出自もあり、琉球新報へのエッセー連載をはじめ、沖縄へのコミットを始めた佐藤に対して、沖縄では賛否があるようだ。その奈何によらず、彼の発言内容は、これまでの沖縄の言説空間にない風を呼び起こしていることは確かだろう。

ズバリ注目したのは、佐藤と仲里効、松島泰勝との間で繰り広げられるであろう応酬であった。独立、自己決定権、自治などのタームが語られ、議論される過程で、それぞれが抱く国家感が露出されるのではないかと期待した。

だがその前に、佐藤が基調講演で何を語ったかをまずは確認しておこう。それによってこのシンポジウムに対する彼の姿勢がある程度分かるだろうから。

佐藤は、冒頭で沖縄独立について長々と触れた。琉球新報連載「ウチナー評論」とほぼ同内容であるが、彼が自らの立場を明確にした上で、誰に向けて、どんな語り口で話を展開しているか、その形式に注目して読んでいただきたい。

沖縄独立の可能性に関して、沖縄の人々が過小評価しています。沖縄独立は可能です、恐らく3年くらいあればできるでしょう。

まず、沖縄独立論を揶揄する人が、「それを居酒屋独立論ではないか、圧倒的に大多数の沖縄県民は沖縄独立なんか考えていない」という議論がよくなされ、これが「常識」として通用している。国家独立、民族独立、ここではつめないでおきます。

まず居酒屋独立論という言い方ですが、全ての独立運動は居酒屋から始まっています。これはヨーロッパをみれば分かります。カフェ、コーヒーハウス、ティーショップ。そこに入るのは誰でも自由です。こういう場所で「おい、おれたちちょっとコケにされているんじゃないか?」「ふざけやがって!」・・・こういう話を飲みながらするうちに、だんだん独立の方向に向かっていくわけです。ですから、居酒屋独立論というものがでてきているということは、独立に向けた現われだということです。

ちなみに、沖縄の人々が居酒屋独立論というのは構わないです。それは若干の自嘲であり、アイロニーだから。ところが、内地の、沖縄独立に関して理解をしようとしない人間が、「居酒屋独立論だ」というのはいけない、それは揶揄だからです。言葉にはコトダマが宿っています。それを発言する人の真意によって、その内容は別々に受け止められます。

さらに、住民の大多数が反対しているから独立はないということはありません。1991年3月に、ソ連全体でソ連邦維持に関しての国民投票をやりました。8割のソ連人がソ連維持をいい、バルト諸国でも過半数が独立に反対です。ところがその年の終わりにソ連は崩壊し、独立共和国ができたじゃないですか。これは過去3回「うちなー評論」という琉球新報の評論にも書きましたが、ルーマニアとまったく同じ状況です。簡単にいうと、独立というのは、県会議員が国家議員になりたいと思う、県会議長が国会議長になりたいと思う、知事が大統領になりたいと思う、商工部長が商工大臣になりたいと思う、そう思うと瞬く間に実現します。住民全体にとって不利になっても実現します。この例は、東欧、ソ連の崩壊の中でもよく見られる現象です。

去年、教科書検定に対する抗議行動として、11万6千人という一つの物語なり神話ができたということがすごく重要なのです。この11万6千という数字は、一つ一つカウントすれば、そこまではいかないなということは、集会の主催者や参加者が一番よく知っているんですね。ところが、そこで起こっていることが何かを理解していない人間が、数字を数えて難をつけている。そんなことになるのなら、断固11万6千人、こう思うのです。当たり前なんです。

そうやって神話を造らせまいとしているのが、沖縄を軽く見ている奴ら、一部の連中なんですね。この雰囲気というのは、独立の雰囲気に明らかに貢献しています。1987年のバルト諸国の様子に、今の沖縄は似ているなと思います。これがそのまま独立?高揚の意識を高めていくのか、あるいは分離独立の道に行くのか、これは誰も分からないということです。ただ、今のような無為無策を中央政府がやっているならば、独立の方向に拍車がかかります。

私の母親は久米島出身、父親は東京の出身です。母親の生地は上江洲になります。沖縄出身の出版関係者、新聞記者は多くいます。沖縄の姓を名乗っているか、内地の姓を名乗っているかでかなりアイデンティティが違いますが、そういった人たちと話すときに私はよくいいます。「沖縄アイデンティティってわれわれは持っていないよね」と。石垣島とか、久米島とか、今帰仁とか、地域個々のアイデンティティは持っているのですが。ただ最近、沖縄アイデンティティを感じている人が多いんじゃないか?それはどういう時か。少女に対する暴行事件が起きる時。それに対して、内地の報道があまりにも冷たい時。あるいは、教科書検定問題において、内地の連中があまりにも理解しないという時。アーネスト・ゲルナーは、民族というのは負の連帯意識から生まれるといっていますが、そのような遠隔地アイデンティティを実感しています。

佐藤は同じ血が流れている沖縄人の側に立ち、沖縄を理解しようとしない「内地の連中」から距離を持つ。同時に独立についての冷静な分析を、沖縄人へ向けてレクチャーする。独立は3年もあれば可能だというが、実際の沖縄独立については論を控えている。佐藤は、沖縄人としての「血」の部分と、国家の暴力を管理する官僚という立場の双方を都合よく出し入れしている。それが彼なりの「インテリジェンス」なのだろう。